狂気 三



 それから、俺は十回ほどループして、すべての患者の症状を綿密に調べ上げ、出来得る限りの処置を施した。


 しかし、どうあがいてもループは終わらなかった。


 十回目のループの後、俺は院内のER室に置かれたソファーに腰を下ろして、十一回目となる思案に暮れた。


 間違いなく。


 間違いなく、ループの起点は彼らのはずなのに。


 いやしかしだ。確かに此度のループには違和感がある。そもそも、今回運ばれてて来た患者十八名の内、重傷者は六名。その内五名の命は助かっている。


 死んだのは一人だけ。


 件の放火犯だけだ。


 「じゃあそいつを助ければいいじゃない」という簡単な話ではなかった。


 なぜなら、彼はからだ。熱傷というのはある段階で予後不良となる。


 熱傷患者の予後を測定するための熱傷予後指数(PBI)と呼ばれる指数を用いるのだが、放火犯のPBIは100以上、救命率は極めて悪い。


 さらに言えば、彼は火傷を負ってから数時間ほど治療を受けずに警察から逃げ回っていたという話だ。あれほどの火傷を負って、である。大した根性だったのか、単純に痛みがマヒしていたのかわからないが、ともかくそれのせいで治療が遅れ、ショックを起こした。で、救命率はさらに下がる。


 放火犯が病院に運び込まれた段階で、彼は既に予後不良だったのだ。


 もちろん、十数回ほどのループの中で、彼を救命しようと試みたこともあった。だが、どんなに手を尽くしても彼は助からなかった。


 完全にどん詰まりである。


「なんだか疲れてますね、安藤さん」


 俺がソファーで項垂れている傍らで、市川と竹中さんが雑談している。初期のループでは竹中さんは今も患者の治療にあたっていたが、今回のループでは俺が的確に走りまくって、片っ端から診察及び治療に駆けずり回ったおかげで余裕が生まれたのだ。代わりに俺は彼らの分まで余計に疲弊している。

 

「そりゃ、久々の激務だったからな。安藤もやけに張り切ってたし」


「張り切ってたっていうか、なんか凄い動きでしたよ。一人だけ倍速で動いてるみたいでした」


 そう言って市川は疲れたように笑った。そりゃ、未来を子細に把握したうえでの診断と治療だったからな。傍目には異様に映ったかもしれない。しかし、外面を気にしていられるほどの余裕は、俺にはもう残されていなかった。


「今回みたいなこと、何度か経験したことがあるんですか?」


「まぁな。こういう大きな事故や事件の時もそうだけど、災害時が一番悲惨だったな。もう目も当てられない程の激務だ。というか、悲惨過ぎてあの当時の記憶がごっそり抜けてる」


「うへぇ」


 横から盗み聞きしていた賀茂川が、思わずと言った風に呻いた。それから、


「……あ、見てくださいよこれ。SNSで放火の件が話題になってますよ」


 賀茂川はそう言って、竹中さんに携帯電話を差し出した。


「大事件だからな。話題にもなるだろ、そりゃ」


「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて。なんか、犯人っぽい奴の書き込みが『5ちゃんねる』で話題になってるみたいっす」


「『5ちゃんねる』? なんだそりゃ」


 俺も気になった。これまでもループで得ることができなかった新情報だ。休憩ついでに、携帯で事件について調べてみることにする。


「ユーザーがリアルタイムで文章とか画像を匿名で書き込むことができるサービスですよ。まあSNSみたいなもんですね。そこに、犯人が書き込んだんじゃないかっていう文章が見つかったらしいっすよ」


 件の文章は、俺の携帯でもすぐに確認することが出来た。非常に冗長で読みにくい文章がずらりと並んでいる。目がちかちかした。


「なんだこれ? ストーリーになってるのか?」


「所謂ショートストーリーって奴ですね」


「戯曲みたいな感じか。地の文がほとんど省略されてる」


 件の文章は、眺めているだけでも頭が痛くなりそうなほど支離滅裂で破天荒な文体で構成されて、まるで読む気が失せる。あと、なげぇよ。ぱっと見でも数万字ほど。どんだけあるんだよ。最早小説じゃねぇか。なんとなく、魔王だと悪魔だとか、騎士だとかいう言葉が散見されるあたり、ファンタジーものなのだ、ということだけは辛うじてわかるけど。


「放火直前と、直後の投稿もあるみたいです。どうも、ストーリーと投稿者の現実での行動が所々一致しているみたいなんです。ほら、例えば……。

 このシーンでは、主人公の騎士が「消えない炎」を手に入れて、悪魔城を燃やしに行くってストーリーなんですけど、その話の投稿が行われた直後に漫画喫茶で火災が発生してます」


「主人公の行動を放火犯がなぞってるのか」


「逆じゃないすか? 自分がやったこと、或いはこれからやるぞ! ってことを脚色してストーリーに仕立て上げてるのかも」


 なるほど。

 まあ、確かに興味深い話題だけど、今はそんなことを気にしている場合では……。


「放火した後も、確かに投稿が続いてるなぁ」


「追ってから逃げてるんですよ。警察から逃げてるんですかね。なんか、放火犯がこれを書いたんだって思うと、ちょっと面白いっすね」


 ……。


 いや、待てよ。脳裏に閃くものがあった。


 まさかこれは。


 俺は慌てて文章の後半の方を必死に読解した。特にラストシーンを。やはりそうだ。


「最後の方を読んでみろ」


「えっ?」


 急に雑談に入ってきた俺にギョッとしながらも、さすがに上司に向かって「なんなんすか、急に」とは言えなかったらしい賀茂川が戸惑いながら、


「あー、最後の方ですか?

 えーっと、白の魔人? が騎士を説得してるシーンの後ですね。

『こんなことはやめろ。お前、人の命を何だと思ってる』

 魔人なのにめちゃめちゃまともなこと言ってるな……。

 で、それに対する騎士のセリフが、

『うるさい。俺は正しいことをしてる。お前だって同じゴミのくせに』

 おいおい、本当に騎士なのかよコイツ。

 で、……。

 ……。

 なんすかこれ?

 どういう意味なんです? これ」


「台詞はどうでもいい。意味なんてない。問題は、もしこれが現実に起こったことを脚色して描かれてるなら、かもしれないってことだ」


 賀茂川だけじゃない。市川や竹中さん、あの白戸まで「こいつは何を言い始めたんだ」とでも言わんばかりの表情を浮かべてこちらを見ていた。


「……えーと、それってつまり?」


 賀茂川がよそよそしくもそう尋ねてきた。


「放火犯が逃亡中に何かやらかした可能性がある。もしかしたら人を傷つけたのかもしれない。でもこの病院には火災で火傷を負った患者以外は運ばれてきていない。

 つまり、ってことだ」


「いやいや、考えすぎですって! こじつけっすよ!」賀茂川は笑いながら、「仮にあったとして……それが何か俺らと関係あるんですか」


。少なくとも俺にはな。ちょっと行ってくる」


 踵を返して、外に向かおうとした俺の背中に、市川が声をかけてきた。


「どこにですか?」


 俺は一度振り返って、


「この書き込みを元に、放火犯の放火後の行動を追うんだ」


 と言ってから、再び外へ小走りに向かった。


 俺を引き留める奴は、当然だけど誰一人としていなかった。

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