第16話『全部、無かったことにした』
何者にもなれない人間が、さも特別な人間になれたかのように振る舞った。ひたむきな努力により到達した頂を、何もしてこなかった人間が一緒に見せてと宣った。自己中心的な行動を、しかしその人に頼まれたからと言い訳をして。何者にもなれない癖に、何者かになろうとした。何者かになれていると勘違いをして。誰かを傷つけていると、気が付かないで。
【こんな配信を見せられているリスナーの気持ち、考えた事ないんですか?】
彼女が目を閉じていて良かったと思った。
星屑セナへ叫ばれた愛のコメント欄に紛れ、投げられたスーパーチャットに綴られるは、そんな言葉。私は思わず口を噤み、息を呑む。ドクンと心臓が大きく跳ね、じっとりと冷や汗が滲んだ。
【星屑セナ可愛すぎて惚れてる】
【おまいらツンデレすぎやろwww】
【実は俺、星屑の手玉にとられるの好きなんだよね】
【いくらマシュマロで伝えても反応がないからここで言わせてもらいますが、リスナーの僕達をバカにしてるようにしか思えないです】
【好きだー!】
彼女が見ていない状況に、これ幸いとお祭り状態になったコメント欄で。またもスーパーチャットで書かれたその文章は、誰がどう読んでも私達を非難するもの。真っ赤に彩られたそれは嫌でも目に入ってしまい、その文章が私の早鐘を打つ心臓に突き刺さる。
【なんだ?】
【セナち好きっぴ……】
【おい、なんか変なのいるぞ】
【なんだこいつ】
【ん?】
【なんかやばい奴いるくね?】
【僕達を弄んで楽しかったですか? 僕が投げたスーパーチャットもずっとあなた方がイチャイチャする為に使われていると思うと、反吐が出ます】
【大丈夫?】
連投される真っ赤な発言。私がその赤に気がつくと言うことは、配信を見に来ているリスナーの皆も気づくと言うこと。微笑ましくそれぞれが好きを伝えていたコメント欄は、途端にその流れを加速させ不穏な空気を醸し出し始める。
【やばいって】
【荒らしおるやん】
【なんなんこいつ】
【ずっとセナさんを信じていたのに。恋人がいるとバレた罪の意識は抱かないのですか? 抱くわけないですよね。こんなリスナーを嘲笑うかのような配信をしているのですから】
投下される一万円の赤。向けられた悪意の赤。鋭利で、尖鋭な赤。
混乱と困惑で満たされたコメント欄がより一層私の心臓を握り、喉がきゅっと閉まる。ザワザワと乱れた空気をなんとか治めなければと、脳が警鐘を鳴らしているのに。一向に私の口から声が出ることはなく、無様に騒然とした彼らの反応を見ることしか出来ない。
【なになになに】
【誰かこいつなんとかしろ】
【何これ】
【仮にもチャンネル登録者五十万人を抱えるVtuber。僕達にあれだけ貢がせておいてのこれですか? 僕達がいてのセナさんだって自覚がないんですか?】
【きっしょ】
【荒らし?】
【先輩さん、大丈夫?】
ゲームをプレイすることに。配信に参加することに。リスナーの皆と話すことに。慣れ始めてきたと思っていた。何者かになれていると。特別な人間になれていると。皆から好かれていると。私は無意識に思っていた。
だけど、どうだ。やっぱり、ダメじゃないか。先程まであれだけ意気揚々とゲームをプレイし、リスナーと喋っていたというのに。いざ、このような状況になった時、私は何も出来ない。突きつけられた悪意と向き合うことも。そのコメントを無かった事にして無視をすることも。混沌と化したコメント欄を諌めることも。
【ねえ誰かこいつ通報して】
【キモいって】
【は?】
【なんなんこれ】
【赤スパニキ激怒なうw】
【やば】
【えぐいのおるなぁ】
何も出来ない。何も出来ない。何も出来ない。ただただ情けなく言葉を失い、呆然と画面を見つめることしか出来ない。結局私はあの頃から変わっていない。無力で愚かな、逃げる事しか出来なかったあの頃から、何も。
——お前は何にもなれないよ。
「っ!」
脳内で駆け巡るフラッシュバック。忘れたくても忘れられないあの頃の出来事が、私を嘲笑う。こびりついて離れないあの人の言葉が、私を詰る。何者にもなれない私自身が、私を指差す。
ほらね。だからお前はダメなんだ。お前のせいで誰かを傷つけた。お前のせいで配信をダメにした。お前のせいでこうなった。全部全部、何者にもなれないお前が、でしゃばったせいだ。お前が彼女に泥を塗った。お前が彼女の名前に傷をつけた。お前が彼女を信用を失わせた。お前がいたから、彼女が糾弾されたんだ。お前がいなかったら、誰かが傷つくこともなかった。お前がいなかったら、楽しい配信を壊すこともなかった。お前がいなかったら——
「……先輩?」
「……あっ」
「どうし、ました?」
不意に鼓膜を撫でた、私を呼ぶ声。ハッと意識を取り戻した私は隣にいる彼女へ徐に目を向け、その顔をじっと見つめる。
私の腕にギュッと身体を寄せ、眉根を顰めて未だに目を閉じる彼女。フルフルとその華奢な身体を揺らし、怯えた様子で私を呼んだ彼女の声は、酷く弱々しい。恐怖により硬直した身体には異様に力が入っており、巻き付いた細腕は私の左腕を締め付ける。縋るように、窺うように、怖がる彼女は恐る恐る私に尋ねた。目を瞑ったまま、何があったのかと。頗る顔色の悪い面持ちの彼女は、掠れた声音で。
瞬間、私はふっと息を溢す。
「……急に敵が現れて、ちょっとビックリしただけ」
「えぇ!? ちょ、早く言ってくださいよ! ていうかリアクションの一つしてください!」
「あはは、ごめんごめん。驚いて言葉出なくて」
「あーあー本当に嫌っ! やっぱあたし暫く目、開けませんからね!」
「はいはい」
私は彼女に嘘をついた。咄嗟に、嘘をついてしまった。その場限りの、すぐにバレてしまう嘘を私はついたのだ。
彼女が目を閉じ、画面を見ていないこと。画面を見ていない為、投げ込まれたスーパーチャットを知らないこと。彼女は何もわかっていないこと。瞬時にしてその事実が頭の中で過り、いつの間にか口をついて出た言葉はどうしようもない、嘘であった。
「今追いかけられてるから、目開けたらまたリスナーのみんなの鼓膜破壊しちゃうかも」
「ええぇえぇ……嫌すぎぃ……」
「あはは」
いずれはバレてしまうとわかっているのに、ボロボロと嘘ばかりを吐いてしまう。
本当はゲーム内で敵に追いかけられているなんてことないのに。本当は無意味にコントローラーをカチャカチャと操作しているだけなのに。本当は真っ赤に染まったリスナーの想いに……何も出来なくなってしまっただけなのに。
今、私がゲームをプレイして、喋っている配信は私のものではない。私はただの代理にすぎない。配信の中心は彼女であり、リスナー達の寄せられたコメントも、気持ちが綴られたスーパーチャットも、全て彼女に宛てられたものだ。彼女には、彼らの想いを知る権利がある。彼らの想いに対し応える権利がある。配信をどのように左右するかの権利がある。私はそれを、ちゃんと理解している。
だけど、理解していると言うのに、私は嘘をついてしまった。配信主でもない私は、身勝手にこの空気を、私達に傷つけられた人の想いを、無かったことにしてしまった。
私という人間は、どう足掻いても変わることが出来ない。変われないのだ、私は。逃げることしかできない。多くの選択肢を与えられていても、いつも私が選ぶは逃避の一つ。逃げてしまったら、問題を解決することもできないのに。逃げてしまったら、何も変えることができないのに。何度も逃げてきた私は、それを知っているのに。それでも私は、逃げてしまう。嫌なことには目を瞑って、臭いものには蓋をして、何事も無かったかのようにして。
【通報した】
【やば】
【変な空気なったな】
【とりまもう一回セナちへの愛叫んどく?】
【これ大丈夫なん?】
【星屑ぅー! 好きだぁー!」
【星屑セナの話を聞いてなさそうで実はちゃんと全部聞いてくれてるところが好きー!】
「……あはは、みんなセナの事大好きですね」
「えぇ? 先輩それってどう言う事ですか……?」
居心地の悪い空気を正すことが出来なかった私の代わりに、リスナーの皆が自分達で穏やかな流れに変えようとしている姿が見えた。無理くり話題を変えて、再び彼女の好きを語りだす彼ら。私は自分の無力感に打ちひしがれながら、小さく彼らに「ありがとう」と呟く。
「……さて、と。ここからどう進めばいいんですかね?」
【セナちゃんちゅきっ!】
【先輩さぁ……】
【先輩の方向音痴が発揮されたぞ!】
【ちょっと進んだ先、バールで壊せそうじゃね?】
【星屑は頼りなんねぇから、俺らが先輩を誘導すっぞ!】
「あっ、本当だ。ここ、壊せそうかも」
本当に星屑セナのリスナーは優しい人が多いんだな。そう思わずにはいられない。コメント欄の雰囲気を変えてくれたことも、彼女に嘘をついた私に何も言わないことも、無かったことにした私に合わせてくれていることも。彼らの全部が全部、恐ろしいくらいに優しくて。
だからこそ私は、罪悪感で押しつぶされそうになっていた。
私は間違いを犯した。どうしようもない間違いを犯した。配信を見にきてくれている彼らに気を使わせてしまった。彼女に嘘をついた。傷ついた人間をいないものとした。そして何より——
——自分が、何者かになれていると、思い込んでいた。
何が正解かだったなんて、わからない。何が間違いだったかすらも、わからない。生きていく中で、誰も傷つけないなんて事はできない。誰しもが誰かしらを傷つけて、生きている。誰しもが誰かしらから傷つけられて、生きている。
星屑セナと私が付き合っていること。配信の切り忘れでバレてしまった事実。多くのリスナー達は私達の関係を許してくれた。それどころか、喜んでくれていた。彼らの底知れぬ愛が、私達を受け入れてくれた。
だからなんの根拠も無く、もう大丈夫だと思っていた。私達は皆から許されたと勘違いしていた。……そんな私達の言動で、傷ついている人がいると気づかずに。
「……なんか一気に雰囲気変わりましたね」
【うっわ何ここ】
【コワァ】
【星屑この情景だけで叫びそうやなwww】
「確かに。セナ、雰囲気だけでめちゃくちゃビビるんで」
「何? 何の話ですか?」
「んー? アンタと一緒にお化け屋敷行って、私が怪我した話でもしようかなって」
「ねぇやだ! あの話まだ引きずって恥ずかしいんですから! やめてくださいよ!?」
【何それ気になる】
【kwsk】
【お化け屋敷で先輩怪我したんwww】
私達……いや、私の所為で傷ついている人がいる。それを知って尚、傷ついている人を見てみぬフリをする私を、一体誰が許してくれよう。間違いを犯していると自覚しながら、更に間違いを犯し続ける。贖罪の機会を自ら潰し、逃げて逃げて逃げて。大切な恋人の、大切な配信を、めちゃくちゃに壊して。
私は何も無かったかの如く、配信を続ける。配信始めと同じ体制でコントローラーを操作し、モニターに映ったコメント欄に目を向け、他愛もない会話を繰り広げる。何も無かった。何にも無かった。いつも通りを装って。
私は彼女に全てを隠し、真っ赤に染まった悲痛な叫びを、無いものにした。
私、人気Vtuberの彼女してます〜配信の切り忘れにはご注意を〜 終夜こなた @yosugarakonata
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