第11話『小さな冥海の中』

「せんぱ〜い! 早く早く!」

「ちょっと待って。早いってば」

「も〜! 先輩が遅いんですよ! 早く周らないと、すぐにショーが始まっちゃいますよ!」

「はいはい。分かったから」

 

 薄暗い館内。海底に沈んだような空間。足元を照らす、真っ新で真っ青な光。

 私の手を引く彼女は随分ご機嫌なのか、幼い子どものように無邪気な笑みを浮かべている。

 

「ねっねっ! 先輩先輩、どう周ります?」

「いつも通りのルートでいいんじゃない? ゆっくり周ってもショーには間に合うと思うし」

「りょ〜かいです! じゃあ早速行きましょ! ほ〜ら早く!」

「私の話聞いてた?」

 

 市内の水族館は、平日であるにも関わらずかなりの人が入場していた。

 一人で遊覧ゆうらんする猛者もさ。友達同士で笑い合う学生。人目もはばからずイチャつくカップル。全体的には家族連れが多く、年端も行かない子どもたちが楽しげに走り回っているのが見える。

 

「イルカ〜、サメ〜、ペンギンにクラゲ、あとシャチッ!」

「本当にアンタ、水族館好きね」

「水族館嫌いな人なんていませんよ! こんな幻想的で綺麗で楽しい所! デートスポットに持ってこいですね!」

「まぁそれは言えてるか。実際私達も水族館デートしてるわけだし」

「ふっふ〜ん。嬉しかったですよ〜? 先輩も年パス作ってくれて」

「まさか私が水族館の常連になるとはね」

「あたしが水族館大好きですもんね〜?」

 

 紺碧こんぺきの絨毯を踏み締め、私達は水槽を見て周る。ゆったりと広がった小さな海。その中を、魚達がウヨウヨと泳ぎ回っている。

 すっかり見慣れてしまった光景だ。月に一回、水族館デートを開催している私達であるが、しかし星奈は毎度初めて来た場所のように目をキラキラと輝かせている。

 

「ねぇねぇ先輩! この子外に出てますよ!」

「あっ、本当だ」

「初めて見た〜。いっつも壺の中に引き篭もってましたよね〜」

「常連の私達に挨拶してくれたんじゃない?」

「わっ! 先輩、いきな事を言いますね〜?」

いきな事言ったわ」

 

 いつものように手を繋ぎ、キャッキャとはしゃぐ彼女と他愛無い会話を繰り広げる。

 その側、薄いガラス越しにまん丸な目をしたウツボが、退屈そうに欠伸をした。

 

「ほへ〜。ハリセンボンって、針が千本あるわけじゃないですね〜」

「なんかその台詞、ここに来る度に聞いてる気がする」

「あれ? そうでした?」

「多分五回目くらい。そろそろハリセンボンの事、覚えてあげたら?」

「むむ。お魚は好きですけど、でもだからってハリセンボンがめちゃくちゃ好きってわけじゃないからな〜」

「じゃあ何が好きなの?」

「サーモン! 特にトロ!」

「それ絶対寿司の話してるでしょ」

「刺身も好きですよ?」

「そうじゃなくて……」

 

 私達の、普段通りの会話。Vtuberをしているからか、頻繁に星奈は話題に繋げやすい話し方をする。どうやらそれは無自覚に起こっている事のようで、職業病としか言いようがない。もしくは、Vtuberの才能があり過ぎる故のエンタメ属性か。ツッコミすら求めていない彼女のボケに、私は苦笑してしまう。

 ちなみに私もサーモンが好きだ。

 

「蟹だ〜! 美味しそ〜!」

「いつ見ても脚長いなぁ」

「チンアナゴ! チンアナゴいますよ〜? 例のあれ、やります?」

「やりません」

「ふふ。なんかあのペンギンだけ、泳ぐの下手じゃないですか?」

「本当だ。めちゃ不器用な子がいるじゃん」

 

 そうして決めたルート通りに館内を巡り、鑑賞。一つ一つの説明文に目を通しながら、全ての水槽を見終った私達はツカツカと足早にショーを行うスタジアムへ向かう。

 

「わっ、もう結構混んでるね」

「ですね〜。何処、座ります?」

「……最前列は座らないからね」

「ちぇっ。先輩つまんな〜い」

「アンタ、ビッショビショに濡れたまま電車乗ったの、覚えてないわけ?」

「あれもまた青春の一ページ」

「もう青春とか口に出来る歳じゃないから」

 

 結局私達は無難に六列目の席に着席し、フランクフルトを片手に待機。潮風が髪を揺らし、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びながら、やがてその場は歓声に飲まれた。

 

「わーっ! キタキタキターッ!」

「でっかー。すご」

「やっぱ水族館デートはこうでなくっちゃ!」

 

 現れるは、二頭のシャチだ。水族館の目玉である大きなシャチが、黒光りする尾鰭を叩いて泳いでいる。その巨体に似合わず、彼らは俊敏にプールの中を駆け、スタッフのお姉さんの指示通りに芸を披露。海のギャングと称される彼らであるが、しかしこの場では海のスター。存外可愛らしい見た目をしている二頭のシャチは、スターらしく人々の目を奪っていた。

 

「……そう言えばこの前、シャチの群れがアザラシで遊んでる動画が流れてきたな」

「先輩って本当にそういう所、ありますよね」

「そういう所って?」

「ロマンチックのカケラもない発言する所! 全く、相手があたしじゃなかったら、今頃先輩は一人孤独に電車に揺られてますよ」

「別に私、アンタ以外と水族館行くつもり無いからなぁ」

「…………はぁ〜。本当に、先輩にはそういう所もあるんだから」

「さっきから何言ってんのよアンタ」

「別に〜」

 

 何かおかしな事を言っただろうか。

 不貞腐れたように唇をすぼめ、プイッと顔を逸らす星奈。その際、髪に隠れていた彼女の小さな耳が現れ、それがほんのり桃色に染まっている事に気付く。

 どうやら私の発言の何かしらに、彼女はときめいたようだ。

 

「あっ」

 

 なんて、自意識過剰な事を考えていると、綺麗に遊泳していたシャチが突如暴れ始め、バシャバシャと水飛沫を上げた。瞬間、キャーッと甲高く響く悲鳴。最前列に座っていた人がビショビショのビッチャビチャになる様子を、私は眺めた。

 

「……あれ、あんなにヤバかったんだ」

「ですね〜。楽しそうでいいな〜」

「星奈……」

 

 この子はまだそんな事を言うのか。

 ウズウズと今にも飛び出してしまいそうな星奈を制し、私達はショーを存分に楽しむ。

 このショーも、両手の指じゃ足りなくなるくらい見ているが、いやはやその素晴らしさに圧巻だ。なんだかんだ星奈の影響で、私自身水族館が好きになっているのかもしれない。

 とはいえ、今後私は星奈以外と水族館へ行く事が本当にないのだろうが。

 

「はぁ〜……面白かったですね〜……」

「だね。いつ見ても面白いわ」

 

 ショーが終わり、ぞろぞろと館内へ戻っていく人混みに紛れながら、私達は感想を言い合う。これもまた、私達の水族館デートにける醍醐味。感受性が豊かな彼女の語る感想は少し子どもっぽく拙いが、しかしどうにも居心地が良いのだから不思議だ。

 

「この後どうします?」

「んー。適当にご飯食べるでもいいし、もう一回魚見てもいいし。ガチャガチャはやるんでしょ?」

「勿論! ちゃんと小銭作ってきたんで、準備万端ですよ!」

「抜かりないなぁ」


 ニッと白い歯を見せ、ピースサインを向けた星奈に、私は笑う。彼女の配信部屋に設けられた小さな水族館が、また一つ成長するようだ。


「あ、ちょっとお手洗いだけ行ってきてもいいですか?」

「うん。行っておいで」

「え? いっといれ?」

「言ってない」

「あは〜!」

 

 くだらない事を宣い、悪ガキのように笑った彼女はパタパタと女性用トイレに向かう。

 その後ろ姿をぼんやりと見守りつつ、館内を見渡して。

 ふと、私はもう一度、クラゲが見たくなった。

 

 ——ねぇお母さん! クラゲ!

 

 そうっと水底へ沈むように、私は暗闇に紛れる。ライトアップされたアクアリウムの中、多くの色で彩られたクラゲ達が、ゆらゆらと緩慢に揺蕩んでいる。

 そう言えば幼い頃、一度だけ母親と水族館に来た事があったっけ。

 母親と手を繋いだ子どもを後ろから見ながら、昔の事を思い出す。

 もう十年以上前の話。すっかり色褪せ、しっかりと描けなくなった記憶。逃げ出した日から、一度だって浮かばなかった思い出。

 なのに何故か、思い出した。

 市内の小さな水族館。幼かった私が、あの日見たクラゲに何を思ったのか。

 私は覚えていない。

 

「いいな」

 

 私の独り言は泡沫うたかたの如く浮かんで、弾けて、消える。

 クラゲには、心臓も脳もない。体の約95%が水で出来ていて、何も考えずにゆらゆらと海を漂っている。

 影も落ちぬ程の黒い海の中、透明に生きる人生は、どんな景色が見えるのだろう。

 もしも自分が、なんて。

 無意味なたられば話を考える。実現なんてしないのにそれでもこいねがう私は、人の形のまま。

 ここに居るのに、ここに居ない。

 だけど、息は続いていく。

 

「先輩!」

 

 どれ程そこにいたのか。

 不意に耳に届く、星奈の声。驚いて振り返れば、ムッと顔を顰めた星奈が私の側に立っていた。

 

「もう! 勝手に何処かに行かないでください!」

「あぁ、ごめんごめん」

「むむっ。気持ちが込もってないですよ! あたし探したんですからね! LINEしたのに既読付かないし、電話も出ないしで。先輩方向音痴なのに、す〜ぐフラフラして」

「え、電話してた? 全然気づかなかった……」

「そうでしょうね! 全く全く」

 

 プリプリと怒る彼女は、だけど一等優しく私の手を握って歩き始める。その後ろ姿はビックリするくらい華奢で、小さい。

 でも、どうしてだか。幼い頃見たあの日の景色と重なって。私の心臓が郷愁きょうしゅうの熱に当てられ、静かに泣いた。

 

「ごめんね、星奈」

「……別にいいですよ。先輩がフラフラ何処かに行っちゃうの、慣れっこなんで」

 

 私の手を引き、彼女は暗闇から光へ導く。

 彼女の表情は、見えない。

 星奈が何を思い、何を考え、どんな気持ちを抱いているのか。

 彼女の背中は語ってくれない。

 

「そんな事より、ガチャガチャしに行きますよ!」

「ん、分かった」

「今回こそ、シロワケイルカをゲットします!」

 

 星奈は意気揚々と前へ進み、己を鼓舞するかのように拳を高く突き上げた。

 その風貌に、私がまたあの日の情景を思い出す事はない。

 もう戻れない、綺麗だった日々。死に絶えた選択肢が、鈍い心に染みる。どれだけ後悔しても、後の祭り。過ぎ去った過去を変えるなんて出来ない。追憶して、息をする。もう同じ轍を踏まないように。

 私は、何にもならずに、息をする。

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