第15話『私達は傷つけていたんだ』
何が正解かだったなんて、わからない。何が間違いだったかすらも、わからない。生きていく中で、誰も傷つけないなんて事はできない。誰しもが誰かしらを傷つけて、生きている。誰しもが誰かしらから傷つけられて、生きている。
だからきっと、誰一人も傷つけないなんて選択は、無かったのだ。私達の関係がバレてしまった時点で、もうどうしようもなかった。何が正解で何が間違いかもない。強いて言うなら、私達の間違いは私達が恋人関係であったという所か。私達が恋人関係でなかったのなら、そもそもこのような事態に陥ることはなかったはずだ。そう思わずにはいられない。そう思わずにはいられない私はきっと……かつての友人が言った通りの酷い人間なのだろう。
「さてと……今日もあたしの代わりに先輩がゲームをしてくれるわけだけど」
「この形で参加するのも慣れ始めてきてるよね。今夜も皆さん、よろしくお願いします」
【キター!】
【待ってた】
【今日も先輩が操作すんのかww】
【そろそろセナちもホラゲー克服でプレイしてみたら?】
「……そろそろセナちもホラゲー克服でプレイしてみたら……って、みんなの鼓膜無くなっちゃうけど」
【もう無いから】
【今更でしょ】
【既にセナちの絶叫で破れてるぜ?】
「あー、まぁ確かに今更ではありますよね」
「ねぇぇぇ! 先輩!」
「あっはは!」
ここ数日の間に日常となってしまった、彼女とのゲーム配信。配信タイトルの最後につけられた数字は着実に刻まれており、もうすぐその字は二桁になろうとしている。
その頃になると、ある程度私も配信内での立ち回りや会話の流れを掴み始めており、感覚的にはすっかり配信者みたいになっていて。何者にもなれないと自覚しているはずなのに、何者かになれていると錯覚を起こしていた私は、恐らく調子に乗っていたのだろう。慣れ始めが一番危ないとは、よく言ったものだ。慣れによる慢心で、愚かにも人は間違いを犯す。それはどんな事柄であっても。
「じゃあ始めるけど……セナ、大丈夫?」
「全然大丈夫じゃないですけど、大丈夫です」
【それ大丈夫ちゃうなぁあ】
【セナち一生ホラゲーダメじゃん】
【いつもの】
「なら大丈夫ってことで」
「ちょっと待ってください心の準備を」
「やるからね〜」
「やだぁ……」
私達は……私は間違いを犯した。そして私は、間違いを犯している事に気づけなかった。自らの行いが間違いであると、気付けなかった。最初から私は間違っていたのだ。最初と定義されたその瞬間は途方もなく遠いもので、何処から間違っていたのかすらわからなくて、故に間違いを犯している事実に気がつけなかった。
「えーっと……確か前回地下室の鍵を手に入れてて」
「……多分、そこの階段降りた先の扉です」
「あっ、そうだね。ありがとありがと」
「方向音痴めぇ……」
【もう星屑シワシワで草】
【怖がってるセナちかわいー!】
【安定に先輩冷静すぎでしょww】
「怖いっちゃ怖いですけど、やっぱ自分より怖がってる人間が身近にいると、ね?」
「うぐぐぅ……」
【それはそう】
【セナちの壊滅的なゲームプレイも見てて飽きないけど、先輩の落ち着いたプレイもいいなぁ】
【そろそろ鼓膜破壊の準備しとかないとかも?】
今日も今日とて、私は彼女の代理でホラーゲームのプレイ配信に参加する。機材に繋がれた有線のイヤホンを両耳につけ、コントローラーを握る。私と彼女二人の間に垂れたマイクへ声を掛け、ゲーム画面と配信画面に視線を行き来。流れる彼女のリスナーが打ったコメント欄に目を通し、会話をする。
「……確かになんかこの後ありそうな気配がしますね」
「ねぇやだ先輩。そんなこと言わないで……」
「え? でもセナ心の準備できるよね?」
「それはそうなんですけど、だからって怖くなくなるってわけじゃないですから。逆に身構えて、悲鳴あげる準備が整ってるってことになりますし」
「いやいやいや、どう言うことなのそれは」
【それな】
【本当に星屑どう言うことなの】
【やっぱ鼓膜破壊される準備しといた方が良さそうだな】
「……やっぱ鼓膜破壊される準備しといた方が良い。いやまぁそうだね。みんな準備しておいた方がいいかも。あ、勿論イヤホン外すとかはダメだよ? 全員等しく死んでもらうから」
【殺害予告……?】
【俺らセナちに殺されちゃうってこと?】
【大丈夫。俺らの鼓膜日頃の配信で鍛えられてるから】
配信中の環境や温度感に馴染み始めたのは、彼女のリスナーである彼らの多くも同じであっただろう。そう私は無意識に考えていた。事実、最近の彼らは星屑セナの配信を見に来ているはずであるのに、星屑セナではない名前を持たぬ女の登場を、当たり前かの如く受け入れていた。素性のわからない女の発言へ、彼らは普通にコメント欄で応対し、簡素な棒人間の身を与えられた女のリアクションへ、彼らは当然にコメント欄で反応を示していた。
だから私は、自分の存在がこの場にいることへの違和感を感じなくなっていたのかもしれない。
「……あ、なんもなかったわ」
「もうほんっとうに……」
「ごめんごめん……あっ」
「きゃあああああああっ!」
【ギャッ】
【wwwwww】
【うぎゃああああ!】
【耳がっ!】
【いつもの】
【うるっさ!】
「いやあああああああ!」
「いったたたた! 痛いってセナ!」
ホラーゲームが怖い。自分で出来ないから代わりにプレイして欲しい。彼女が言ったお願いを、都合の良い言い訳にして。私はゲームをプレイする。私は配信に参加する。さも自分が、配信者になったみたいな気分で。何者でもない、何者にもなれないことを、忘れて。
もう配信には参加しないって、自分で決めていたはずなのに。初めて配信に参加したあの日、私は確かに彼女の翳った表情を見ていたはずなのに。身勝手に、楽しんでしまう。星屑セナの配信を乗っ取って、楽しんでしまう。間違いを犯していると、気が付かないまま。
【wwww】
【また星屑が先輩の腕引き千切ろうとしてて草】
【やっぱ鼓膜無いなったわ】
【先輩www】
「うぅ……先輩の嘘つき。何もないって言ったのに」
「ごめんってば。嘘つこうと思って嘘ついたわけじゃないから。ね? ほら、もういないよ? 大丈夫だよ?」
「いーや! それも絶対嘘です! まだいます! 絶対まだいる! 完璧に安全なるまであたしはこの目を開かないですからね!」
【草】
【wwww】
【え、セナち目瞑ってるの?】
「はい。今セナ目、瞑ってます」
【マジで草】
【星屑ぅ!】
【こりゃホラゲー克服無理そうだな笑】
腕にしがみついたまま、ギュッと目を瞑って唸る彼女の代わりに、私がリスナー達と会話をする。気を抜いた瞬間に現れたゲームの敵キャラは既に形を顰めていて、おどろおどろしい空気が流れているが、画面上は落ち着いている。そのことを彼女に伝えるが、ブルブルと身体を震わせ異常に怖がる彼女は一向に閉じた瞼を持ち上げることはない。私はそんな彼女の様子に苦笑し、しばらくは無理そうだとゲームを進める。
【本当に先輩のプレイは安心して見れるな】
【先輩の腕やばそwww】
【先輩他にゲームとかしないんですか?】
「……んー、どうでしょう。特段今までゲームをしたことがないので。強いて言うならどうぶつの森とか?」
【どうぶつの森ww】
【先輩がどうぶつの森してるのギャップあるな笑】
【どう森とかなっつ!】
【おいでよが好きだったなぁ】
「あっ、わかります。おい森のメッセージボトルとか好きですよ」
このゲームにも配信と同様慣れ始めていた。コントローラーの操作も最初は覚束なかったが、今ではスムーズにキャラクターを動かせているように思える。隣で震える彼女を腕に、ゲームプレイをしながらコメントの返事で他愛もない会話ができる程度には。
【おい森いいよね!】
【とび森とあつ森しかしたことない】
「おぉ、ジェネレーションギャップを感じますね。まぁそうは言っても、どうぶつの森シリーズをやったの大人になってからなんですけど」
【そうなの?】
【大人になってから、ぶつ森やるのもいいよね】
「そうなんですよ。うち子どもの頃にゲーム機で遊んだことがなくて。大人になって、自分でDSを買ってようやっとできたって感じです」
リスナーと話しつつ、淡々とゲームを進める私。その間、何度か道に迷ってリスナー達から草のコメントを頂くなどあったが、なんとか順調にクリアに向かっている気がする。とはいえ、恐らくストーリーはまだまだ中盤なのだろうが。
【ていうかさっきからセナちの気配感じないけど、大丈夫?】
「……あは、大丈夫ですよ。ずっと目を閉じているのでコメントに反応できてないだけです。ね、セナ」
「何がですか。何ですか。何か文句ありますか!?」
【草】
【wwww】
【セナちww】
【ダメそうですね笑】
【星屑ぅ!】
「も〜。画面くらい見なよ。みんなアンタの心配してるよ?」
「……ちょっとまだ無理かも」
「…………だ、そうです」
【草】
【無理かぁ】
【別に星屑が喋ってないのが寂しいとか、俺思ってねぇーし】
【セナちゃん可愛い!】
つくづく彼女のリスナーは、星屑セナに甘い。揶揄い、揶揄われ、時に彼女から怒られている彼らであるが、やはりなんだかんだ推しには弱いのだろう。優しさとツンデレの混じったコメント欄に、私は人知れず嬉しさを覚えた。
「まぁ取り敢えずセナはずっといますよ。セナに伝えたいことあったら、私が口頭で彼女に伝えるので」
【今星屑はコメ欄を見ていないと。なるほどね】
【やさC】
【星屑好きだ!】
【セナちゃん大好き】
【ところで星屑セナってマジで可愛いよな】
【ここぞとばかりにセナに愛を伝え始めるオタク達】
【↑可愛いのわかる!】
「……これは伝えた方がいいやつですか?」
【待って】
【いや俺らそう言うのじゃないから】
【ちょっと待って?】
【好きだー!】
【先輩さん!?】
「あっはは!」
「……一体何が」
愛されている。そう感じずにはいられない。私の好きな人が、多くの人から好かれているという事実が、嬉しくて仕方ない。
彼らもまた、彼女の魅力に取り憑かれ彼女の圧倒的な輝きに焼かれた人間であるのだろう。普段彼女の掌で転がされ、憤慨している彼らであるが、それでも彼女のことが好きでたまらないのだ。彼らは私のことをよくツンデレの人と呼ぶが、彼らの方がよっぽどツンデレと言えよう。
ゲーム画面とは相反に、コメント欄は非常に和やかかつ微笑ましい空気に包まれていた。ツンデレな彼らが叫ぶ愛の言葉。ギュッと目を閉じている当の本人は、一体全体何が起こっているのかわかっていないと言うのに。彼らの愛の言葉は、流れ続ける。
故に、スッと愛に混じって流れたそのコメントが、目についてしまった。故に、色が付けられたそのコメントに、私は息をすることができなくなった。故に、気持ちの綴られたそのコメントに、私は自分自身が何者でもない事を忘れていた事実に気がついた。
生きていく中で、誰も傷つけないなんてことはできない。誰しもが誰かしらを傷つけて、生きている。誰しもが誰かしらから傷つけられて、生きている。
【こんな配信を見せられるリスナーの気持ち、考えたことないんですか?】
愛の咆哮の中で一際目立つコメントは、きっと私達に傷つけらた人の絶叫であった。
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