6:20『ホテル』


 二十五歳にもなって何を夢みたいな事を――と、朱莉は言うし、正直自分でもどうかとは思う。



 でも女なら誰しもドラマみたいな恋がしたいって思っちゃうと思う。



 それはいくつになっても変わらない事だって思う。



――でも。



「…………」


 あたしが望んでたのは、ド定番な恋愛ドラマであって。



「………………」


 決してAV的モノじゃない。



 どれだけ飲んでも、仮令たとえ頭痛が酷い二日酔いであろうとも、いつもの起床時間に目が覚めるあたしの隣には、スヤスヤと眠る裸の男。



 もちろんあたしも全裸全開。



 これは俗にいう行きずりの――。



 ちょっと待って。



 ちょっと待って。



 これは――ちょっと待って。



 記憶がない。



 あるにはあるけど、経緯の記憶が全くない。



 むしろ、どういう経緯でこうなったのかは分からないけど、情事の記憶だけはしっかりある。



 ……かった。



 確かに善かった。



 めちゃくちゃ善かった。



 酔って開放的になってるんだか、失恋の鬱憤だか、最近ご無沙汰での欲求不満だか、どれが要因だかよく分からないけど、かなり燃えた。



 相当燃えた。



 燃え尽きた。



 それは覚えてる。



 けど、どうしてここ――ラブホテルに来たのかさっぱり覚えてない。



 そこんとこの記憶がすっぽり抜けてる。



 けどいい。



 そんな事は今のあたしにとって最重要な事じゃない。



 何より重要なのは隣の、スヤスヤと気持ち良さそうに眠るこの男が。



「……んっ、……目、覚めた? 水戸みとさん」



――同じ会社に勤めてる男って事……!



 何であんたがここにいんの!?



 何であんたとあたしがヤったの!?



 一体どこであんたと合流したの!?



 昨日一体何があったの……!



 なんて言いたい気持ちを何とか抑え込み、とりあえずは「おはよう」と言ってみる。



 言ってみるけど、何であんたが……!



「…………」


「……どうした?」


 左手で目を擦りながら、まだ眠いって雰囲気醸し出して体を起こす営業の天川あまかわ智明ちあき



 二つだか三つだか年上の、課の違うこの男を知ってる理由は。



「何? 俺の顔に何かついてる?」


 この――容姿の所為。



 社内で一、二を争う格好いい男。



 仕事も出来ちゃう、格好いい男。



 社内でこいつを知らない女子社員なんていない。



 社内でこいつに抱かれたくない女子社員なんていない。



 でもだからって何であたしが……!



「水戸さん?」


 無防備に、全裸にシーツを纏った色気たっぷりの格好であたしに顔を近付ける天川智明。



 少し色素の薄い瞳が、ベッドの端に座るあたしをジッと見つめる。



 畜生、やっぱりイケメンだ!



 近くで見るとめちゃくちゃ好みの顔だ!



 だけど何であたしがあんたと……!



「こ」


「こ?」


「こ、この度の事は――」


「この度?」


「ど、どのような経緯で――」


「ん?」


「あの、その……だから……」


「ああ、覚えてない?」


「…………」


「全然覚えてなかったりする?」


「………………」


「結構燃えたんだけど」


「……………………」


「それも覚えてない?」


「…………………………」


「水戸さん、相当激しか――」


「その部分は覚えてるから!」


 これ以上、「その時」の事は恥ずかしいから触れて欲しくなくて、大きな声で遮ったあたしに。



「そりゃあんだけ乱れておいて、忘れたって事はないよな」


 天川智明は意地の悪い事を言う。



 一気に顔が熱を帯びた。



 ボッて顔から火が出た気がした。



 自分でも分かるくらいだから、当然天川智明にも、それは分かりやすく伝わったらしく。



「いいじゃん。俺、そういう女好きだし」


 慰めだか何だか分からない事を口にする。



 そういう女って何だろうか。



 乱れちゃう女の事だろうか。



 もしや、簡単に体の関係持っちゃう女って事だろうか。



 まさかそんな女だと思われてんだろうか。



 天川智明の言葉を解読すれば、「そういう女」が好きであって、「あたし」を好きって訳じゃない。



 これは遠回しに遊びだったと予防線を張られてる気がする。



 もしかしたら、今後もそういう軽い関係を続けようと思ってるのかもしれない。



 いくら天川智明がモテるっていっても、体の関係だけを築くのは難しいはず。



 色恋抜きでそういう関係を築くのは、いくら天川智明でも難しいはず。



 だから天川智明はあたしの事を、飛んで火にいる何とやらだと思ってるのかもしれない。



 いや、間違いない。



 絶対そうに違いない。



 男なら誰だって、簡単にヤれる女がいるのは嬉しいはずで、そこに面倒臭い駆け引きが必要ないなら、更に嬉しいはず。



「…………」


「どうした? 体調悪い? もしかして腰痛めたとか?」


 ここはきっちりしとかなきゃいけない。



 これが最初で最後だって示しておかなきゃいけない。



 あたしはそういう軽い女じゃないし、そりゃ今回はこういう事になっちゃったけど、こんな行きずり的な情事は初めての経験で――。



「あの」


「ん?」


「その……昨日……っていうか今日っていうか……あたしたちがシた事なんだけど」


「うん」


「わ、忘れてくれない?」


「忘れる?」


「な、なかった事にして欲しいんだけど!」


「…………」


「ちょ、ちょっと経緯が思い出せないから、あたし失礼な事言ってるかもしれないけど、今回の事はなかった事に――」


「分かった」


「――へ?」


「ってか、その方が有り難い」


「は?」


「俺、女いるし」


「はあ?」


「責任取れだとか騒がれても困るんだよな」


「ああん?」


「だから水戸さんがそう言ってくれて、逆にホッとしてる」


「はああああん!?」


「シャワー、先に使うな」


 あたしの声なんてまるで聞こえてないって感じで、ベッドから立ち上がった天川智明は、当然のようにそう言って、さっさとバスルームに入っていく。



 部屋に残されたあたしは何とも言えない、複雑な心境だった。



 忘れてくれとはあたしが言った。



 それが一番いいと思った。



 このまま体の関係を続けていく気にもなれないし、かと言って「付き合って」って言うのも違う気がした。



 本当は「付き合って」って言いたかったけど、天川智明とじゃ釣り合わない。



 そんなのちゃんと分かってるから、「忘れて」の方を選んだ。



 そうやってあたしは色々考えての結果なのに、天川智明は最初からそのつもりで――。



 冗談じゃない!



 体の関係続けるどころか、最初から一回だけのつもりだったんじゃん!



 遊びも遊び、端っから全く「その気」はなかったんじゃん!



 女がいる!?



 女がいるだと!?



 女がいるのにあたしとシただと!?



 これ、どうなの!?



 どうなの、これ!



 これって許されるの!?



 え!? 許されるの!?



 いやいや、許されないでしょう!



 こんな事絶対ダメでしょう!



 ただの浮気男じゃん!



 顔がいいからって調子乗ってんじゃねえの!?



 たっぷり気持ち善くなったあたしが言うのもなんだけども!



 久々に満たされちゃったあたしが言うのもなんだけども!



 それって絶対ダメでしょう!



 あたしの事も彼女の事もバカにしてるでしょう!



 何なのあの男!



 何て男なの!



 絶対的にあんな男は――。



「――くたばれ!」


 バスルームに向かって大声を出して、急いで服に着替えたあたしは、足早にラブホテルの一室をあとにした。

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