第11話『恐怖のホラーゲーム配信開始』
「きゃああああああああっ!!!」
「痛い痛い痛い痛い!」
甲高い悲鳴が、防音シートと吸音材を念入りに貼られた部屋の中で反響することなく、私の鼓膜を突き破る。デュアルモニターの片方に表示されたOBSの、マイクの音量メーターは赤のラインまで振り切れ、途端にコメント欄は阿鼻叫喚。鼓膜を破壊されたリスナー達の死屍累々な反応に、しかし私と彼女は目を向けることもできず。
片や涙目で叫ぶことしかできない彼女。片やそんな彼女にリスナー同様鼓膜を破壊され、折れそうなほどに腕を締め付けられた私。
ギシギシと骨に響く鈍痛。真っ赤を通り越し紫色になり始めた片腕。キーンッと鋭い耳鳴りが耳の奥で鳴る中、落としそうになるコントローラーをなんとか両手で握りしめ指を動かす私は、苦痛な声しか出すことが出来ない。数日ぶりに配信する彼女の隣に腰掛け、マイクに向かって喋る私。見慣れないVtuber側の配信画面を眺めながら、考える。
一体何故こうなってしまった?
時は数分前に、遡る。
『ひっ……待ってぇ〜、無理……無理なんだけど……』
リビングに設置されたソファに座り、ローテーブルにスマホを立てかけ、彼女が面白いと言っていた最近話題の漫画を読んでいた時の話。流行ってると言われているだけあって、思わずストーリーにのめり込みいつの間にか手元にある一冊は三巻目。躍動感のある動きで繰り広げられるバトルシーンは、ページを捲る私の手を止まらせない。ハラハラと物語の展開に目を逸らすことが出来ず、私は漫画を読み進めていた。
『ほんと無理。ほんっとに無理。ねぇ〜ちょっと、無理だってばぁ!』
片耳だけつけたBluetoothイヤホンから、しきりに彼女の涙声が聞こえる。しかし、作品の物語に取り憑かれた私は、ただひたすらに目を動かす。
傷だらけのボロボロな身体で、諦めることなく懸命に立ち向かう主人公の姿。そして主人公を支える、魅力的な仲間達。主人公と対峙する悪役キャラも味が出ていて、面白い。時折入るコミカルな一コマも相まって、シリアスな戦闘シーンがより一層面白さを引き立っている。
『無理〜! 無理無理無理! 無理! こっから進めない! あたし無理!』
引かれた線は綺麗とは言えないが、スピード感のある魅せる作画は策略通り、読者を物語へ引き摺り込む。コマ割りも秀逸で、テンポよく目が動いてしまう。全二十巻程あるうちの三巻目であるから、まだまだ主人公は未熟で、だからこそ人間味溢れる主人公の姿は胸を打たれた。
『うぅぅ〜。なんで……なんでこんな……ひぃ……無理無理怖い……』
少年漫画特有の努力友情勝利の三つがコテッコテに盛り込まれた作品はありふれているとは思うが、組み込まれる真新しい展開と、上手に落とし込まれた少年漫画のテンプレートが、面白さを加速させる。あまり私は漫画を嗜まない人間であるが、彼女がハマった理由がよくわかった。
『ひっ! ねぇ今物音した! 物音した! 絶対この先いる! なんかいるって! 絶対いるってぇ〜!』
静かな部屋で、紙を捲る音が鳴る。
時刻は二十時半。仕事から帰り、軽くシャワーを浴びてラフな格好に着替え、一時間弱。疲労の溜まった身体はどうにも上手く動かすことが出来ず、ソファに身を預ける私。今日の夕飯はパスタにしようと決めていた為、特段料理の下準備もせずダラダラと漫画を読んでいて、この時間。
なんという怠惰な事か。とは言え、たまにはこういう夜があっても良いだろう。明日は仕事が無いため、このまま夜更かしでもしようか。久しぶりにお酒を飲むのもいいかもしれない。となれば、お酒を買いに行かなければならないわけだが、いかんせん身体が重い。ここまで動きたくない日は久々だ。歩いて三分ほどの距離にコンビニがあるが、そこに行くことすら億劫である。……あぁでも、最近彼女が気になっていると言っていたスイーツが、確か昨日から発売しはじめたのだったか。何を思い立ったのか、苦手であるはずのホラーゲームをプレイしている彼女への労いに、買いに行ってあげようかな。きっと配信終わりの彼女はボロボロにやつれているだろうし……私自身、お酒も飲みたいわけだし。
私は重い腰を上げ、ゆっくりと立ち上がる。尚も嵌め込んだイヤホンからは彼女の力無い声が聞こえていて、思わず苦笑。チラリと見たスマホの画面は彼女の配信が映し出されているが、十数分前に見た時と何も変わらない構図。どうやらかなり苦戦をしているみたいで、流れるコメント欄は爆笑と応援の渦に包まれていた。
さて、と。私はソファの上にだらしなく掛けていた上着を羽織り、スマホと財布だけをポケットの中に突っ込んで、玄関に向かう。微かに彼女の声が漏れる配信部屋を通り過ぎ、ちょっとそこまで用のサンダルに足を突っ込んだ私は、ドアノブに手を掛けて。
『きゃああああああああっ!!!』
突如右耳につけたままであったイヤホンから流れる、大音量の絶叫に鼓膜を破壊された。
「〜っ! え、何……」
びくりと肩を揺らし、右耳を押さえ思わずそこにいない誰かに問いかける。無論、廊下には私一人だけしかいないため、その問いかけは問いかけにならず、独り言として静まり返った部屋に落とされた。
しかし次の瞬間。私の問いかけに答えに来たかの如く、配信部屋の扉がダンッと開かれ、瞬きをする間もなく中から彼女が飛び出してきた。
「せんぱいっ!!!」
私の名前を呼ぶ声。私がリビングにいると思っていたであろう彼女は、玄関の扉の前で棒立ちをしていた私に気がつくと、一瞬ぽかんと驚いた顔をしたのち眉根を顰めダダダとこちらに突進してきた。
「先輩!!!」
「いっ……え、なに、なになになに。急になにっ!?」
「せんっぱぁい! 助けて!」
「なに!? 助けてってなにが!?」
「とりあえず、来て、くださいぃ〜……」
「え、本当になんなの……」
今にも泣きそうな面持ちで私にタックルしてきたかと思えば、たたらを踏んだ私を無理やり引っ張り部屋に上げようとする彼女。想定外すぎる出来事に目を白黒させた私は、なんとか履いていたサンダルを雑に脱ぎ捨て、促されるまま彼女の後を続く。
導かれたその先は扉が全開となった配信部屋。何が何だか全く理解できていない私を放って、彼女は私をゲーミングチェアに座らせた。
「お願いします……」
「え、なに……なにが?」
「あたしの代わりにやってください……」
「……えーっとちなみに訊くけど、何を?」
「ゲームプレイ……」
「……何の?」
「ホラーゲームの……」
モニター画面いっぱいいっぱいに映し出された、おどろおどろしいゲーム風景。一人称である故の緊迫感のある不気味さ。相反して、もう片方のモニターに表示されたコメント欄はお祭り騒ぎ。私は引き攣った顔を彼女に向け、ぽそりと訊ねる。
「……なんで?」
「あたしが怖いからですよ!」
混乱と恐怖がありありと滲んだ彼女の声。叱りつけるように叫ぶ彼女は、私は困惑。そんな私を知ってか知らずか。テキパキと私の耳にイヤホンをつけ、私にコントローラーを握らせた彼女は、いそいそと足早に部屋を出て行く。かと思いきや、ヒョコヒョコとキッチンに置いてある簡素な椅子を抱え、戻って来た。
「……私がやるの?」
「お願いしますお願いします……。あたしこの先一人じゃ進めない……」
「あー……じゃあ私が隣で見ててあげるから、プレイ自体はセナがや」
「訂正します! あたしはもうプレイできない!」
食い気味な発言である。私の提案は無碍なく却下。微かに目尻に涙の粒を溜め、髪が乱れることも気にせずぶんぶんとかぶりを振った彼女に、私は乾いた笑い声しか出せない。
「後生です……後生なんですぅ……。もう先輩しか頼ることが出来ないんです……」
「あーーー……うん、そう……ね?」
必死な様子で頼み込む彼女に、私はなんとも言えない感情に陥る。
私しか頼ることが出来ないという彼女の発言は、本来であるなら優越感まみれの喜びを感受するはずなのに。いざ蓋を開ければ、その頼み事は代わりにホラーゲームをプレイして欲しい、というもの。なんとまぁ……言っちゃなんだが、くだらないお願いであったから、複雑な感情を抱くのも仕方ないと思う。
「お願いです先輩……あたしの代わりにやって……。怖いならあたしが側に居てあげますからぁ〜……」
「はは……」
とは言え、ここまで取り乱している彼女の決死のお願いを聞き流すほど、私は鬼ではない。私の腕をガッツリとホールドして、ぐりぐりと額を肩のあたりに擦り付ける彼女を見下ろした後、私はもう片方の腕を伸ばしてその頭を撫でる。
「もぉ、わかった。わかったから、ね? やるから」
「うぅ……本当ですか……?」
「ほんとほんと。だからほら、一旦腕離して?」
その細腕のどこにそんな力があるのか。そう思わずにはいられない剛力で私の腕を締め付け圧迫する彼女を、なんとか宥めようと努力する。しかし私の努力は虚しく、どれだけ諌めようと彼女は腕に込められた力を抜くことはない。寧ろ更に彼女はぎゅーっと力強く私に抱きついてきて。
「っすぅーーー……あの、じゃあセナに代わって私がゲームの方やらせていただきますね」
キシキシと軋み痛み始めた腕の感覚を無視し、私はマイクに向かって声を出す。途端、お祭り騒ぎをしていたコメント欄は一層騒めきだし、彼らの反応にやはり私は苦笑い。本気でビビり散らかしている彼女を引っ付けたまま、セナの代行として私はホラーゲームをプレイし始め。
そして、今に至るわけだが。
「いやああああああああっ!!!」
「痛い痛い痛い痛いっ! ちょちょちょちょっと待って! キマってるキマってるキマってる! 技キマってるって!」
「やだぁぁぁっ! 無理無理無理無理!!!」
【うるさ】
【鼓膜ないなった】
【ぎゃあああああ!】
【wwwww】
「ああああぁああぁぁあっ! セナ本当に待って腕! 私の腕変な方向! 曲がっちゃいけない方向に曲がってるからぁ!」
劈く悲鳴。曲がる片腕。耳鳴りのする世界。敵に殺されゲームオーバーの文字が浮かぶモニター画面。阿鼻叫喚のコメント欄。ほぼ楽天カードマン状態。彼女に代わり、ホラーゲームをやり始め数分。既に私の心と……ついでに私の腕は、既に折れそうになっていた。
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