憑依 九
六月二十一日 午前十一時。
未森未来が目を覚ましたらしい。
コールが掛かって、俺は真っ先に病室へと駆けつけた。
彼女は確かに目を覚ましていた。そんなに長い間眠っていたわけではないが、あれほどの高熱があったのだ。脳にダメージが残っていないか不安だった。
すぐさま反射の確認など、軽い検査を行い、とりあえずは脳に異常がないことを確かめた。それから、彼女に声をかけた。
「おはよう」
「……お父さんは?」
しばらくぼんやりしていた彼女だったが、徐に口を開いたかと思えば、真っ先にその言葉が出てきた。
「捕まったよ」
「……」
未森未来は、それを聞いても特に驚いた様子を見せなかった。聡い子らしい。というよりは予想通りといった雰囲気なのは俺の気のせいか。
「抗ウイルス剤を投与した。ギリギリだったけど、何とか間に合った」
「間に合った?」
思わずと言った風に笑いながら、彼女はそう言った。それから、目線を病室の床材へと走らせた。
「痛かった?」
一瞬、頭が真っ白になった。
が、すぐに落ち着きを取り戻した。
そうか。
そう言うこともあるのか。
なるほどね。
俺は肩を軽くすくめてみせた。
どうやら、彼女だけは前のループで起きた現象をなんとなく理解しているらしい。どういう理屈かは知らないけど。
「二度手間を掛けさせられたよ。お前の父親には」
「うん」
「一応言っておくが、ヘルペスは完治しない。永続的な治療が必要だ」
「へぇ」
「へぇ、って。まるで他人事だな。ちゃんとわかってるのか?」
なんだか、子供と話しているって感じがまるでしない。妙に大人びているというか。
こういう飄々とした奴が意外にも非虐待者なのだから対応に困る。元気だった奴がある日コロッと自殺した、みたいな話をよく耳にするが、こういうことなのかもしれないな。
これは人づてに聞いた話だが、うつ病だった患者が「先生のおかげで治りました!」と元気満々になっていたので安心しきっていたところ、その後に診断書を見直したら「いま死にたいと思っていますか」という質問に「はい」と記入されていているのを見逃していることに気が付いて、焦ってすぐさま本人に確認の連絡をしたところ、本人は既に自殺していたのだとか。
俺も今回の一件で、外科医だからとか言ってないでもう少し患者の様子をちゃんと見なくては駄目だと痛感させられた。
それにしても、「予言」か。
実は、俺にはあと一つ、ある懸念があった。
父親の方はどう考えたって眉唾だろうが、そう言えば父親が予言啓蒙活動に躍起になったそもそもの要因は娘の方にある。
もし、彼女の「予言の力」が本物なんだとしたら。
いや、俺のループ現象すら認知しているらしい彼女なら、予言なんてのは御手のものなのかもしれない。
だとしたら……。
「……一つだけ聞かせて欲しいことがあるんだけど」
「なに」
「この一連の騒動、お前はどこまで計画していた?」
「……」
もし未森未来の『予言』の力が本物なのだとしたら。
父親が虐待で捕まったのも、彼女がヘルペスを患ったのも。
すべてが彼女の計画通りだとしたら?
前のループでの、父親の様子を見て、ふと思ったのだ。
もしかしたら、あの父親は本当に虐待していなかったのかもしれない。少なくとも彼自身には虐待の覚えがなかったとしたら? だとしたら、彼のあれほどの焦り様にも得心がいく。
すべては、自分を搾取する毒親を確実に社会から抹殺するために計画した事だとしたら。あらゆる証拠をこの日までに捏造していたとしたら。
榎田さんが調べてくれた、パソコンに記録されていた親との性交渉の証拠。
処女膜の欠損。
性器ヘルペスの罹患。
虐待の証言。
もし俺の仮説が正しいなら、
彼女の言っていた悪魔とは……。
「……」
ほんの少しだけ、沈黙が部屋中を駆け巡った。弦を張り詰めたかのような一瞬の緊張の後、彼女は首を軽く横に振った。
「しらない」
と、白々しくもそう答えた。
結局のところ、俺にはその真偽を確認しようがない。俺が体験したループ現象が現実に起こったものなのだと証明できないのと同じように。
もしかしたら、本当に知らないのかもしれないしな。俺の杞憂なのかもな。
だから、俺は頷いた。
納得せざるを得ないだろう。必要以上の詮索はまさに藪蛇と言うやつだ。
俺からとやかくはない。知らぬがホトケ、である。
代わりに、別の話題を振った。
「どうして、虐待のことを言わなかったんだ? お前は結構聡明な奴に見えるけど」
「……さあ、よくわからない」
本当に適当な奴だな。
いや、しかしだ。
もし、未森未来が正攻法で虐待を訴えたとして、果たしてどれだけの人間が対応してくれただろうか。
今回は彼女が死にかけたこと、病院からの訴えがあったこと、確実な証拠と証言が多数出揃っていたことで、警察や保護団体は事態を重く見た。だからこそ、素早い初動で父親を逮捕、娘を保護することが可能だったのだ。
これは前のループで殺された俺にしかわからないことだろうが、追い詰められた未森劉生は極端な蛮行に走るのだ。例えば、人殺しだとか。刃物を携帯してるようなヤバい奴だしな。
もし、未森未来が彼を訴えたら。そして、警察や保護団体の初期対応が遅れたら、未森劉生は果たして何をしでかしただろうか。
そう考えると、未森未来は今回、或る意味で最良のルートを勝ち取ったのかもしれない。或いは「予言」によって選び取った末の苦肉の選択だったのか。
「まあ、なんにせよ助けられてよかったよ」
「どうも」
「どうもって……」
本当に子どもの考えてることは理解できないな。俺も子供だった時代があるはずなんだけどな。当時の俺が何を考えていたか、なんてことはもう微塵も思い出せない。
「それで、腫瘍はどうする? 一応、手術で取ることは可能だけど」
俺は深く考えるのを止め、どうせ本人に応えるつもりがない以上何を考えても無駄だしな、話そうと思っていた本題に入った。
「命に別状はないかもしれない。あるかもしれない。でも、残して置いたら間違いなく症状は続く」
頭の腫瘍。彼女に幻覚、幻聴を見せているもの。或いは「予言」の力を与えているものだ。残しておいても多分少なくとも数年は命に関わる事態にはならないだろう。
とはいえ、残しておくリスクはある。相変わらず幻覚症状はあるだろうし、てんかん発作もまた起こるかもしれない。
未森未来に残された問題は、腫瘍。それだけだった。
「必要ないよ」
しかし、未森未来は「予言」した。
「もういないから」
後日判明していたことだが、彼女の腫瘍はきれいさっぱりなくなっていた。
何故腫瘍が寛解したのか、その原因は全くわからない。人体の神秘だとしか言いようがない。
悪魔が消えたのか。
奇跡か。
それとも、ただの偶然か。
それとも、すべては始めから決まっていた事象なのか。
医者としてはただの偶然という説を推したい。
だけど、一人の、腫瘍に脳を蝕まれている一人の人間としてはどうだろう。
現代の医療技術ではどうにもならない未知の領域に直面した時、俺は一体何を信じるのだろうか。
一つだけ確かなことがある。
少女が退院して以降、それまで俺の身の回りで起きていた妙な現象が、ぴたりと起きなくなった。
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