『村上春』

 僕は村上春。


 『鳩小屋』


 僕がこのお店を知ったのは偶然でも何でもない。片思いの女性・宮部みゆの後をつけてきたからだ。


 『宮部みゆ』


 なんてことはない普通の女子高生だ。髪はミドルロングくらいの髪を後ろでひとつくくりにしている。顔は地味で少し目が細いだろうか、度がきつそうな眼鏡のせいで少し大きく見えるが。クラスでは一人でいる事がが多く、友達は……数人いるのかな? あまり人と話しているのを見かけない。同じように地味な友達と小説やアニメの話をしている。インドア派?なのだろうか、聞き耳は立てているがハッキリとは聴こえない。


 まあ、マンガやアニメが大好きな僕が、彼女のことをインドア派だとか、オタク系だとか、人の事は言えない。こんな僕が彼女の事を気にかけるようになったのには理由わけがある。まあ、他愛もない話なのだが。


 水泳の授業の後、彼女が髪を下ろして、眼鏡をとった素顔が、僕の心にグッサリとクリティカルヒットを決めたからだ。

 めちゃくちゃ可愛いとかそんなんじゃない。普段の彼女と違って髪が濡れていることもあるのかも知れない。そのギャップに何故か心臓がドキドキしてしまって、気になり始めたのがきっかけだ。な?他愛もないキッカケだろう? しかし、気になってしまったものは止められない。


 僕は加速度的に彼女の事が気になり始めて、自然と彼女を視線で追うようになったのだ。


 彼女の席は窓際で、時々彼女が窓の外の空を見上げて、垂れてきた前髪を耳にかける仕草にキュンとしたりしていた。

 彼女から香ってくるシャンプーの香り、彼女の筆記用具のキャラクター、彼女の読んでいる小説のタイトル、気になり始めたら彼女の色んな事が気になってしまっていた。


 かと言って僕はストーカーではないつもりだ。だが、たまたま彼女が独りで下校をするのが目に入り、何気に目で追っていると、彼女がこのお店『鳩小屋』に入ったのを目にしただけだ。他に何ひとつ他意はない。


 『鳩小屋』は外からでは中の様子が判らない。中の様子を知ろうと思えば、中に入る他はないのだ。僕は、彼女が店に入ったのを見届けると、少し時間をおいて店に入ってみることにした。


 とても緊張する。


 学校の帰り道に寄り道するだなんて初めてだった。ただでさえ高鳴っている僕の胸の鼓動はどこまで速く脈打つことになるのだろう。


──カランコロン♪


 おおうドアベル、き、気づかれた? ……店内を見回すと彼女は店の一番奥の窓際の席に腰掛けていて、僕の存在には目もくれていない。と言うか、読書に没頭しているようだ。僕は内心ホッとしながら、座る席を探したが、彼女は窓際の最後尾なので、彼女に気づかれずに彼女を見ていられるような席は無い。


 僕は仕方なく彼女を背にしてカウンターに腰かけた。


「くるっぽー」


 え? 何、この店員? 頭おかしい? 今「くるっぽー」って言ったよね?


「いらっしゃい」


 何かの冗談だったのだろうか、とにかく何か注文しなきゃいけない。……店員が今用意しているのは、彼女のものだろうか? いや、彼女しかいないのだから、彼女の飲むものなのだろう。

 可愛らしい匙で何かの茶葉?を軽量している。お茶ってそんなにきっちりと軽量するものなのだろうか? とても慎重に見える。ティーポットとカップには予めお湯を注いでるみたいだが、あ、捨てた。きっと温めていたのだろう。茶葉をティーポットに入れるとコンロから上げたばかりの熱湯を一気にそそぎこんだ。砂時計をひっくり返して、お盆に用意していたモノと一緒に彼女の元へと運んでゆく。


「おまたせしました」

「あ、ども」


 声、めちゃくちゃ可愛い。そして店員の声が声優みたいに渋くて羨ましい。


 とにかく彼女と同じものが飲みたい。あの香りは紅茶だな。メニューには紅茶の茶葉の名前がずらりと並んでいて、どれが良いのか判らない。そして……まあまあするな!? こっちのカップサービスの方なら少し安いが……。しかし、彼女と同じものを同じように飲みたい。


「すみません」

「はい」

「どれが美味しいんですか?」


 店員が僕の顔をしばらく見て。


「今お出しした『ヌワラエリヤ』なんてどうですか? 本日はペドロ茶園のものを使用しております」

「よくわかりませんが、それで」

「かしこまりました」


 よし、彼女と同じものを飲める!! セイロン・ヌワラエリヤ……華やかで豊かな香り、爽やかな酸味とほど良い渋さ、美しい金色の茶葉とルビー色の輝く液体、抗酸化作用や抗炎症作用があり、さらにストレスを軽減する効果がある、らしい。よくわからんが、良いものだと言うことは理解出来る。あとは飲んでみれば判るだろう。


 先ほどと同じ様に熱湯を注ぎ込んで、砂時計を返した。ティーポットに何かカバーのようなモノを被せる。


「このまま砂時計が落ちるのをお待ちください」

「……はい」

「砂時計の砂が全て落ちましたら、こちらのストレーナーをカップに置いていただき、そこへ注ぎ込んでいただきます。二杯分ご用意しておりますので、二杯目は少し濃くなります。よければこちらのミルクをお使いください」

「わかりました」


 僕は砂時計を待つ間もずっと彼女のことが気になって、チリチラと見てしまう。何かのラノベだろうか?文庫本サイズの何かをずっと読んでいるが、眼鏡の奥の表情は窺い知れない。少し顔が赤らんでいるだろうか、恋愛もの?

 僕も多分に漏れずラノベを読む方だが、ファンタジーものばかりを読んでいるので、他のジャンルには疎い。


 おっと、ちょうど砂時計も終了だ。僕はカバーを外して、カップにティーストレーナーをセットするとそこへポットの紅茶を注ぎ入れた。ポットに再びカバーを被せる。

 カップを持ち上げて口元に近づけると、立ち昇る湯気に茶葉の香りが広がり鼻腔を刺激する。なんて爽やかで芳醇な香りだろう。さっきまでの胸の高鳴りが嘘みたいに落ち着いた。そして色だ。確かルビー色とか書いていた。赤味がかったオレンジなのか、オレンジがかった赤なのか絶妙な色合いが確かに美しい。なによりその濁りのない透明感に目を惹かれる。


 口に含む。


 口に広がる茶葉の風味。そして何よりも心地よく刺激する爽やかな渋み。そしてそのキレの良さ。その後に鼻に抜けるフローラルな香り。なんて女子力が高い飲み物なんだ? こんな繊細な味を男が飲んでいたら変だと思われないだろうか?


 マスターはしれっとカウンターの清掃なんかしているが、どこが汚れているのかわからないレベル。


「ねぇ、マスター」

「はい」

「この茶葉に合うお茶菓子とかあるんですか?」

「お作りしましょうか?」

「えっと……」


 紅茶ですでに六百円使っている。どんな物が出てくるかわからないが、きっと安くても千円くらいにはなるだろうか。高校生だと尻込みする価格だ。


「クッキーです。今回はサービスで提供させていただきますが、次回からプラス百円いただきます」

「え、良いんですか?」


 払っても良いくらいに安いんだけど!


「あちらの女性の方にも同じように作らせていただきますので、気に入りましたら次回頼んでもらえると嬉しいですね」


 商売上手いのか下手なのかわからないが、学生の財布に優しいお店だと言うことはわかった。しかし、安いと言っても毎日は来れないレベルだろう。宮部さんはこのお店にどれくらいの頻度で来ているのだろうか。


 黙々と楽しそうに本を読み、たまに紅茶を飲む。優雅だな。きっと自分の時間を楽しめる娘なのだろう。もしかするとまだ彼氏なんて必要としていないのかも知れない。あまり深入りするのは時期尚早と言う可能性も出てきた。嫌われたくない。


 僕はそんな事を考えていると、一杯目の紅茶を飲み干していた。まだもう一杯楽しめると言う。なるほど、高くない。

 二杯目は色がとても濃い。見ればわかる、きっと渋いだろう。なるほど、そこでこのミルクか……少し、砂糖も入れよう。僕がカウンターにある二種類の砂糖のうち茶色がかった砂糖を入れようとした時。


「お客様、紅茶には白い方をおすすめします」

「こちらの砂糖は?」

「はい、コーヒーを飲む時にお使いいただいてます。まあ、強制ではありませんので、お好きなのをどうぞ」

「じゃ、こちらの白い方にします」


 オーブンからバターのようなものが香りが漂ってくる。この至近距離はたまらないな。


 僕は進められた白い砂糖を溶かして、ミルクを少し注ぎ入れると、あれ?最近こんな色をした髪色の女子を見たことがある。スマホで調べてみると、確かにあった。その名もミルクティー・ベージュと言うらしい。名前が可愛らしいが、僕はこんな髪色の女性と付き合うことはないだろう。なんだか住む世界が違う気がして、異世界人か何かだと思っているのだ。


 口に含む。


 全然違う。ミルクを入れても渋いのではないだろうかと危惧していたが、まるでそんなことはない。ミルクを入れても味にしっかりとした輪郭を保ち、その香りを主張している。そして、それを優しく受け止めるミルクの包容力よ。とてもまろやかで口当たりが良い。旨い。まだこちらが美味しいと思えるところ、僕はお子様だと言うことなのだろう。


──コトッ。


「どうぞ、熱いので気を付けてください」


 見た目はとてもシンプルなクッキーだ。型取りで鳥……これは鳩を模しているのだろうか、とても可愛らしい。

 そして、バターと小麦粉の焼けた香りがとても香ばしい。


 彼女のところにもクッキーを届けている。喜色満面に喜んでいる。それはそうだろう、男の僕だって嬉しいのだから。


 一口。


 サックリ焼けているが、ほんのり柔らかい。だが、香りは極上だ。焼き立てのクッキーなんて生まれて始めて食べた。旨い。

 そして、口の中にクッキーが残っているうちに、ミルクティーを口に含む。ん、合わないわけがないね、旨い。


 ちらり、彼女を見る。うわあ、めちゃくちゃとろけてるよ。可愛い♡

 もっと至近距離で見ていたい。なんて可愛らしい生き物なんだ。


 そんなこんなで僕は、このお店に通うようになった。


 いつか学校で、このお店の話を彼女と出来る日を期待している。

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