第17話『光に魅入られた罪人は』

「……ふぅ。時間的にもゲーム的にもキリがいいし、そろそろ配信終わろっかなぁ〜」


 夜も更け、街を仄暗く照らす月がぼんやりと空の高いところまで浮かんだ頃。微かに震えた声の彼女が、一つ溜息をついてからマイクに向かってそう言う。


【えー!】

【まだまだいけるって!】

【早くね?】

【もっと二人の配信見てたい!】

【まぁゲームやるのは星屑じゃなく、先輩さんなんだけどww】

「ねぇそれは言わないお約束じゃん! もうみんなあたしがこのゲームすること諦めて!? 絶対に無理だから」

【言い切った】

【草】

【諦めきれない! 期待しかない!】

【いやなんでやねんwww】

【先輩かわいそす】


 私達の目の前に設置されたデュアルモニターの片方、映し出されるゲーム画面。左下に現れた自動セーブのロードマークが消えたと同時に、配信の終わりを告げた彼女へ、リスナーである彼らは名残惜しそうにコメントを流す。


「もぉ〜! 配信、終わるからねぇ〜?」


 それは配信においてのテンプレート。まだまだ配信を続けてほしいと願う彼らに対して、しかし彼女はカチカチとマウスを操作し、配信終了の準備を始める。


【マジでセナちにもう一回くらいやってほしいな】

【終わっちまうのかぁ】

【お疲れ様ー!】

「……マジでセナちにもう一回くらいやってほしい……みんなの鼓膜が良かったら、やらないでもない」

【今更】

【おつ!】

【おぉ?】

【言質取り申した】

【なるほどつまりやると】

【俺らの鼓膜丈夫だから任せろって!】

「いややるとは言ってない! やるとは言ってないから! やらないでもないってだけで、絶対にやるとは言ってないからね!? ていうかそもそもさぁ!」


 これもある種のテンプレート。リスナーのコメントに流され、終わると言いながら会話を続けてしまうのは、星屑セナの配信においての定番。醍醐味と言ってもいい、続けられる会話。話を途切れさせなければ、配信が長引く事をリスナー達も知っている所為か、様々な話題が飛び交うコメント欄。そしてまんまと彼らの策略に乗せられ、喋る事をやめない彼女。

 私はそんな彼女と彼らの様子を傍らで、じっと眺めていた。


「——っとに、マッチポンプじゃなくてって、もぉ〜! またいつものやっちゃってるし!」

【草】

【星屑さんwwww】

【バレた】

【今日は早かったな】

【ん? 何のことかな】

【まだいけるって! 粘るぞお前ら!】

「いやもうやんないから! はーいはーい終わりまーす! 終わりますからねーみんなねー。粘った所で意味ないぞー」


 配信終わると口にしてから、約十五分。ようやっと彼らの罠にハマっていると気がついたのだろう。まだまだ配信を続けさせようとするリスナーへ彼女はキッパリと言い切り、マウスから右手を話したかと思えばパンッと手を鳴らす。


「てなわけで! 今日の配信は終わります! みんな物足りなさそうだけど、明日もまたホラゲー配信の予定なのでこのまま健やかに眠って、次に備えてください!」

【やだー!】

【何を備えるんだ……?】

【新しい鼓膜用意しとくわ】

【おつおつー!】

【実は俺、星屑に話してないとっておきのエピソードがあってだな】

【お疲れ様セナち! 明日も楽しみにしてる!】

【おつ!!!】


 加速するコメント。彼女を労う言葉が下から上へ。なんとか彼女を引き止めようと尚も抗うリスナーもちらほらといるが、無惨にも彼らはお疲れ様の嵐に飲み込まれていった。


「じゃ! また明日ね! みんなお疲れぇ〜!」


 彼らの声を数瞬目で追っていた彼女は、終わりの挨拶を言った後、カチリと配信を閉じる。瞬間、静まり返った部屋の中。配信がちゃんと終わっているかの確認をした彼女は、ゆっくりとゲーミングチェアの背もたれに身体を預けた。


「……お疲れ様です先輩」

「ん。星奈もお疲れ様」


 やおら、こちらに振り向いた彼女は、へにゃりと表情を崩す。眦を下げ、ふわっと頬は緩み、僅かに傾げられた頭。彼女の癖のある明るい髪の一束がサラリと揺れる。茶の色が混じった瞳がトロリと揺蕩い、私を映す。そっと差し出された両手を、私はキュッと握った。


「ふふ、今日も楽しかったですね」

「そうだね。終始アンタは悲鳴あげてただけだけど」

「だって怖いんですもん。悲鳴くらいあげますよ」

「えぇ? プレイしてるの私なのに?」

「それでも怖いものは怖いの。バッて急に現れたら誰だってああなります」

「んー、確かに驚くことはあるけど、あんな悲鳴あげるほど怖いとかはないし」

「それは先輩がおかしいだけですよ。なんでずっと冷静なままプレイし続けられるんですか」

「んー、さぁね」


 繋いだ手を握り返される。私よりも背の低い彼女は私を見上げて、ムッと口をへの字にした。なんともあざとく、可愛らしい姿だ。私は静かに笑い、立ち上がって彼女の手を引く。


「お腹空いたでしょ。ご飯、もう食べれるよ」

「んぅ、お腹は減った、んですけど。もうちょっと」


 私に促されるまま、腰を上げた彼女はそのままそっと私に身体を寄せる。するり。子猫が飼い主に甘えるかの如く、抱きついて私の首筋に頬を擦り当てた彼女。上機嫌にクスクスと笑い、ゆらゆらと揺れる。


「どうしたの」

「ただあたしが甘えたくなっただけですよ?」

「はぁ〜もう、小悪魔め」

「ふふ。そうですよ? 知ってるでしょ?」

「知ってるけどさ」

「いいじゃないですか。小悪魔系、可愛いし」

「自分で言うのね」

「だってあたし可愛いもん」


 彼女は自信満々に言い切ると、流れるように私の頬へキスをする。それからゆっくりと私の身体から離れ、緩み切った笑みを浮かべて私の目を見る。怖いほどに真っ直ぐな眼差し。炯々爛々。私しか知らない、瞳の輝き。


「好きです」

「……うん」

「貴方が好きです。葉月さん」

「知ってるよ」

「ふふ、すぅ〜き」

「もう、急になんなのさ」

「ふふ。だってぇ〜、あたしすっごい好きだから」

「そうだね」

「んっふふ」


 弧を描く唇。久々に目にした悪戯な破顔。何度も何度も伝えられるは、愛の言葉。只管に紡がれる純粋な想い。全身から溢れる私の好きが、私の心を焦がす。チリチリと、チリチリと。むず痒く、擽ったい灯火。それでいてポカポカと暖かい。苦しいまでに。澄んだ彼女の愛の唄が、私に向けられた。


「……なんか恥ずかしくなってきました」

「ふふ、何それ」

「ん〜! 逃げます!」

「えぇ?」

「すたこらさっさぁ〜!」


 パッと私から距離を置いた彼女は、瞬く間に部屋を後にする。突然すぎる彼女の行動に困惑の声を私は漏らすが、その音が彼女に届くことはなく。

 ぽつねんと部屋に取り残された私は、開けっぱなしの扉をじっと見つめる。数秒前まで感じていた穏やかな熱が、さぁーっと溶けて消えていった。


「…………」


 桐崎星奈。私の、恋人。私の好きな人。私が好きな人。私を好きな人。誰よりも、何よりも。大事で、大切な。愛する人。私の……光。


「…………」


 手を伸ばす。光に向かって。手を伸ばしている。光を掴もうと。手を伸ばしていた。その先にもう光は無いというのに。手を伸ばしてしまった。伸びたその手が……光を掴めるはずがないのに。


「……はは」


 乾いた笑い声が溢れた。伸ばされた腕が、だらんと力なく落ちる。シンっと冷酷な静謐が、私に触れる。呼吸すらままならない世界が、私を責め立てる。絶叫する心臓が、私を嘲笑う。冷静な頭が、私を諭す。輪郭さえもはっきりしない、何者でもない……何者にもなれない私を。

 光である彼女と、何でもない私。私は光によって生まれる影ですらない。何者にもなれないのなら、影にすらなることが出来ない。光あるところに、影はできる。しかし、何もないところには何もできない。ずっとずっと、私は透明なまま。そこにいるはずなのに、そこにいない。あの頃から、変わらないまま。

 隠した真実が、繕った嘘が、今更になって私を責め立てる。私は嘘をついた。私はまた、逃げた。影にもなれないと言うのに、彼女の光を遮った。彼女の美しき光が、屈折してしまうと分かっていたのに。

 何が正解かわからない。だけど、間違えてしまったことはわかっている。一番愚かな選択をしたと、わかっている。私は彼女に……光に、手を伸ばすべきじゃなかったんだ。


「……わかんないな」


 光から与えられた熱は、酷く暖かくて心地良かった。色のない透明な私を見つけ、彼女は見つめ続けてくれた。私の心に触れ、私を愛してくれた。好きだと言ってくれた。名前を呼びたいと言ってくれた。一緒にいたいと言ってくれた。何でもない、透明な私を。

 私は彼女が好きだ。色素が薄いふわふわなブラウンの髪も。いつ何時だって可憐に煌めくまんまるな目も。ほんのりとネイルが施された、細く長いしなやかな指も。喜怒哀楽の感情が滲む、童顔な顔立ちも。甘え坊な癖に甘え下手な彼女の仕草も。何事にも真摯に突き進む生き様も。

 全部、好きだった。大切だった。大事にしたいと思っていた。彼女の幸せを願っていた。その穢れなき笑顔がこの先もずっと続いていく事を祈っていた。そして出来るなら……私を好きと言ってくれた彼女の隣に、私がいれたのなら。密やかにそんな事を、思っていた。

 だけど……でも……。

 彼女の光は、私だけのものではない。私だけのものだと思っていた光は、誰のものでもない。私がいる影響で、傷ついている人がいる。私が彼女の光を歪めている。それは……あっては、ならない事。

 でも……では? 私はどうすれば良いのだろう。正解は何なのだろう。私が今、何でもない私がやるべきことは……。


「…………」


 わからない。何もわからない。いや、わかってる。自分がすべきことなど、とっくに私はわかっている。だけど、わからないふりをしている。わからないふりをして、やらない理由をつくってる。何故って、私がやらなければならないことは、私がやりたくないことだから。

 逃げている。全てから。何も見たくないと必死に目を背けて。何も知りたくないと必死に耳を覆って。何もわかりたくないと必死に思考を放棄して。私は逃げ続けている。

 愛おしいあの子の光が、どうしようもなく私を狂わせる。何も持たずに一人で生きていた私は、光の眩さを知ってしまった。例え透明であっても、その光を心の底から希ってしまった。


「……好きだよ」


 届かない言葉が、部屋の中を無意味に反響。彼女の好きに対して応えることが出来なかった私は途轍もない弱虫だ。澄んだ清らかな光を前にして、私は後退りをした。光を曲げているのに、光に手を伸ばしているというのに、怖くなったのだ。その光と向き合う事が。その光に触れる事が。怖くなった。

 狡く、情けない人間だ。嘘をつき、間違え、正解をわかっていて尚知らないふりをして。向けられた光が怖くなり、だけど光を失うことも怖い。何者にもなる事ができず、何者にもなろうとせず。ただただぼんやりと曖昧な幸せなぬるま湯に浸かって、このまま続けばいいと考えてる。その結果、幸せを壊す存在は隠して無かったことにして。吐いた嘘がバレるその瞬間に怯えている。

 あぁ、滑稽なことか。愚かしくて仕方ない。もし私達の物語を誰かが見ていたとすれば、立派な笑い者だ。グルグルと馬鹿みたいに舞台上で踊る、ひょうきんなピエロ。

 だけど、透明な私はそれにすら、なれない。誰も私を笑わない。誰も私を知らない。誰も私を見ない。…………光である、彼女以外は。


「……せんぱぁ〜い?」


 部屋の外から私を呼ぶ彼女の声が聞こえた。私はその声に返事をしようと唇を開くが、どうにも言葉が出ない。喉の奥が張り付いて、掠れた息しか漏れない。

 私はスッと息を吸って、キリキリと痛む胸元を手で抑えた。


「なにー?」

「お腹減りました!」

「はいはい」


 背負った罪は、消えることはない。贖う機会すら自らの手で消し去った私を、誰も許さない。きっと私はいつか、その罪が露呈して地獄に堕ちるはずだ。光無き、仄暗い地獄に。

 ……だけど、もう少し。もう少しだけ。彼女の光を浴びていたい。向き合うことも触れることも怖いけれど。もう少しだけこの、彼女とのぬるま湯のような幸せな時間を。もう少しだけ……。

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