0:05『居酒屋』


「いやいや、聞いてんだけどさ。論点どんどんズレてきちゃって、疲れてきた」


 駅前の居酒屋のテーブル席で、目の前に座る高校の同級生の朱莉あかりが憎たらしい事を口にする。



 さっきから枝豆ばっか食らってるこの女は、女のくせにお洒落にも化粧にも何の興味もなく、今日もTシャツとジーパンのスッピン姿で椅子の上で胡坐あぐらを掻く。



 おっさんだ。



 最早おっさんと化してる。



「くるみちゃんは結局何が言いたいの? 初恋の話?」


 そのおっさん――もとい、朱莉の隣に座る、これまた高校の同級生の一葉かずはは、朱莉とは正反対の性格で、脳内はお洒落と化粧と如何に男にモテるかって事しかない。



 魔女だ。



 ある意味、魔女と言ってもいい。



 プンプンと香水だかフェロモンだか撒き散らすこの女は、魔女の化身に違いない。



「初恋の話じゃないわよ! それは話の流れでしょうに!」


 そんなふたりの中間の位置にいるのがあたし。



 それなりにお洒落や男に興味はあるし、三人の中じゃ一番まともな職に就ついてる。



 それは別に職業差別してるって訳じゃなく、一番安定してるってだけの意味。



 朱莉はグラフィックデザイナーなんて小洒落た仕事をやってるけど、就職先は個人事務所で、今のご時世いつどうなるか分からない状態らしい。



 貯金もなくて、たまに家の電気が止まる。



 この間、また給料を下げられたって笑ってたけど、将来に不安を感じないのかって不思議に思う。



 一葉はその趣味を大いに生かして、ファッション雑誌の編集者なんてやってるけど、就業時間がバラバラで物凄く不規則な生活してる。



 肌荒れ予防に飲んでるサプリの数がバカみたいに多い。



 サプリだけでお腹いっぱいになっちゃうんじゃないかとすら思う。



 だからOLをしてるあたしが、一番安定してて一番まともな生活送ってる。



 一応、そこそこ大きな企業に就職してるし、もし会社が倒産しても当分の間は何とかなるくらいは貯金もある。



 それに会社は、たまに残業させられても、基本的には九時五時で、夜遊びさえしなければ寝不足で肌が荒れるなんて事はない。



――なのに。



 三人の中じゃ一番まともな生活を送ってるのに、さっきからこのふたりはあたしを憐れんだ目で見る。



「まあ、とどのつまりが、フラれたんでしょ?」


 枝豆を引き千切るように食べながら、慣れた口調で話す朱莉。



「結局、フラれた愚痴を零したいだけだよね?」


 鮮やかな色の口紅が塗られた唇を、いつもの如く動かす一葉。



「…………」


 そんなふたりに言い返せない、あたし。



「別に愚痴なら愚痴でいいんだけどさ? それなら早く本題に入れって話。片想いとか初恋の話はどうでもいいから、本題に入ってよ」



 ――憎たらしい。



 けど、間違っちゃいない。



 結局今日あたしが、お金がない朱莉と忙しい一葉を、奢るからって言って無理矢理集めたのは、ふたりが言う通り愚痴を聞いてもらう為。



 三ヶ月付き合ってた男にフラれた。



 一週間前、フラれた。



 フラれた理由は毎度毎度――。



重いって言われた?」



 ――同じ理由。



って言うな、バカ朱莉」


じゃん。いつも同じ理由じゃん」


「違う! その前は『重い』じゃなく、『疲れた』だし!」


「一緒だし」


「一緒じゃないし!」


「『重い』から『疲れた』んじゃん」


「何だとお!?」


「怒る相手、間違ってる」


「…………」


「絡み酒なら付き合わない」


「……根性悪」


「悪くて結構」


「あ、あんた、こんな時くらい優しく出来ないの!?」


「優しくしてんじゃんか。こうやって集まってんじゃん」


「タダ飯食らえるから来てんでしょ!」


「失礼な! 八割そうでも二割は優しさで来てんだし!」


「二割!?」


「有り難く思いなよね」


「二割なのに!?」


「二割で充分でしょ」


「二割で充分!?」


「だってくるみの失恋話、もう聞き飽きてんだってば」


「はあああ!?」


「だってそうじゃん! 毎度毎度フラれる理由一緒だしさ? あんた学習能力なさすぎんのよ」


「はああああ!?」


「そりゃ、スマホを勝手にチェックする女、誰だって重いって感じるに決まってんじゃん! しかも暇があればメッセージ送りまくり、電話掛けまくりで、息吐く暇もないじゃん!」


「はああああああ!?」


「あんたには必要ないかもしれないけど、他の人は『自分の時間』ってものが必要なの。いつもいつもあんたにばっか構ってらんないんだって!」


「はああああああああん!?」


「そういうのを『プライベート』って言うの! 二十五歳にもなって、彼氏のプライベート侵害すんのやめなよね!」


「はああああああああああん!?」


「大体あんたは――」


「まあまあ、朱莉ちゃん。今日はそれくらいで。くるみちゃんもそう熱くならないで、ね?」


 慣れた感じで言い合いを止めた一葉は、いつの間にか立ち上がってたあたしに座るように目配せしてくる。



 だから仕方なく、不貞腐ふてくされてる感たっぷりにドカッと椅子に座り直すと、朱莉はあたしを一瞥してテーブルに置いてあった煙草を手に取った。



「くるみさ? もうずっとそうじゃん? 高校の時からずっとそう。『何してんの?』『どこにいんの?』『誰といんの?』『会いたい』。そんな事ばっか言ってたら、相手も疲れるんだって」


 食費を削ってまでも購入する煙草を口に咥え、おっさん丸出しの仕草で偉そうな物言いの朱莉の言い分は、きっと間違ってない。



 ちゃんと頭では理解してる。



 あたしのそういう行動が、世間一般で「重い」って言われてる事は分かってる。



 でも。



「だって、好きなんだから仕方ないじゃん!」


 あたしにもあたしなりの言い分はある。



 仕方ないと思う。



 好きだから、何してるのか気になるし、どこにいるのか知りたいと思う。



 誰といるのか聞きたいし、毎日でも会いたいと思う。



 それのどこが悪いのか、あたしには分からない。



 言いたい事を言って何が悪いのか、あたしには分からない。



 重いって言い分は分かる。



 ただ、重いって思う理由が分からない。



 あたしをちゃんと好きなんだったら、あたしと同じ気持ちになるはずなのに、「重い」とか「疲れた」とか言ってくる意味が分からない。



「好きでも限度があるでしょ」


 ない。



 そんなものない。



 好きって気持ちに限度なんてあるはずがない。



 そんなものがあったら困る。



 だってそれだとある一定の所まで気持ちが昇ったら、あとは落ちるだけしかない。



 そんなの悲しすぎる。



 そんなの虚しすぎる。



 そんな限度なんてあるものを、恋愛だなんて絶対言わない。



 時々切なくなるくらい込み上げてくる「好き」に限度なんてないから、想いが色褪せないんだって思いたい。



 周りが見えなくなっちゃうくらい好きになるのが、恋愛の醍醐味だって、あたしはずっと信じてる。



「違う」


「は? 何が?」


「あたし、相手間違えた」


「は? 相手?」


「あの男、あたしの相手じゃなかったんだと思う」


「は? あんた何言ってんの?」


「運命の相手は他にいるって話よ!」


「……そんな話、一秒もしてないし」


 心底呆れたって声出して、バカじゃないのって目でこっちを見る朱莉は。



「で、あんたの運命の相手って何よ」


 それでもあたしの話を聞こうとしてくれる。



 口は悪いし、優しくないし、態度はおっさん丸出しだけど、友達としての役割はちゃんと果たしてくれる。



「あたしの『好き』を『重い』って思わない男に決まってんじゃん!」


「それはとっても無理だと思う!」


 なんて、意地の悪い茶々を入れてくる一葉だって、徹夜明けの仕事で疲れてるのに、こうしてちゃんと集まって友達の役割を果たしてくれる。



 だから思う。



 こんな風に運命の友達を見つけられたんだから、恋愛だって運命の相手がちゃんと見つかるんじゃないかって。



「ドラマみたいな恋愛がしたい!」


「誰もあんたの恋愛希望聞いてないし」


「出会いからしてドラマみたいな恋愛がいい!」


「え? それって痴漢してきた相手と、とか?」


「ある日突然、辞令が下りて、社長秘書になっちゃってね!? それが何でかっていうと、社長があたしに一目惚れしたからって理由!」


「一葉の痴漢話もどうかと思ったけど、くるみの方が無理がある」


「『君は俺の専属秘書だ。どんな君でも愛してる』なんて言われちゃうのよ! 社長に!」


「え? 社長が痴漢なの?」


「どう!? これ、どう!?」


「うん、とりあえず一葉は痴漢を頭から追い出しな」


「これ最強でしょ!? これこそドラマみたいな恋愛でしょ!?」


「あ、でもくるみちゃんの会社の社長さん、結構なお年寄りじゃなかった? 痴漢する元気はなさそうだけど」


「ああ! そうだ! うちの社長六十前だし結婚してる! あの社長じゃダメだ! もっと若い社長がいる会社に変わるしかない!」


「バカな事ばっか言ってんじゃないっての! くるみと一葉、話が噛み合ってるようで噛み合ってないし! 聞いててイライラする!」


 ひと際大きい朱莉の声に一瞬シンと静まった席は、その直後には「ぎゃはははは」って笑い声に包まれる。



 いつもの雰囲気。



 いつもの――失恋後の飲み会。



 こういう時間を過ごせるからこそ、立ち直る事が出来る。



「あたし、次はドラマみたいな恋愛するから!」


 意気揚々と宣言したあたしは、空になったビールジョッキを掲げ、「おかわり!」と店員に向かって声を掛けた。

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