憑依 七



 人気の全くない休憩室にて一人、俺は考え込んでいた。


 あれは幻覚だったのか。全ては夢の中の話だったのか。楽観的に考えるならば、それが正しい。しかし、もしあれらが全て現実に起きていたとするならば、先ほどの出来事……と言っていいのかよくわからないが、それをどう解釈する?


 ――悪魔を倒さないと。


 夢か現か、ともかく未森未来は俺にそう言った。


 「倒す」というのは、どういうことだ。この時間軸からの脱出を意味しているのだろうか。それとも彼女が患っている疾患そのものを指しているのか。


 そうでなければ困る。


 となると、悪魔が何か、だが。


 何を指しているのだろう。


 彼女の頭の中の腫瘍のことか?


 それとも俺の頭の中の腫瘍だろうか。


 はたまたまるで別のものを指しているのか。


 手っ取り早いのは彼女に子細を尋ねることだが、肝心の本人は何を聞いても梨の礫だし、いざ口を開いたかと思えば禅問答のような受けごたえしか返ってこない。やまびこと会話してるようなものだ。


 今できることは一つ。


 彼女の死因を探り、治療することだけだ。彼女の病気を治したところで、このループが終わるという物理的な証拠などはない。ただの子供の妄言を俺が真に受けているだけなのかもしれない。その可能性の方がはるかに高い。


 だが。


 実のところ、彼女の死が、未森未来の死がこの時空間的ループの始まり、そのきっかけ、トリガーなのだという確信が、確証もなく俺の胸の内に芽生え始めていたという事実は否めなかった。馬鹿馬鹿しいとは自分でも思うけれど、直観的に理解できたのだ。


 そうでなくとも、今回のタイムループ現象は、今までの散発的異常現象とは違い、彼女を起点に発生していると見てまず間違いないだろう。


 方針は決まった。後は行動あるのみ。


 未だ震える脚に活を入れて、俺は重い腰を上げるのだった。









 うーん。


 ナトリウムの値も正常だ。


 チームのいない会議室に独り籠って、未森未来の電子カルテを確認する。検査技師たちによる彼女の身体の調査はすでに終わっている。


 おそらく彼女は脳腫瘍以外にも別の病気を併発しているのだ。だから、脳腫瘍による症状以外の症状を見つけ出さなければならない。もっと多くの検査をしなければ。


 だけど、一見してそれらしき症状は見つからない。


 或いは、か、だ。


「……」


 もしそうだとするならば、腫瘍が原因でないのなら、あの急激な発熱の原因は一つしかない。


 あれほど急速に悪化するのは、間違いなくの仕業だ。つまり、感染症だ。


 問題はその種類が何か、だが。何千、何万種類も存在する細菌やウイルスを、手当たり次第に探していたんじゃ間に合わない。今から色々な検査とその結果を待っている余裕はない。ある程度種類を絞っておかなくてはならない。


 病気の正体について、俺は一つ心当たりがあった。


 もし、俺の思っている疾患なのだとすれば、今すぐにでも治療が必要だが、その前に確実な証拠が欲しかった。どんなに有効な治療も、は話にならないから。


 やるなら、確実に父親をならない。だけど、その覚悟を持つには確実な証拠が欲しい。


 だから、電話を掛けた。人気のないところで、誰にも聞かれないように、ひっそりと。緊張と共に八回ほどコールが鳴った後、は電話に出た。


『はいもしもし』

「榎田さんですか?」

『もちろん。あ、声を忘れちゃいましたか?』


 いや、覚えている。電話越しにも伝わってくる独特の雰囲気は忘れようにも忘れられない。一見すると平凡にも感じられるのが、それがなおのこと彼の不気味さ、異様さを駆り立ててくる。


 と言うのも、榎田さんは俺の知り合いの中でも、相当変わった経歴を持っているのだ。


『無理もありませんね、最後にあったのがもう何年も前の話ですし。でも私ははっきり覚えてますよ。なにせ命の恩人ですからね。で、今日はどういった御用で』

「いえ、俺もはっきり覚えてます。確か、榎田さんって、現在は探偵業をされているんですよね」

『ええ、命拾いして以降ドロボウ家業からは足を洗いましたから』

「……その腕を見込んで頼みたいことがあります。今から言う住所に入って、そこで調べて欲しいことがあるんです。極秘で」

『入るってですか?』

「……ええ、まあ」

『いいですよ。引き受けましょう』

「即答ですか」


 こちらは犯罪をしろと頼んでいるというのに。


『構いませんよ。さすがに殺人だったら御免でしたけど』

「すみません。ありがとうございます。お代は……」

『結構です』

「でも」

『いいってことです。丁度、浮気調査ばかりで退屈していたところですから。それで、具体的には何をすれば?』

「その住所に住んでいるのは娘と父親の二人なんですけど、調べてもらいたいのは父親の方です。彼の―――」


 一通り指示を終えると、榎田さんはあっさり承諾、電話を切った。 


 よし、これでいい。


 携帯で時間を確認する。


 三月十九日 午前九時半。


 さて、間に合うかどうか、といったところか。










 そして、三月十九日 正午。


『もしもし、安藤さん? 見つかりましたよ。入れ食いです。パソコンの中とか、色々入ってました。この父親よ。とんでもない奴です』

「そうですか。ありがとう」

『いえ、また何かあったらご連絡します』

「わかりました」


 榎田さんからの報告を一通り聞いた俺は、感謝の言葉を述べて彼との電話を切った。


 これで、違法にではあるが、証拠が手に入った。もちろん、これらの証拠は使わない。あくまでも俺が確証が欲しかっただけだ。


 その確証を手に入れた。


 なら、後は動くだけだ。


 俺の考えが正しければ、これで未森未来は助かるはずだ。


 むしろ、問題は


 俺は今日、人一人の人生を









「すみません」


 俺が病室の中に入って声をかけると、未森未来の傍にずっと付き添っていた未森劉生がこちらを振り向いて、


「はい、なんでしょう?」

「実は、娘さんの治療に輸血用の血が必要なのですが、娘さんに適合する輸血用の血の在庫が若干枯渇していまして」

「は、はぁ」

「それで、未森さんの血を使わせていただけないかと思いまして」

「……ああ、なるほど!」

「協力していただけませんか」

「それはもちろん」

「では、娘さんに未森さんの血液が適応するかどうか検査したいのですが、お時間をいただけますかね。白戸、賀茂川」


 病室の扉付近で待機させていた研修医たちに声をかける。


「血液検査だ。彼をしてくれないか」

「はいっす」

「……了解」

 

 白戸秀之と賀茂川長暁は各々適当な返事をして、二人は未森劉生を連れて病室を出ていった。


 研修医の一人、市川遥もその後を着いて行こうとするのを、俺は引き留めた。


「待った、市川はここに残ってくれ」

「えっ?」


 それから、俺はベッドの上に寝かされている「未森未来」の方へ身体を向け直す。


「さて」


 未森未来は、こちらをじっと見てきた。彼女の瞳はいたって理性的であり、あまり子供だという感じがしない。子供と会話するのは苦手だが、未森未来とならそれほど緊張せずに話せそうだ。


「あの……私、お守りはあまり得意じゃないんですけど」


 市川遥が申し訳なさそうにそう言ってきた。


「大丈夫、でいい」

「?」


 首を傾げる市川遥を他所に、俺は未森未来に話しかけた。


「実は、君と色々話したいことがあるんだ。ね」

「えっ? 安藤さん、まさか……」

「ゴメンちょっと黙っててくれるか」


 余計なことを口にしそうになった市川遥を、若干キレ気味に制した後、


「君のお父さんが、どんな人か聞かせて欲しいんだ」

「優しいお父さんだよ」


 未森未来は目を伏せがちにして、応える。


「私のこと、大事に育ててくれる」

「育てる?」

「ご飯を食べさせてくれるし、学校にも行かせてくれる。好きな服も買ってくれるし」


 市川が、ハッとして俺にアイコンタクトを送ってくる。俺は小さく頷いて応えた。


「それに、私のことを特別だって」

「特別って、具体的には何が特別なんだ。 教えてくれないか」

。あくまの力が使える」

「予言か」


 このままじゃまた禅問答のような、拉致のあかない会話が始まりそうだった。だから、俺はカマを掛けることにした。


「君は俺にも悪魔が憑いてるって言ってたよな。実は、俺も悪魔の力が使えるんだ。いや、って言った方が良いかな」

「……」


 未森未来は黙りこくってはいたが、こちらの話を真剣に聞いているようだった。また、市川もアホなことを言い出した俺の言葉を遮らず、空気を読んでこの場を見守ってくれている。


「悪魔は色々俺に教えてくれる。君の身体に関することを」

「……」

「悪魔の話だと、君の身体に何か悪さをする奴がいるんだ。でも、俺の悪魔は意地悪だから、肝心な部分を教えてくれない」

「……」

「だから、君が教えて欲しい。「誰か」が君の「どこか」に「何か」をしたはずなんだ」

「……」

「それを、俺に教えてくれないか。頼む」


 一瞬の逡巡が未森未来の顔を駆け巡った。


 それから、彼女が口を開く。


「あ」


 あ?


「あくまが」


 またそれかよ。思わずがっくりときた。


「……いや、俺が知りたいのは悪魔の――」



「あくまがっ!!」



 その時、急に未森未来が叫び始めた。今まで理性的な態度を保ってきたあの大人びた子供が。スかした態度の子供が。


「どうした? 大丈夫か」

「来るなっ! 触らないでっ!」


 俺が近づこうとすると、未森未来は手足をバタバタと暴れさせて激しく拒絶してくる。どう見たって尋常じゃない。


「急にどうして」

「発熱だ」


 戸惑う市川に、俺が未森未来の身体を抑えながら体温を測る。素手でもわかる異常な体温。


「高熱で幻覚を見てるんだ。それにも」


 俺が押さえている間にも、未森未来はギャーギャーと金切り声を上げている。こんな声出せたんだな、コイツ。


「まさか、腫瘍が悪化した!? 速く手術しないと」

「違う! 早くを点滴静注だ!」

「は、はい! って、えっ?」


 市川はワンテンポ遅れて驚いたような声を上げる。


「アシクロビルって……いや、でも、彼女はですよ!? そんなこと……あ、そうか、ってことも……」

「わかってる。だから、それを詳しく調べる必要がある!」俺は叫んだ。「速くしてくれ!」

「は、はい。すみません」

「それと、福良先生も呼んできて」


 多分、あの人が最もからな。


 暴れる患者を抑えつつ、俺は頭の中であの優秀で高飛車な若き女医の姿を思い起こしていたのだった。




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