第19話『最後に見る、夢』

「やばいやばいやばいやばいですって先輩! はやははははやくはやくはやく! 逃げて逃げて逃げて!」

「痛い痛い痛い痛いセナ待って逃げてる今ちゃんと逃げるから大丈夫だから心配いらないから一旦ちょっと腕離してっ!?」

「ダメダメダメダメ先輩来てます来てききき来てま来てますってば先輩!」

「分かってるから分かってるから来てるの分かってるから逃げてるじゃんだから私逃げてるじゃん待っていったたた痛い痛い痛い!」

「いやああああああああ! もうこんなの総動員じゃないですか誰ですかこんなゲーム作ったの誰ですかこんなゲームしようって言ったのそうですよ私ですよ私が原因でこんなことになってますよでも私のせいじゃないから全部リスナーの所為だからもう本当にやだあああああああああっ!」


 ここ数日の間に吐く息がすっかりと白くなり始めた今日、ガーッと音を立てながらエアコンから吹き出る空気が、部屋の中を温める。家に帰り、夕飯の支度を終えて早々湯船に浸かった、ホカホカと熱を溜め込む私の身体には少し暑いくらいの室内。夜の一角を切り取ったこの部屋で反響するは、ここ数週間で聴き慣れてしまった甲高い絶叫だ。

 ぎゅむぎゅむと腕にしがみつき、絶え間なく叫び声を上げる彼女。キリキリと捻切られそうな腕の痛みにダラダラと冷や汗を流しながら、それでもコントローラーを離さなくなったのはある種成長と言えるのではないだろうか。

 画面に映るゲームのホラー演出、私ないし配信を見に来てくれているリスナーの鼓膜を破壊する悲鳴、力を込められ指先が白くなった片腕。それらの要素を全て乗り越え、根性だけで私はゲームのキャラクターを操作する。ストーリーも最終章に突入し、エンディングを迎えようとしているからなのか、最後の最後で敵キャラクターを総動員されたゲーム画面は、混沌と化していた。


【うおおおおっ!】

【逃げ切れ!】

【怖すぎww】

【ひええええ!】

【セナち草】

【先輩頑張ってー!】

「ぐぬぅ! これで死んだら最初からやり直し! 流石にそれはやばい!」

「いや本当にそれはやばいですよ! 洒落になんない! まじでそれだけはやめてくださいね!?」

「わぁーかってるよっと!」

「きゃっ!」


 ゲーム終盤でようやっと手に入れたショットガンを、相手に向かってぶっ放す。途端、イヤホンから爆音の射撃音が鳴り、隣で漫ろに画面を覗っていた彼女が大きく跳ねた。


「〜っ! 撃つなら! 撃つって! 先に! 言ってください!」

「この状況で!? そんな無茶なっ!」


 ダンダンッ! 続けて二発、涙声で理不尽な叱責をする彼女を横目に、敵キャラクターに攻撃。わかりやすくグラリとよろめいた隙に、素早くダッシュ。大ぶりな攻撃モーションをし始めた別の敵も避け、先にある出口へとキャラクターを走らせる。


「はやくはやくはやくはやく!」

【最終決戦すぎ】

【頑張れ!】

【頑張れ頑張れ】

【星屑も頑張れ!】

「星屑も頑張れって、頑張ってるよ! プレイはしてないけど!」

【草】

【せやな】

【知ってた】


 折角だからとイヤホンの片方を耳につけた彼女が、ぐわんぐわんと私の身体を揺らして急かす急かす。ゲームキャラクターの背後から聞こえる足音と、荘厳かつおどろおどろしいBGMが更に私を掻き立てた。集中し切り、全力で怖がる彼女やリスナーからの応援コメントに反応出来ないほどに。左右に揺れる身体でじぃっと画面に視線を注ぎ、今までのプレイで培った力を用いて追いかけてくる敵キャラから逃げる逃げる。出口はもうすぐ、目と鼻の先だ。


「わああああ、もうすぐ、もうすぐですよ!」

【がんばれー!】

【いけえええええ!】

【もうすぐ!】

【頑張って!】

「……〜っ! はっ!」


 不気味な暗がりが続く廃墟とは対称に、神々しく眩惑な光が溢れる出口へ。ギリギリと腕に響く鈍痛も忘れ、喝采を浴びる私はエンドロールまで駆け抜ける。そして次に、止めていた息を短く吐いた瞬間、ゲーム画面は真っ白な光によって包まれた。


「…………あっ」


 透明な静寂が、頬を掠める。耳の中で流れていた音楽は雪が溶けるかの如く、フェードアウト。画面の中の白はやがて暖かな暖色に染まり、平和を象徴する小鳥の囀りが微かに聞こえた。


「……おわ……った?」


 ポツリ。静まり返った部屋の中で、私の声が鮮明な輪郭を持って響き渡った。


「……っ! 終わった! 終わりました! 終わりましたよ先輩!」

「う……ん。終わった……んだよね?」

「終わったんですよ! やっと!」


 呆然と画面を見ていた私に、抱きついたままの彼女が歓喜の言葉を跳ねさせる。その時なってようやっと私は今の今までプレイしていたゲームが終わった事に気がつき、ドッと噴き出ていた汗を拭うことも忘れ、腰掛けたゲーミングチェアの背凭れに身体を預けた。


「わぁ〜! 先輩すごいです! やりましたね! 終わった! ほんと、長かったぁ〜!」

「いや、ね。うん。長かった。うん。ふう」

「先輩語彙力っ!」


 放心状態の私と、興奮した様子の彼女。キャッキャと騒ぐ彼女の声を皮切りに、同じく静けさを漂わせていたコメント欄が、一気に賞賛と雄叫で埋め尽くされた。


「終わりましたねせんぱぁ〜い。私達はやったんです! やりましたよ! 見事、ホラーゲーム配信達成!」

「そうだね……うん、終わったねぇ」

【お疲れ様!】

【うおおおおおお!】

【おつかれー!】

【おつ!】

【こっわー!】

【終わっちゃった……】

【お疲れ様です】

「終わったよみんなぁ〜! 頑張ったよぉ〜」

【セナちお疲れ!】

【よく頑張りました】

【セナちゃんの悲鳴もう聞けないの名残惜しいよ】

【セナち見てるだけだったじゃんw】

「あーあーあー、わかんないわかんないわかんない。て言うかホラゲー苦手なのに配信参加してるだけ偉くない!?」

「あはは、皆さんありがとうございます」


 彼らの労いの言葉の一つ一つに目を通し、達成感から動かなくなった身体でなんとか感謝の意を述べる。対し、ゲームクリアに相当テンションが上がっているのか、抑揚のつきまくった声でリスナーの一言に噛み付く彼女は、しかしながらその顔に笑みを浮かべていた。


「はぁ〜、でもほんと、今日まで配信見に来てくれた皆んなには感謝だよぉ〜」

「そうだね。皆さん、暫く間私のプレイを見に来てくださってありがとうございます」

【大丈夫!】

【いえーい】

【寧ろこっちがありがとうすぎる】

【面白かったよー!】

【セナちと先輩二人の配信、楽しかった!】

【え? 先輩これからも配信参加するでしょ?】

【お疲れ様!】

「……先輩これからも配信参加するでしょ……ですって先輩。どうします?」

「んー。ホラーゲームの代理プレイは嫌かなぁ」

「ねぇ! ごめんなさい! でもありがとうございました!」


 和気藹々と私達は会話をする。プレイしていたホラーゲームも気づけば制作スタッフの名前が見えはじめていて、コメント欄の速度が早い配信は微かに終わりの空気を醸し出していた。


「いやぁ、でも長かったですねぇ」

「んね」

「めちゃくちゃボリューミーで、怖かったけどストーリーも良くて」

「ほとんど見てなかったでしょアンタ」

「いやいやいや! 確かに怖いシーンは目瞑ったりしてましたけど! でもちゃんと目、かっぴらいて見てたんで!」

「本当にー?」

【草】

【セナち目、瞑ってたんだwww】

【ちゃんと星屑ストーリー理解してるかー?】

【めちゃ面白かったよねぇー!】


 ホラーゲームが終わったことによる安堵感なのか、テンションの高い彼女は声を弾ませていた。同様に、安心感からほっと肩の荷が下りた私も、普段よりも声が高くなっていた。


「でもやっぱ、ホラゲーは今後いいかなぁ〜……」

【セナち、本当にホラゲー無理だよねwww】

【えっ!? 次の配信もホラーゲームだって!?】

【フラグきたな】

【セナちゃんの悲鳴聞けなくなるの寂しい!】

【またホラーゲームして欲しい!】

【全裸待機】

「いややんない! やんないから! 期待しても無駄だからね!? やらないから!」


無自覚に強張っていた身体から力が抜け、尚も放心状態から抜け出せない私は、リスナーの彼らと話している彼女を傍らで見る。その見慣れた横顔はずっと楽しそうで、ホッと一息。ゆっくりと呼吸をして、心に居座った気持ちの整理をした。


「わかった、わかったからみんな。何かの機会があれば、またやります。そんな機会作る気ないけど、作っちゃったらやります。やるからね? だから取り敢えず脱いだ服を着てもらって」

【お、言ったね?】

【言質取りました】

【へぇ〜? 機会があったらやるんだぁ〜】

【チョロくて草】

【全裸待機】

【楽しみすぎる!!!】

「ん? なんか今チョロいとか言ってた人いたね?」


 アフタートーク。安定した彼女の雑談。配信をやり始めてから数年。研ぎ澄まされ、磨かれ、完璧となった。入る隙などなく、付け加えられた存在は異物だ。途方もない孤独な努力によって高められた配信は、前々から完成されている。愚かしい事に、その事実に私が気がついたのはつい最近になってからだった。

 私は緩慢な呼吸を繰り返す。


「まま、一旦この話は置いといて。ゲームも終わったしそろそろ配信閉めようかな。時間的にも良い子は眠る時間になってるし」

【えー!】

【まだ早いでしょ】

【おつ!】

【全然まだまだ配信聞きたりないが?】

【悪い子だから眠らないんで、もう少しだけ続けてー】

【お疲れ様!】

【やだー!】


 配信終了を惜しむ声に、やはり彼女はすごくすごく嬉しそうに笑って。キラキラと煌めきを持つ彼女は苦しいくらいに眩しくて。すぐ側にいるのに、だけど遠くにいる彼女に手を伸ばしたい自分がいて。ギュッと握った拳を、ポケットの中に入れる。


「もぉ〜、みんなあたしのこと大好きすぎ! 毎回言ってるけど、明日も配信するからそんな寂しがらなくていいのにぃ〜」

【そういう話じゃない】

【それはそれ! これはこれでしょ!】

【あたい許せへん!】

【でも今日の配信は終わっちゃうじゃん!】

【やだー! 終わらないで!】

「ねぇなんでそんな反応になるの!?」


 私は眺める。透明な気持ちで眺める。胸中で騒めく一切合切を全て無視して、私は透明になる。少しの間だけであったが、彼女の光によって僅かにでも輝けた、そんな夢をこれからも大切にして。喚き叫ぶ本能とは裏腹に、冷静で穏やかな理性を持って。彼女を眺めていた私は、目を閉じた。


「じゃあ終わるからねぇ〜。明日は予定通り、七時から雑談配信するよぉ〜? みんな暇だったら見に来てねぇ〜」


 瞼が齎す闇の中、彼女の声だけがわかった。駄々を捏ねる彼らに呆れ、諭すような口ぶりであるが、嬉しさを隠しきれない声。楽しくて楽しくて、仕方ないって声。イヤホン越しじゃない、透き通った彼女の声。何度も何度も私へ向け……愛を唄った声に、私はそーっと息を吐き出した。


「えーっ、今日も今日とて配信を見にきてくれてありがとうございましたぁ〜。ホラゲー配信は暫くしないってことで。……先輩も何か一言ありますか? 今日までずっとプレイしてくれてたわけだけど」

「んーっと、じゃあ私も皆様に感謝を。今日まで皆さんホラゲー配信を見に来てくださりありがとうございました。拙いプレイであったとは思いますが、無事完走することが出来て非常に嬉しく思ってます」

「あっは! ちょっと、前から思ってたけど、先輩堅すぎ!」

「そう?」


 下ろしていた瞼を開けて、私は彼女に促されるままマイクに声を通す。すると配信に映るコメント欄は労いの言葉で埋め尽くされ、配信主である彼女は軽快に笑い声を上げた。


「でも、本当にありがとうございました。配信等々今までしてこなかったので、良い経験になったと思います」

【お疲れ様ー!】

【確かに先輩お堅いなぁ】

【これからも先輩にはセナちの配信に出て欲しい!】

【先輩も配信者として活動して欲しー!】

【おつ!】

【おつかれさまです!】

【先輩さんがVになったら確実に沼る。何ならもう沼ってる】

【また配信参加してくれますよね?】

【せんぱーい! すきだー!】

「慌ただしく、新鮮で、すごく楽しかったです。配信者とかVtuberとか、なってほしいってコメントがちらほらありますが、まぁ予定は未定ということで」


 私を呼ぶ彼らの言葉が胸に突き刺さる。お疲れ様の中に混ざった、私という存在を求めるコメントが、恐ろしい程の力で私の心を揺るがした。

 違うとわかっているのに、それでも何者かになれるんじゃないか。そんな醜悪な期待が、ねっとりと粘度を持って纏わりつく。


「みんなみんな。予定が未定ってことは、もしかしたらやってくれるかもってことだよ」

【ガタッ!】

【ふむ】

【まじか!!!】

【あちー!熱すぎるぜ!】

【燃えてきた】

【楽しみすぎる】

「ちょっとちょっとちょっと。セナァー?」

「えへ」


 ありふれた、いつも通りの彼女との会話。いじりいじられ、揶揄い揶揄われる。私の言葉で彼女は笑ってくれて、彼女の言葉は私の心を掬い上げる。

 奥深く、暗い水底で横になっていた私の手を引き、水面で反射する光の美しさを彼女は教えてくれた。透明な私を見つけてくれて、光の暖かさを教えてくれた。

 私は彼女のことが好きだ。だから私は、決めた。

 私は緩慢な呼吸を繰り返し、静かに口を閉じる。


「てぇ〜なわけで、ですねぇ〜。先輩から一言貰えたわけだし、配信終わろっかなぁ〜」

【いやです】

【はやくね?】

【お疲れ様!】

【また明日ー!】

【おつ!】

【もうちょいもうちょい】

「今日までホラゲー配信付き合ってくれてありがとねぇ〜! じゃ、お疲れ様〜」


 配信が終わる。名残惜しげに引き留めながらも、彼女を労るコメント欄。暗くなった配信画面。ぽつねんと残された、星屑セナのキャラクターがにこやかに笑う。夜特有の侘しい静けさが訪れ、そんな中彼女はこちらに振り向き、そっと朗らかに破顔。私を見つめる、茶の混じった黒の瞳が部屋の明かりで炯々と輝いた。


「終わりましたね」

「そうだね」

「いやぁ本当。やっとですよやっと。もうホラーゲームは懲り懲りです」

「アンタはただ見てただけだけどね」

「む。それはそうですけど。でもちゃんと最後まで側にいたの、偉いと思いません?」

「はは。そうだね」

「むむむ。棒読みっ!」


 二人きりの部屋で、私達は話す。配信中のものと違わないようで、違う談笑。その声音も、向けられる眼差しも、浮かべた表情も、違う。私しか知らない彼女の姿。私はリスナーである彼らが知らない、彼女のことを知っている。彼女のことを一番知っていると自負できる。何が好きで、何が大事で、何が大切で。私は彼女のことを、よく知っているのだ。


「でも楽しかったなぁ〜。先輩と一緒に配信するの、本当に楽しい!」

「そっか」

「ふふ。やっぱり先輩も配信活動始めましょうよ。そしたら今回みたいにあたしと先輩で、配信できるじゃないですか。勿論、あたしがフォローするんで心配いらないですよ? Vtuberになるっていうなら、知り合いのVモデラー紹介することもできるし、配信前のあれそれも私が先輩に教えるんで、大丈夫。ねっ、ねっ、絶対あたし良いと思うんですよ。先輩、人気出ますよ? あたしのリスナーも先輩のこと好きって言ってるし、先輩が配信者になったら本当に」

「星奈」


 だからこそ、私は。刹那的に見ることができた楽しい夢を、良い思い出として心の奥にしまって。胸中で暴れる本音をしっかりと隠して。楽しげに語らう彼女の名前を、呼んで。

 まんまるな彼女の目に、私が映る。彼女の瞳の中に住まう女は、穏やかな顔をしていたように、見えた。


「私は、もう配信には出ないよ」

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