10:40『給湯室』
「水戸さん、一体どういうつもり?」
『給湯室』に入って開口一番、天川智明がそう言った。
口を塞がれてた手を離されて、しづらかった呼吸をするあたしに、怪訝な声でそう言った。
―― 一体どういうつもり?
…………何が?
え? あたし?
あたし、そんな事言われる側なの!?
あたしってば言う側じゃなく、言われる側なの!?
え!? マジで!?
—―なんて。
当然納得出来る訳もないから。
「…………は?」
あたしの口から出るのはそんな言葉。
もちのろんでバカにしてるって感じをありありと出した。
ここぞとばかりにバカにしてる感たっぷりに言った。
なのに。
「だから、どういうつもりか聞いてんだけど」
天川智明には通用しない。
不機嫌だって感情を全く隠す様子もなく、胸の前で両腕なんか組んじゃって、見るからに偉そうな態度。
傍から見ればどう見ても、説教してる天川智明と、説教されてる水戸くるみ。
…………え? 何で?
全面的に天川智明が悪いのに、何でこうなってるのか意味が分かんない。
どういうつもりも何も先に「あの事」言い出したのはそっちのくせに。
「水戸さん、何企んでんの?」
最早あたしが何やら作戦を練っている事になってるらしい。
意味分かんない。
絡まれてる意味が分かんない。
何でこんな目に遭うのか、全く意味が分かんない。
そもそもそっちが悪いくせに。
あたしは何にも悪くないのに。
あのまま「さようなら」でもう二度と、会話を交わす事なんてない予定だったのに、
「まさか俺と付き合いたいって思ってる訳じゃないよな?」
何を血迷った事を言い出すんだか、天川智明は偉そうな物言いをする。
「は?」すらも言えなかった。
呆れて何も言えなかった。
一体あたしの態度のどこに、そんな雰囲気を見出したのかと、呆れに呆れて呆然とするしかなかった。
「悪いけど俺、女いるし」
…………いや、そう何度も言わなくても分かってるし。
「水戸さんとどうこうなろうってつもり全然ないし」
…………いや、あたしもないし。
「だから、そういう態度やめて欲しいんだけど」
…………え? どういう態度?
「あからさまに『何かありました」って態度、しないでくれねえかな」
…………してないし!
全然そんなのしてないし!
そりゃ確かに多少は挙動不審だったかもしれないけど、それでもあのまま「さようなら」で終われたはずじゃん!
なのに「あの事」持ち出してきたのはそっちじゃん!
何であたしが悪者なの!?
何であたしが悪役なの!?
何で女いるのにあたしに手え出したあんたより、あたしが悪者になっちゃうの!?
ダメすぎる!
こんな男ダメすぎる!
最低とか最悪とか、そういう言葉じゃ済まないくらいダメすぎる!
あんた良いのは顔だけで、性格まるでダメ男!
…………いや、セックスも善いけども…………!
「そんなつもりないんだけど!」
堪忍袋の緒が切れて、怒鳴ったあたしに天川智明の「え?」って声。
少し驚いたって感じであたしを見る目は、戸惑いがある。
だけどあたしの勢いは、もう止める事が出来なかった。
「あたし、そういう態度したつもりないけど!」
「は?」
「先に今朝の事持ち出したのはそっちでしょ!? なのに何であたしがそんな言われ方しなきゃなんないの!?」
「…………」
「バレたくないならあの件に触れなきゃいいじゃん! わざわざ突いてきたのそっちでしょ!」
「お、俺は心配して——」
「心配!? 心配って言った!? え!? それって何の心配!?」
「だから、風呂から出たら水戸さんがいなかったから――」
「だから何!? あたしがどうしようと関係ないでしょ!? 関係ないんでしょ!? だったらほっといてくんない!?」
「…………」
「ああ、分かった! そういう事ね! ホテル代半分出せって言いたいんでしょ!?」
「は? そんな事一言も言って――」
「出すわよ! 出せばいいんでしょ! 5000円で足りる!? 足りない分は出してよね!」
「おい、別に金は――」
「これでお互いすっきりするでしょ! これですっきり終われるでしょ!」
「…………」
「もう金輪際、あたしに関わらないでよね!」
「やっぱ」
「は?」
「やっぱ水戸さんってそういうタイプなんだな」
「は? 何?」
「簡単に、関係持った男と他人になれんだ?」
「はあ?」
「いや、そうなんだろうとは思ってたけど」
「はあん!?」
「だってあれだろ? 付き合ってた男にフラれたばっかなんだろ?」
「はああん!?」
「フラれたばっかで他の男に抱かれるくらいだから、そういうタイプなんだろうって思ってたけど、やっぱそのまんまなんだな」
「はああああん!?」
「まあ、俺が言う事じゃないけど。そういうタイプだと思ったからシた訳だけど」
「あああああん!?」
「でも俺としては一応心配したんだよ。急にいなくなってるから、何かあったんじゃねえかって」
「…………」
「それで聞いただけだったんだけど、そういうのも気に入らないんだな」
「………………」
「まあ、俺としてはそれくらい割り切ってもらえる方が有り難いし、気も楽だけど」
「……………………」
「そういう事だから、金はいいよ」
「…………………………」
沸々と沸き上がる怒りの感情。
これをきっと世間では「殺意」と言うに違いない。
何にも知らないくせに。
何にも分からないくせに。
あたしが一体どんな気持ちで今ここに立ってるのかさえ、一ミクロンも分からないくせに、天川智明は涼しい顔で、渡したお金を返してくる。
そんなものいらない。
お金なんていらない。
散々侮辱された挙句に、お金を返して欲しくなんてない。
だけど余りの怒りから、何も出来なくなってた。
ほんの少しでも動いたら、何かが壊れてしまう気がした。
たった一言でも発したら、悔しくて泣いちゃう気がした。
こんな男の前で泣きたくないと思う。
ギリギリのプライドがそう思わせる。
泣いて勘違いされたくもないし、「ウザい」って顔されたくもない。
だから足に力を入れて、一生懸命その場に立ってた。
床が崩れて奈落の底に落ちてしまいそうな気持ちを、何とか抑えてその場に立ってた。
膝がプルプル震えてる。
バカみたいに震えてる。
絶対それには気付かないでと願うあたしに天川智明は、「じゃあな」と軽く肩に触れる。
腹立たしかった。
触られた個所を拭いたかった。
だけどあたしはその力で――軽く触れられただけの力で、その場に膝から崩れ落ちた。
限界だったんだと思う。
もう立ってる事すら出来なかったんだと思う。
――ただ。
「おい!? どうした!?」
驚いた声を出した天川智明が、目の前にしゃがみ込もうとするのだけは阻止したいと思った。
「関係ないでしょ!」
最後の気力的なものを振り絞って叫んだら、天川智明は「は?」と怪訝な声を出す。
それがまた苛立ちを増幅させ——。
「あっち行って!」
喚いたあたしに天川智明はもう何も言わずに去っていった。
床に着く両手にギュッと強く拳を握る。
天川智明に言われた言葉が頭から離れない。
悔しすぎて――吐き気がする。
でもきっとそんなに悔しいのは、言われてる事の半分は間違ってないから。
結局そういうタイプの女だと思われるような行動をした事に変わりはないと分かってるから。
たった一度の出来事が、そういうタイプだとレッテルを貼る。
今までこんな経験なかったのに、そういうタイプだと思わせる。
それが悔しくて仕方ない。
悔しすぎて涙が出そうになる。
でも絶対に泣きたくなかった。
一度泣いたら立ち直れない気がした。
お腹の底から上がってくる悔しい涙を必死に呑み込み――。
それでも暫くの間、『給湯室』から動けなかった。
――だから。
「君は名刺を持っていくのに一体どれだけ時間を掛ければ済むんだ!?」
庶務課に戻って早々、課長に叱られた。
こってりねっとり絞られた。
その上。
「君、午後から倉庫ね」
「は?」
「在庫整理」
「…………は?」
最悪な仕事を押し付けられた。
……マジで今日はツイてない。
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