あれは誰?

「その格好で行くのか?」

 タクヤの問いにヒロは答える。「むしろ堂々としていた方が気づかれない」

「そうかも知らんが」

 近くの駐車場にタクヤの車をとめ、二人は五分ほど歩いた。

 黒いキャップを被り、セミロングの黒髪を背中に流し、サングラスをしたヒロはスタジャンにジーンズ姿。どこにでもいそうな格好だが、そのスタイルの良さと隠しきれないオーラで人目をひいてもおかしくはない。

 しかしもっと視線を集める対象がいた。それがタクヤだった。

 やっぱりタクヤの陰に隠れることができるわ、とヒロはほくそ笑みつつ、複雑な思いだった。

 それは文化祭のために装飾された正門をくぐってから顕著となった。

 そこにいた女子生徒が一斉に頬を赤らめてタクヤを見る。

 あれは誰?

 イケメンと簡単に言うのもおこがましい美貌だわ。

 そんな声が聞こえてきそうだ。

 チラシやチケットを手にした生徒でさえタクヤには声をかけられないでいる。神々こうごうしくて近寄ることさえできないのだ。

 もはや私はただのおまけね。ヒロは自虐的になった。

「いらっしゃい」

 耳元で声をかけられてヒロはギクッとして振り返った。

 そこに大きな黒ぶち眼鏡をかけた三つ編み女子がいた。

楓胡ふうこだったわね?」

「ここでは伊沢いざわとお呼びになって」不気味に微笑む。

「わかったわ」ヒロは溜め息をついた。

「来賓席まで案内しますわ。生徒会長のご挨拶もございます」

「ものものしいわね」

「そちらの殿方は?」伊沢はタクヤへの興味を隠すことはない。

「運転手よ」

「とても良い方法ですね。運転手が目立つのは」

「はは、複雑だわ」笑いながらヒロは天を仰ぐ。

「ではこちらへ」

「タクヤ」

「ああ」

 しかし伊沢が案内し始めてから生徒が寄ってくるようになった。さすがに「どちら様ですか?」と訊く者はいなかったが、模擬店のチケットを無料で手渡したり、チラシを配ったり。

 全てタクヤが受けとる。

「俺はカバン持ちだな」タクヤは適当にたたんでポケットにしまい込んでいた。

 二人ともまともなバッグを持っていなかった。タクヤのポケットは膨らむ一方だ。

 グラウンドには仮設ステージが組み立てられ、すでに楽器演奏がなされていた。吹奏楽部の演奏だった。

 客席となるグラウンドのパイプ椅子はほとんど埋まっていて立ち見がいる状態だった。

 ヒロとタクヤは前方にある来賓席に案内された。

「ここで良いのか?」タクヤがヒロの顔を覗く。

 周囲には年配者が並んでいた。PTAにしてはハイソな一団だった。

「声がかからないから良いのよ」ここなら安心とヒロは言った。

 座ってまもなく生徒会長がやって来た。

「この度はわざわざお越しいただきありがとうございます」

 丁重にお辞儀をする生徒会長のさらさらストレートの黒髪にタクヤが目を奪われた。

「君が生徒会長?」タクヤが声をかけていた。

東矢とうやと申します」

 東矢はタクヤの美貌に目を奪われることはなかった。形式的に一礼しただけだ。

「君、明鏡めいきょうに来ない?」タクヤは自分が通う大学に誘った。

「私の力では無理でございます」東矢が答えた。

「生徒会長は医学部志望ですから」伊沢が代わりに答える。

「そうかあ、さすがに医学部は僕でも無理だな」

「ここで勧誘しないで。理工学部には私が行くわよ」ヒロがタクヤを睨んだ。

「お前、そんなことしたら活動できなくなるぞ。両立は無理」

「それでは私は失礼いたします。どうぞお楽しみください」

 東矢は再度一礼してその場を離れた。実にあっさりとしていた。

「相変わらずAIアンドロイドみたいね。何考えているかわからない」

「ごめんね」伊沢が代わりに謝る。「忙しいのよ」

「それなら、わざわざ挨拶に来なくても良かったのに。伊沢だけで十分」

「お前な……」タクヤは呆れる。

「次でございますので、少々お待ちを」伊沢は全く気にしていない。

「あんたも学校じゃ猫被ねこかぶってるのね。擬態ぎたい。さすが女優だわ」

「お褒めに預かり光栄至極です」伊沢は目を細めて微笑んだ。

 伊沢も離れた。

 ヒロとタクヤは来賓席で窮屈な思いをした。しかしここにいる方が人が寄りつかないのだろう。

 やがて吹奏楽部の演奏が終わった。

 舞台から機材が片付けられ、別の機材が設置される。

「軽音か?」

「軽音同好会らしいよ」

「それを見るためにわざわざ?」

「そうよ」

 席を立つ者が多かった。空席が目立つ。来賓席もがらがらになった。

「閑古鳥が鳴いてるな」

 客席に男子生徒が増えた。校内に男子は1/3くらいだったのに今や半数以上が男子だ。

「ガールズバンドなのね」ヒロは呟く。

「その割に、ドラムに座るのはいかついヤツだな」

 タクヤの視線の先に、この学園には似つかわしくない金髪のウィッグを被った男がいた。

「みたいね」

 男子が二人いて後方についた。前に出てギターを手にしているのは女子三人だ。

 真ん中にいるメインボーカルが可愛いとヒロは思った。

「あれ? 左の子、さっきの生徒会長じゃねえのか?」

「違うわよ」ヒロは即答した。「髪がボブじゃん」

 顔は確かに東矢とうやが化粧したように見える。しかし別人だ。

 そのボブとヒロは目が合った。

 ボブの眉がつり上がった。

 ああ、やっぱりな。私が来ることを知らなかったんだ。ヒロはそう思った。

「がっかりさせないでよね!」お忍びであることを忘れて、ついヒロは叫んでいた。

「あの子が知り合いなのか?」

「まあ、元同級生だしね。この学校に転校したのよ」

「それでお前が追っかけをやっていると?」

「私が追っかけてるのは絵馬えまユウキ。あの子とは追っかけのライバルね」

「ああ、そうだったな。謎の覆面アーティスト絵馬ユウキ」

「謎でもないんだけどね」ヒロは顔を背け、夕日を見つめた。

「皆さん、こんにちは。軽音同好会でーす。短い時間ですが楽しんでくださーい」

 導入はボーカルなしのインストルメンタル。ロックバンドZEGのメドレー演奏だった。

 ZEGの曲でボーカルがないのは珍しくない。奇跡の声と言われたメインボーカルを再現するのが難しいからだ。

「まあ普通に上手いね」タクヤが言った。「ガールズバンドなら良いんじゃね?」

「そうね」

「女の子は良いけど、あのベースがイマイチかな」

 ベースは地味なをした黒髪の男子だった。前髪が目のあたりまでかかっていて表情がよくわからない。しかし悪戦苦闘しているみたいだ。

「あれは初心者みたいなものよ。数合わせだわ」

「よく知ってるんだな」

「少しはね」

 そしてボーカルが入る。FIANAフィアナの「夏の終わり」。少女たちの透き通ったハーモニーが心に刺さる名曲だ。

 十一月に聴いても夏の終わりの切なさを感じる。

 続いてバラードの「オレンジ・チーク」。夕暮れの学園にぴったりだ。

「もろにFIANAを続けるね」

「ケンカ売ってるのよ」

「そうなのか?」

 観客が徐々に増えてきた。女子の姿も目立つ。そしてまたタクヤに注ぐ視線も増えた。

「タクヤ、目立ちすぎ」

「ヒロが目立つより良いんだろ?」

 しかしFIANAの曲が続いたせいでタクヤの隣にいるヒロへの視線も増えた。

「あの子、ROCAロカに似てない?」

 囁き声が耳に入る。演奏の合間にそういう声は聞こえてくるのだ。

「ありがとうございました。最後の曲はもちろんこれ。『シャイニングメテオ』!!!」

 曲調が突然変わる。FIANAの曲はほとんど絵馬ユウキが提供しているが、この一年でロック調の曲が増えたのだ。その代表曲だった。

「あれ、メインボーカル、変わったな」

 ショートボブの女子が真ん中に立ったかと思うと、機関銃のような歌詞が途切れることなく飛び出してくる。

 その滑舌の超絶技巧に聴衆は引き込まれ、一気に盛り上がった。

 もはや元お嬢様学校のノリではなかった。

 ふだん冷静なタクヤでさえ体がリズムを刻んでいる。

 ヒロはそれを冷ややかに見た。

 いつの間にか聴衆が立ち上がりグラウンドを埋め尽くした数多あまたの頭が荒れた海のように波打った。

 そして大団円。

 静止した女子三人に盛大な拍手歓声とともにアンコールの大音声だいおんじょうが降り注ぐ。

「これ、FIANAのより良かったんじゃね?」

 タクヤの一言にヒロはジト目を向けた。

 アンコール曲は「くした時代」。絵馬ユウキの名を知らしめた代表曲にして多くのアーティストがカバーしている。原曲をひとりで歌うのが難しいためにアレンジが多く、女子三人が高音低音を分担して歌った。

「これは普通かな」

 呟くタクヤを無視するかのようにヒロは立ち上がった。

「今のうちに退散するわ」

 聴衆が余韻に浸っているうちは自分たちへの関心がない。そう判断して二人はこそこそと来賓席を辞した。

 すぐに眼鏡女子伊沢が横につく。

「お出口までご案内します。それとも何かご覧になりますか?」

「そういうわけにもいかなそうね」伊沢がついたせいでかえって人が寄ってきた。

「あの、ひょっとして……」中等部の女子が数人声をかけてくる。「……ROCAロカさんですか?」

 揃って目が燦々さんさんと輝いている。

「似ているって、よく言われるの。だからわざと似せている」ヒロはにっこりと笑ったがサングラスをしているからどのような笑顔かはわかりづらかっただろう。

「こんなところにFIANAフィアナROCAロカがいるわけないだろ」タクヤが身も蓋もない言い方をした。

「失礼な言い方ね」

「ささ、こちらへ」伊沢が案内を続ける。

 下級生たちをうまく追っ払った。

「あんたがいるから人が寄ってくる気がする」ヒロは伊沢に言った。

「かもしれませんね。私はスキャンダルを追い回していますから、私が引っ付いているとそうした対象に見られるかも」

「じゃあ、あっちへ行ってよ。しっしっ!」

 言われた伊沢は潤んだ目をヒロに向けた。

「かわいそうだろ」

「この子、ALISAアリサに匹敵する女優だから」嘘に決まってるとヒロは言った。

桂羅かつらに会っていかれますか?」伊沢は瞬時に案内役に戻っていた。

「いいよ、別に。友だちでもないし」追っかけのライバルだ。「それよりはアケミ、来ていると思うのだけれど」

「観客席に紛れていらっしゃったかもしれませんね」

「アケミを探すわ」

「人が集まり始めたぞ。どうする?」

「タクヤにたかってるのでしょう。何とかしなさい」

「何だよ、その仕打ちは」

 ヒロは含み笑いをしながら歩み始めた。

 たまにはお忍びの文化祭も良いものだ。次は何を見よう。

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