12:30『食堂』


「ええ!? 唐揚げ定食売り切れちゃったの!?」


 午前中の仕事を何とか終えて、ひと足遅れてお昼ご飯を食べにきた社内食堂。



 大多数の社員はすっかり食べ終わって、入れ違いに食堂を出ていく。



 そんな中、食堂のおばちゃんとカウンター越しに対峙するあたしは愕然としてて。



「ごめんね、くるみちゃん。今日遅いから外に食べに行ったのかと思って全部出しちゃったのよ」


 おばちゃんの言葉に更に愕然とした。



 今日は本当にツイてない。



 大好物の唐揚げ定食すら食べられない。



 肉と言えばとりなあたしが大好物の、週イチ限定の唐揚げ定食が売り切れた。



「…………ショック」


「ごめんねえ」


 別におばちゃんは悪くないのに、申し訳ないって顔をする。



 両眉尻を下げて、申し訳ないって顔いっぱいで言ってくる。



「ううん! おばちゃんが悪い訳じゃないから!」


 そうだ。



 おばちゃんは悪くない。



 どれもこれも全部が全部、天川智明の所為なんだから。



 午前中の仕事が遅くなったのも天川智明があんな事を言ったからだし、あんな事さえ言わなかったら『給湯室』に居座る事もなかったし、午後から在庫整理に行けって言われる羽目にならなくて済んだ。



 唐揚げ定食だって売り切れる事はなかったし、おばちゃんがこんな風に申し訳ないって顔する事もなかった。



 全部が全部、天川智明が悪い。



 あいつ以外に悪い奴はいない。



「えっと、何が残ってる?」


 唐揚げ定食じゃないならもう何でもいいやと思うあたしに、おばちゃんは煮魚定食を出してくれた。



 ツイてない日はツイてない事ばかりが起こる。



 こういう日は黙って流れに身を任せて、悪足掻きしないのに限る。



 そう思ってた。



 そう言い聞かせた。



 それが今日を乗り切る為に必要な事だって言い聞かせたのに。



「……よお」


「…………」


 トレイに載せてもらった煮魚定食を持って、若干荒んだ気持ちでいつものテーブルに着いたあたしの目の前の席に、何故か天川智明が居やがった。



 一体何のつもりだろうか!



 どうして今日に限ってこんな事が起こるんだろうか!



 普段は滅多に見る事のない天川智明の姿を、今日はどうしてこんなに何度も……!



「今から飯?」


「…………」


 話し掛けられる意味が分からない。



 話し掛けてくる意味が分からない。



 あんな事言ったくせに、何もなかったかのように話し掛けてくるその神経が分からない!



「遅い昼飯だな。午前中忙しかったのか?」


「…………」


 あんたの所為でね!



 午後から在庫整理だしね!



 何もかもあんたの所為なんだから、悠長に話し掛けてこないで欲しいんだけど!



 そもそもあんた何でここにいんの!?



 外回り行けよ!



 外回りついでに蕎麦屋で蕎麦食ってこいよ!



 それが営業の定番だろうに!



 何でここに――ってか、何で唐揚げ定食食ってんの!?



 何であんたが、あたしが食べたい唐揚げ定食食らってんの!?



 あり得なくない!?



 あんたの所為で昼ご飯遅くなったのに!



 その所為で唐揚げ定食食べられなかったのに!



 何であんたが唐揚げ定食――。



「……欲しいのか?」


「は!?」


「唐揚げ……」


「はあ!?」


「いや、ガン見してるし」


「し、してないし!」


「……食う?」


「いらない!」


 本当の本当は喉から手が出るほど欲しいけど、天川智明から貰うなんて事、絶対に絶対にしたくない。



 そもそも唐揚げを貰うほどの仲でもないし、こうして喋ったのだって今日が初めてで、それもこれも「あの事」があったからって理由だから、こうして話してる方がおかしい訳で。



「もう関係ないんだから話し掛けないでよ」


 ツン——と、自分でも憎たらしいと思うような態度に出た。



 ……のに。



 あたしはどこからどう見たって、憎たらしさ全開の態度だったのにも拘わらず。



「別に普通に会話するくらいいいだろ」


 天川智明は物凄く冷静に口を開く。



 まるでツンケンしたあたしが子供だって言わんばかりに。



 俺は大人だぜってアピールするかのように。



「同僚なんだし、知らない仲でもないんだし、会って話さない方がおかしくねえ?」


 そんな事を言いやがる。



 いやいや、お前の脳内がおかしくね!?



 その無神経さがおかしくね!?



 何故なにゆえヤるだけヤったあと、女がいるって暴露しちゃうような男と、普通の会話しなきゃなんないんだっつーの!



 バカじゃね!?



 脳みそ足りてねえんじゃね!?



 あんだけ腹立たしい事言っといて、普通に会話出来る訳ないじゃん!



 あたしはあんたと違って繊細なんだっつーの!



 あんたみたいに何でもかんでも割り切れるほど大人じゃないんだっつーの!



 でもそんな事、あんたにいちいち言うのもムカつくから――。



「…………かもね」


 ここはちょっと大人な感じに見せておくけども!



 あんたにガキだって思われたくないしね!



 もう二十五だしね!



 二十五歳でたった一晩の事をいつまでも根に持ってる女だって思われるのも癪だしね!!



 本当は物凄い引きずってるけども!



 今日、眠れないんじゃないかって思うくらいに引きずってるけども!



 でもあんたにそんな事悟られたくないから、めちゃくちゃ大人ぶってやるけどね!



「ところで天川さん、どうしてここにいるの?」


「へ?」


「営業でしょ? 外回りは?」


「今日は予定がない」


「は? 営業でしょ?」


「営業って外回りするだけが仕事じゃないぞ?」


「…………知ってるし」


「あっ、そう」


「外回り行けば?」


「は?」


「今日、凄く暑いんだって。外回り行って熱中症で倒れてしまえばいいのに」


「…………」


「半分、冗談」


 ふふん、と鼻で笑って大人の笑みを浮かべてやった。



 大人の余裕的な感じを見せてやった。



 余裕さの中に嫌みを込めるという高等技術まで駆使してやった。



 なのに。



「水戸さんって、本当分かりやすい性格してるよな」


 天川智明は悔しい顔どころか、涼しい顔でそう言って。



「んじゃ俺、誰かさんと違って忙しいから」


 カタンと椅子を小さく鳴らして席を立つ。



 嫌みをがっつり返された。



 一番言われたくない奴に、今日あたしを忙しくした張本人に、そもそもの元凶に、嫌みをがっつり返された。



 でも。



「…………」


 何か言い返さなきゃって思うのに、そんなに次々言葉が出ない。



 嫌みは嫌みで返したいのに、頭に浮かぶ言葉は「バカ」とか「ハゲ」とか小学生並の言葉ばかり。



 だから余計に悔しくて、必死で言葉を探してるのに。



「良かったらどうぞ」


 にっこりと、営業スマイルをかましながら、天川智明は残った唐揚げをあたしに差し出す。



「…………くっ」


 出た言葉がそれだった。



 何が言いたいのか自分でも分からない、小さな小さな一言だった。



 次の言葉も出てこないし、どういう反応すればいいのかも分からない。



 そんな内心パニック状態のあたしに。



「箸は付けてないから」


 お皿の上に二つ残った唐揚げを置いて、天川智明は食堂を出ていく。



「…………」


 残された、唐揚げ。



「………………」


 大好物の唐揚げ。



「……………………」


 ツイてない今日の唯一のツキになるかもしれない、唐揚げ。



「…………美味しい」


 別に物に釣られた訳じゃないけど。



 こんな事されたからって天川智明を許そうとは思わないけど。



 だけどほんの少しだけ、怒りが治まった気がした、単純なあたし。

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