決断 三
月曜日。
午前五時、起床。
洗面台の前で、顔を洗って歯を磨く。
午前五時半。
論文を読み漁って、少しでも治療に役に立ちそうな文献をまとめておく。
午前六時半、家を出立。
午前七時、白戸総合病院に到着、また、院内のコンビニで朝食を購入。
ほぼ同時刻に、緊急コールがなった。
救急隊がカラカラと担架を押しているのに追随する。
「高齢の男性です。脳出血を引き起しています。激しい頭痛と意識障害、そのほかにも多くの合併症を患っているみたいです」
「くも膜下出血。慢性腎不全。脳の血圧コントロール。降圧薬その他もろもろの投与」
「えっ? あ、はい……」
一通りのルーティーンをこなした後、研究室へ向かう。
一刻も早く前回とは違う動きをしたい。正直な所、強烈なデジャヴのうねりとでもいうべき感覚に、脳が揺さぶられて吐きそうだった。毎日が同じことの繰り返し、代り映えのない日々を過ごしているものだなと常日頃から思っていたが、真に代わり映えのない日々と言うのは斯くも耐えがたいものなのかと痛感させられた。三日と持たずに嫌気がさしてくる。
一刻も早く、このループから脱却したかった。
〇
院内のラボで、あらかじめ採取しておいた老人の血液をあらゆる検査にかけた。
しかし。
血液検査も、問題なし、か。
「クソっ!」
ここまで手ごたえがないと、思わず悪態も出てしまうというものだ。もうすでに数回ほどのループを体験して、その間可能な限りの様々な可能性を追ってきた。だが、老人の抱えている病は、現状ではどれもどうにもならない病気ばかりだ。老人の病気は、言わば「老衰」とでもいえばいいのかな。とにかく、多種多様の病気で肉体の方が限界を迎えているのだ。もはや、後は死を待つのみだ。
こんな患者を助けることなど、可能なのだろうか。それとも、この前の放火の一件と同様に、老人の救命がループの終焉ではなく、あくまでもそれに付随する何かを見つけよということなのだろうか。
……いや、待てよ。
頭の中で、ある閃きがあった。
俺はすぐに、榎田さんに連絡した。
〇
『部屋の中に入りました』
どうやら榎田さんが老人の自宅に到着したらしい。
俺はラボから電話越しに、彼の報告を聞く。
『601号室です。名前は鶴川永光さんですか……長生きしそうな名前ですね』
死にかけてるけどな。
そんなことは兎も角だ。
「では、部屋にあるもので怪しいものは全て回収してください」
『怪しいものって?』
「食べ物、水など口に入りそうなもの。それから植物、動物や動物の死骸などもお願いします。できれば部屋の埃なども採取していただけると」
俺の考えはこうだ。
老人――鶴川さんは、未知のウイルス、または細菌に感染している。
つまり、脳出血やあらゆる合併症は、全てブラフである。
また、鶴川さんはおそらく感染直後で、未知のウイルス、細菌の感染による症状はまだ顕在化していない。体内で増殖する前だから検査にも引っかからなかった。仮に既に症状が発症しているとして、鶴川さんはあまりに多すぎる合併症で症状が多岐に渡っているため、どれが感染症の症状なのか現段階では特定できない。
もし、俺の考えが正しければ。もし、鶴川さんの感染症が強い伝染性と致死性を持つものだったら。
然るべき対処をしないと、院内でパンデミックが起こる可能性がある。そうなったら、老人一人が病死する、なんて程度の被害では済まない。症状が発症する前に、鶴川さんが患った感染症を特定しなければならない。そのために、彼が口に含んだであろうもの、それから手で頻繁に触れるものなどを採取、検査し、鶴川さんが発症する前に病原体を特定するのだ。それはインフルエンザウイルスなんかの、一般的なウイルスや細菌なんかではないだろう。簡単に治療できる感染症を患っているなら、ループ現象など起きるわけがないからだ。今までのループの傾向からして、ループが発生する事象には人の生死が大きく関わっているはずだ。おそらく致死性で、しかも特定が難しいか、治療方法がないか。
とにかく、調べなければわからない。
『食べ物ならたくさん散乱してます。相当豪華なお土産になりそうですよ』
「宜しくお願い致します」
『お願いされましょう。先生の頼みならプライスレスで。でも、僕から言うのもなんですけど、最近ちょっと度が過ぎてるんじゃないですか。不法侵入も普通に依頼するようになりましたし』
「それは……。いや、すみません……」
『いえいえ、私は全然大丈夫なんですけどね。今回の依頼も、何か考えがあっての事なんでしょうし。私はただ、先生が困ることになるんじゃないかと思いまして』
確かに、最近榎田さんに犯罪を頼むのに抵抗が無くなってきているな……。自重しておかなければ。いざループ現象が起こらなくなった時になって、榎田さんと一緒に晴れてお縄をいただく、なんて間抜けな事態に陥るのは御免だからな。
或いは、それが俺の最期なのかも。
警察に捕まり、身ぐるみを剥がされて検査を受ける俺。
うっ、
いやな想像をしてしまった……。
〇
その後、榎田さんが持ってきたすべてのサンプルをラボで検査したが、怪しいものは何も、何も見つからなかった。顕微鏡でいくら探しても、それらしき病原体は一向に発見できなかった。元々感染症には詳しくないので、あまりにも膨大な資料と数百点もある検体(異臭のおまけつき)とを交互に見比べながらの検査であり、死ぬほど時間がかかった割に成果はまるでなし。
発狂しそうだった。もう顕微鏡なんて覗きたくもない。
しかし、ここまで念入りに調べても何一つ手掛かりが出てこないということは、やはり感染症でもないのか?
完全に目論見が外された。
がっくりと、机に置かれた検査キットのすぐ横に頭を伏せて項垂れた。
ショックで一歩も動ける気がしない。
疲労で頭も働かないし。
今日はもうだめだぁ。
帰ろう……。
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