第10話『穏やかで静かな日々は、変わらない』

 伝説的な放送事故と、伝説的な雑談惚気配信があったあの日から、数日が経った。私と彼女の穏やかな生活は幕を閉じたと思っていた私であったが、しかしそれは殆ど杞憂に終わり。

 変わらず彼女は星屑セナとして一人で配信を行い、変わらず私は仕事終わりに配信を行う彼女を待ちながら、夕飯を作る日々。変わったことといえば、配信内で私の参加を心待ちにするコメントが増えたことくらいか。星屑セナの配信を見にきているはずなのに、何故か私を待つリスナーが誕生した事実へ私は首を傾げるばかりで、結局私はあれから一度もマイクの前で喋ってはいない。ただのリスナーとして、配信を聴くだけ。

 何度か彼女にまた配信に出ないかと誘われたことはあったが、私はやんわりとその誘いを断っている。その理由は……彼女には話せていない。


【草】

【セナちゲーム下手すぎでしょ!】

【可愛い】

【先輩ってまた配信に来たりしないの?】

『……先輩また配信来ないの……んー、どうだろ? 機会があったらまた呼んだりするかも』


 今日の配信もまた、私を待ち望むコメントが投下される。そんなコメントに、最近話題のインディーゲームをプレイしていた彼女は律儀に返答。カチャカチャとコントローラーを操作しながら、凡そ上手とはいえないゲームプレイ映像を流す彼女は、言葉を続ける。


『まぁタイミングだよねぇ〜。あたしはありがたいことにVtuberのお仕事一本でやらせてもらってるけど、先輩は普通に社会人として働いてる人だから』

【そうなんだ】

【まぁ配信に参加する時間がないよね】

【先輩、めちゃくちゃしごでき人間な気がする】

『あたしはVtuberが……まぁ殆ど趣味みたいなものだけどお仕事の面もあるし。だからこそ当たり前に毎日配信してるけどねぇ〜。先輩は違うから、お仕事の日は時間がないし、かといって休みの日はしっかり休んでもらいたいし?』

【セナち本当先輩のこと大好きやん笑】

【愛が深いなぁ】

【てぇてぇ】

【でもやっぱ、先輩にもう一回配信出て欲しいなぁ】

【キマシタワー】

『……愛が深いって、そりゃぁね? 自分のリスナーの前で惚気るくらいには、好きだよねぇ〜』


 なんとも小っ恥ずかしい気持ちになる。それは彼女の発言も然り、私に配信へ出て欲しいと残されるコメントも然り。どうにもむず痒く、フライパンでジュージューと焼かれている肉を、無意味に木べらで転がしてしまう。


『いつか機会があったらだねぇ〜本当。あたし的には、また先輩には配信出て欲しい気持ちが強いんだけど』

【出てほし〜】

【ぶっちゃけ二人ともが推しになっちゃった】

【また二人の神回作ってほしみ】

【先輩にもゲームして欲しいな。ホラゲーとか】

『先輩にもゲームして欲しい? ホラゲー? あー、確かに。先輩がホラーゲームしてるところ見たことないかも。どんな反応するんだろ? あたしも気になる』

【ホラゲー先輩強そうだよね】

【ゾンビゲーで淡々と銃ぶっ放してるイメージ】

【先輩ホラゲー弱かったらギャップで死ねる】

『ホラーゲーム弱かったら面白いよねぇ〜! 追いかけられる系で、めっちゃ叫ぶ感じ』

【草】

【叫んでる先輩想像できねぇ笑】

【www】

【笑笑】

【やって欲しい!】


 何か聞き逃してはならない話題になっている気がする。というか、何故この話題で彼女と彼女のリスナーは盛り上がっているのだろうか。今までの人生でホラーゲームをプレイした事がない為、なんとも言えないが。とは言え彼らが言うような面白味はあまり無いように思う。実際の所、どうなるか自分ですら想像がつかないが。


【でもセナちもホラゲー無理だし、先輩も無理だったら阿鼻叫喚になりそーw】

『……セナちもホラゲー無理だし、先輩も無理だから阿鼻叫喚……あっはは! それはそうかも! 二人ともが叫んで、ノイズばっかのガッビガビ配信になるんでしょ〜?』

【最悪すぎる】

【鼓膜ないなるねー】

【リスナー殺し】

【寝落ちで配信流してるリスナー、死ぬやつやん笑】

【ほぼ楽天カードマン】

「ふふっ」

『ふはっ! ほぼ……はは、楽天カードマンっ……あっはは! え? 君天才って言われない? あっはは! 面白すぎるでしょ!』


 笑い声まじりに聞こえた彼女の言葉に、私は同意見を持つ。

 ほぼ楽天カードマンとは、なんとも言葉選びが秀逸なもので。才能しか感じない。時折現れる彼のような人間は、一体何を食べ何を考えれば、そのようなコメントをノータイムで考えることができるのか。

 思わず笑ってしまった私は、クスクスと一人喉を鳴らして、肉をフライパンの上で転がし続ける。ちなみに今日の献立は、のり塩チキンとカボチャのお味噌汁。鶏肉好きな彼女が大層喜ぶ好物の一つである。


『ふ、ふふ。いいなぁほぼ楽天カードマンホラゲー配信。訳分かんなくてめちゃくちゃいい』

【草】

【wwww】

【この女、俺らの鼓膜破きにかかってるぞ】

【星屑のためなら鼓膜の一枚や二枚……】

【くさぁ!】

【悲報 セナリスナー鼓膜を失う】

【楽天カードマンニキ誕生日】

【それただの楽天カードマンや】

『もし今後先輩とゲームするってなったら、ふふ、ホラゲー配信は絶対したいかも。ぜぇ〜んぶ先輩に操作させて、あたし見る専でね?』


 彼女のツボに刺さったのか、しきりに笑い声を溢す彼女。イヤホンから聞こえる声と、扉を貫通してキッチンまで響く声が共鳴。ゲームのプレイすらもままならないのか、チラリと一瞥した配信画面はほぼ静止画となっていた。


『あとは何やってもらおうかなぁ〜。なんか先輩にやって欲しい事ある?』

【また惚気雑談配信して欲しいです!】

【オープンワールドのゲームとか】

【FPSとか先輩上手そう】

【二人の歌配信とか聴いてみたい!】

『……二人の歌配信聴いてみたい、なるほど確かに歌配信アリだね! ちなみに言うと、先輩めっちゃくちゃ歌上手いよ』

【ま!?】

【あの低音ボイスで歌上手いとか、絶対かっこいいじゃん!】

【歌ってみたじゃなくていいから、カラオケとかの日常風景を見せてほしい……】

【セナちと先輩のデュエット曲聴きたい!】

【先輩も歌上手いとか、最高すぎ】

『いや本当に歌上手いんだよあの人。ぶっちゃけ大真面目に先輩の歌ってみた、聴いてみたい。MIXとかちゃんとやってさ』


 私の知らぬところで私の話をする彼女とリスナー達。いや、彼女は私が配信を見ていると知っているから、もしかしたら今着実に外堀を埋めようとしているのかもしれない。これはあくまで予想でしかないが、仮にそうだとしたら、なんと強かで策士的か。……流石に考えすぎだとは思うが。


【先輩ってセナちゃんみたいにVtuber始めたりしないの?】

『先輩ってセナちゃんみたいにVtuber始めたりしないの、うーんどうだろ。あたしはして欲しいって思うけど、実際先輩にやらないかって訊いたことないからわかんない。もしやりたいって言うなら、全力であたしは応援するけど』


 ピタリと。動かしていた手を止めてしまったのは、私の心か凍りついたから。ドクンッと一際大きく跳ねた心臓。どうにも胸が苦しくて、呼吸が苦しくて、動けなくなってしまう。忘れたくても忘れられない、かつての記憶がフラッシュバッグ。凍りついたはずなのに、バクバクと気味が悪いくらい大きな音を立てて、脈打つ心の臓。私は意識的に息を吸って吐いて、自分自身を宥める。大丈夫だと。この家には私と彼女しかいないのだと。言い聞かせる。


「…………はぁ」


 どれ程の時間を要したか。数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。胸元を手で押さえ、深呼吸を繰り返した私はなんとか落ち着きを取り戻す。なんと情けないことか。この場に彼女が居なくて、本当に良かったと本気で思う。こんな姿、彼女にだけは見られたくないから。

 私はフライパンを熱するガスコンロの火を止め、私の定位置である椅子に腰掛ける。そして手に取るは、セブンスターの箱。中に半分ほど詰められた紙タバコを一本取り出し、唇で咥え慣れた手つきで火をつけた。


「……ふぅー」


 有害物質を多分に含まれた煙は、しかしいつだって私の味方だった。いくら肺癌等の病気のリスクがあろうとも、私は税込六百円の箱を手放すことができない。それどころか、早死にするかもしれないという危険性が、より一層私を沼へ落とし込む。彼女との幸せで平穏な生活がより長く続けば良いと思っている癖して、結局のところ私はあの頃から変わっていない。私とは、そういう人間であった。


「…………」


 ぼんやりと、宙に目をやる。無自覚にイヤホンを外した私の耳には、なんの音も届かない。私は静かに瞼を閉じる。

 配信者にならないのか。もしそんな質問を誰かに投げかけられれば、私は間髪入れずにその首を横に振って「ならない」と答えることだろう。それは私という人間の根底に根付いた考え方と、そもそも配信者に向いてない性格から。

 友人である凪は素質があると言っていたが、私はそうとは思わない。

 周りの空気を変える話術はないし、抜きん出た何かしらの才能もない。情熱もなければ、向上心もない。自分という存在へのプライドも皆無。そんな人間が、人を楽しませることを目的とした彼らになれるわけがない。私が、何者かになれるわけがないのだ。


「……言えないな」


 一人だけのリビングで、私はぼやく。

 彼女へ、私が配信者にならない理由を訊ねられ、そのわけを隠すことなく赤裸々に語ったのならば。恐らく彼女は私に怒ることだろう。

 人を惹きつける魅力がないから。目を瞠る才能がないから。そのような理由は、理由にはならないと怒るかもしれない。誰だって最初は初心者で、誰しもがそれらが備わっているわけではない。皆が皆、努力をして身につけたもの。話術がないなら勉強をして、実際に人間と話す。才能がないなら、その事実を覆す程に頑張る。

 何かを始める時、何もしていないくせして素質がないからと最初から諦めることは間違いだと、彼女は怒ることだろう。彼女自身が、血の滲む努力をして今の地位を確立したのだから、余計に。何も取り組むこともせず、何も挑むこともせず、素質がないという言葉だけで一蹴して、何者にもなろうとしない私を、きっと彼女は。

 私が仮に、配信者になったのなら、彼女は喜んでくれるだろう。私へ、自分と同じ場所に立って欲しいと、彼女は言っていた。一緒に配信でゲームをして、一緒にコメントを返して、一緒にぐだぐだ喋ったりして。それが自身の夢であると、彼女は言っていた。だから、多分喜んでくれる。私が彼女と同じ場所に立つことができたのなら。

 だけど、それは叶わない夢だ。彼女の夢は、私が叶えてあげられるのなら、叶えてあげたいと思う。紛れもない、私の本心だ。故に私はあの日、彼女の願いを聞き入れ彼女の配信に参加したのだ。

 でも、もう私は彼女の夢を叶えてあげることはできない。あの日、私は理解してしまった。あの子の中で渦巻く後悔と、葛藤を。

 何者かになれない私が、何者かになることで彼女が喜んでくれるなら、それでよかった。だけど私が何者かになった時、彼女が悩み苦しんで困ることになるのなら、私は何者かにならなくていい。そう思う。

 ただの言い訳だ。わかっている、自分でも。彼女の事を言い訳にしていることくらい。わかってるのだ。

 でも私は、何にもなれないから。配信者にも、ヒーローにも、なれないから。向き合う事なく、全てを投げ出して逃げた私は、何者にも。


「…………ふぅー」


 燻らせた紫煙が細い糸となり宙を抜って、回る換気扇の中に吸い込まれていく。視界の端では、スマホの中で楽しげに笑っている星屑セナが見えた。私はすっかり短くなってしまったタバコを、灰皿に押し付ける。

 変わらない日常。変わらなかった日常。少しの変化はあれど、私が続いて欲しいと願った穏やかな日々は、ずっとずっと……これからも続いていく。それでいい。これがいい。私は何者かにならなくていい。この生活が、私は良いのだ。

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