第14話『私以外の人と』

『__そういや最近、セナちホラゲーの配信しとるよなぁ』


 すっかり暮れなずんだ街の夜風に吹かれながら帰り道を歩いていた私は、思わずその足を止める。


『あー、そうなの。リスナーに嵌められたよね』


 立ち止まった私を、当たり前に知らない彼女は躊躇う素振りを見せる事なくサラリと問いかけに答えた。耳に届く、そんな彼女のいつも通りの声。私は再び、歩みを進める。


『いや嵌められたって星屑、あれはもう狙ってるっしょ』

『いやいやいや、狙ってるわけないじゃん』

『いえ、あれは狙ってましたよセナさん。だってセナさんとこのリスナーですよ? ああなるってわかってましたよね?』

『そ、そそそ、そんなわけ』


 普段ならもうとっくに家に着いて、夕飯の支度を終える時間。仕事が長引き、肌に触れた空気はひんやりと冷気を纏っている。冬の感触だ。つい数日前までは残暑に辟易して、暑い暑いと愚痴をこぼしていたというのに。いつの間にか鳴りを潜めた夏の気配。いざその輪郭が薄れ始めると、あの暑さがどうにも恋しくなってしまうのだから、不思議なものだ。


『見事なマッチポンプやったよなぁ』

『だから違うって! あれは全部アンケートが悪い!』

『ほんまにセナちのホラゲー配信おもろいよなぁ。一生叫んどるやん』

『自分でプレイしてねえのに一生叫んでるの、最高に滑稽でおもしれぇよな』


 背負っていたリュックを揺らし、足早に歩くサラリーマンに倣って家路を急ぐ。先程まで、暖房が効いた電車の中でうつらうつらと船を漕いでいた所為か、冷え込んだ夜の空気が身に沁みる。まだコートやダウンジャケットを引っ張り出すには少し早いか。とはいえ気温の下がった夜の空気は私の身体を身震いさせる。冷たくなった指先へ無意識にハッと息を吹きかけた私は、コツコツと足音を鳴らす。


『よかったねぇセナち。自分の代わりにホラゲーしてくれる人が身近におって』

『……いや、それは本当に思うよね。絶対あたし一人だけだったらクリア出来なかった』

『そういえば僕思ったんですけど。今までのセナさんのホラゲー配信、一人きりだったことない気がするんです』

『……えっ、嘘。待ってあたしの配信そうなの?』

『あぁ〜。なんか確かに、星屑が初めてホラゲーするって息巻いてた時、俺ら見守ってたよなぁ』

『なっつ。そんなこともあったなぁ。途中からセナちがギブアップして、結局うちら三人が交代交代でゲームし始めるっていう』

『おま、星屑あの頃から全然変わってねえじゃん! 四年前から成長してねえぞこいつ!』

『うるっさいなぁ〜!』

『……あっ、セナちそっちクリーパーおるで』

『えぇ!?』


 耳の中でこだまするは、男女四人組の声。和気藹々と繰り広げられる談笑。デビューして間もない頃からコラボをし、仲良く遊んでいるためか、彼女らには遠慮や蟠りはない。聞いていて朗らかな気持ちになる彼女らの会話。揶揄われながらも、彼女の楽しげな声に私はふっと息を漏らす。


『星屑大人しくしとけよ〜? お前すぐ全ロスするんだから』

『いや大丈夫だから! これくらい朝飯前よ!』

『とか言いながらセナち死ぬん目に見えるわ〜。壊滅的にゲームセンスないもんな〜』

『今倒しに行くんで、そこから動かないでください』

『みんなあたしのことなんだと思ってるの?』

『すぐ全ロスする雑魚雑魚Vtuber』

『メグル後で覚えときなさいよ』

『返り討ちにあう未来見えたわうち』


 片耳だけにイヤホンをつけ、スマホはポケットに仕舞っているため一体全体彼女らに何が起こっているのかわからないが、話の内容から断定するにまたセナが何かやらかしたのだろうと予想。彼女にゲームセンスがないことをお相手方も重々理解しているからか、わぁわぁきゃあきゃあと慌ただしく悲鳴をあげた彼女を他三人は煽る煽る。ある種、テンプレと化した流れ。流石星屑セナと言わざるおえない。


『……はい、倒しましたよ』

『アランありがとぉ〜』

『大丈夫ですよ。セナさんはちゃんと見ていないとすぐ死んでしまう生き物だとわかってるので』

『もしかしてあたしの事赤ちゃんだと思ってる?』

『はい』

『なんで!?』

『急に走り出すわ、叫んで泣き喚き始めるわ、好奇心で何でもかんでも食べようとするわ』

『あたし赤ちゃんじゃん』

『だからそうやで〜って』

『じゃああたし赤ちゃんかぁ〜……』


 最寄駅から家まで徒歩二十分。駅前の雑踏から抜け出し、人が疎になった道を歩く。四年間歩き続けた同じ道。不意に私は、その四年間について思い出す。


『もしかして例の先輩にもセナちは赤ちゃんなんかな〜?』

『うへっ!?』

『あぁ、例の先輩さんな?』

『ねぇちょっと!』

『うち、ちゃ〜んと見とるからね? あの伝説の放送事故も、伝説の配信も。リアルタイムで見とったし〜』

『俺も見てたぜ〜? 先輩にクッソデレデレして、幸せそ〜に惚気てる星屑』


感慨深くなり、思い耽てしまうのはきっと冬特有の侘しさが影響だ。もしくは、そうやって過去のことを思い出せる程には心に余裕が出来たという所もある。この街に引っ越してきて初めて迎えた冬は、ゆっくりと息することすら出来なかった。ただただ我武者羅に生きていた。逃げるように地元から飛び出し、自分のことを誰も知らないこの地で、一ノ瀬葉月をやり直そうと生きていた。何者かになれるかもしれないと夢を見て生きていた。……今となっては、懐かしい。


『いやはやまさか、セナちにあんなイケメンな恋人がおるとはな〜?』

『男の俺ですらかっけぇ思ったからな。まぁいっちゃん始めの挙動不審はえぐかったけど』

『恥ずかしいんだけど!』

『あっはは! 仲良しなんはええ事やん? 無自覚にデレデレしとるセナち、めっちゃ可愛いで? うちニヤニヤしてまうもん』

『もぉ! 恥ずいっていろは!』


 そんな私を追いかけて彼女がここに来たのは、三年前の話。高校卒業と同時に私の元に来た彼女は泣きながら一緒に居たいと言ってくれた。もう離れ離れは嫌だと。側にいて欲しいと。側にいたいと。立ち向かう事なく逃げることしかできなかった、何者にもなれない私に。彼女は言ってくれた。


『好きなんだもなぁ? 仕方ないよなぁ?』

『ぐぬぅ……否定はしないけど』

『まぁ否定出来ひんよな。あ〜んなメロってる姿配信で見せとるんやし』

『だって! うちの人めっちゃカッコいいんだもん! カッコよくて優しくて大好きなんだもん!』

『ふはっ! おいおいおーい! リスナーのお前ら聞いたか? 今俺ら星屑に惚気られてっぞ』

『ほんまニヤけてまうって〜。ご馳走様って感じやわ』

『もぉ〜!』


 彼女が何故、何者にもなれない私にここまで固執するのか、当時は疑問を抱いていた。いや、今も疑問を抱いている。

 痴漢から助けてもらい、好きになってしまったと彼女が口にした話の、理解は出来た。だけど、何故その感情だけで私を追いかけて来たのかが、私にはわからない。好きだからという理由だけで、こんな私を追いかけてしまった彼女の心情が。未だに私にはわからなかった。


『また後でセナちの恋バナ聞かせてなぁ〜?』

『俺も聞きて〜』

『うっわ、絶対揶揄われるやつじゃん!』

『えぇ? そんなことないで〜?』

『そうそう。俺らが揶揄うとか、そんな』

『声が笑ってんだけど!』


 この思いもまた、彼女には言えない秘密。こんなことを考えているだなんて、言えるわけがない。私の事を好きだと言ってここまで来てくれた彼女の気持ちに、疑問を持っているだなんて。言えるわけがない、隠し事。


『……そろそろ拠点、着きますよ』

『おっ、やっとかぁ』

『恋バナしてたらあっという間やったなぁ』

『くぅ……』

『え〜? 星屑さぁ〜ん? 大丈夫ですかぁ〜?』

『ほんっっっとにメグルさぁ!』

『星屑セナ顔面真っ赤でくさぁ!』


 イヤホンから聞こえる声は、終始楽しそうだった。煽り煽られおちょくり合っている彼女らであるが、その声音はご機嫌な様子。喧嘩する程仲が良いとは正に彼女らを指すのだろう。非常に仲良さげな会話に、ぼんやりと考え事をしていた私はふっと頬を緩めた。

 微笑ましく思う。喧嘩をしながらも、楽しげに友達とゲームをする彼女の姿に、私は嬉しく思う。私を追いかけ、今まで培ってきた友人との縁を切ってしまった彼女に、再び親しい友達が出来た事実に、良かったと安心感すら覚えている。

 彼女は光だ。だけどそれ以前に、彼女は人間だ。人は誰かと関わりながら生きていく。故に、私は不安を持っていた。この地にやってきた彼女は、私以外の人との関わり合いがなかった。私の所為で、彼女は私以外の人と疎遠になってしまった。彼女の中には、私しかいなかった。それが酷く、私は怖かったのだ。

 だから私は安堵した。良かったと思った。彼女の中に私以外の人がいる事実に。心の底から、良かったと思っていた。


『まぁまぁまぁ、落ち着いてください』

『ぐぬぅ……アランだけがあたしの味方だよ……』

『そんなことないって〜? うちもちゃんとセナちの味方よ?』

『だからぁ〜! ニヤけた声で言われても説得力無いんだけど!』

『さぁ? うちには何のことかさっぱりやわ』


 一度だけ私の考えを、凪に話したことがある。その際凪は、私のことを酷い人間だと言っていた。そして凪は、私はあの頃から変わっていないとも言っていた。

 数年前の話だ。世間話の延長でポロリと口から出た私の考えに、凪は薄く寂しそうな笑い声を溢していた。電話越しであった為、あの瞬間に凪が浮かべた表情はわからないけれど。寂しそうな声色で、独り言の如く伝えられた凪の言葉は、尚も私の心臓を貫き、抜けなくなっている。


『ていうかうち、セナちの先輩さんも配信とかしたら絶対ええ思ってるんやけど、先輩さんは配信とかせえへんの?』

『ん〜、どうなんだろ。先輩にはちゃんとお仕事あるし』

『星屑とは違ってな?』

『うるさ。メグルだってニートの癖に』

『は? ちげぇし。ニートちげぇし。ちゃんと俺働いてるし』

『平日の昼間っからほぼ毎日ゲーム配信しとるやつがよお言うわ』

『……っすぅー』

『ふっ! 一青メグル図星でくさぁ!』

『確かに図星過ぎですね』

『おうアランの野郎喧嘩なら買うぜ』

『遠慮しときます』

『はぁ〜〜〜?』


 恋人である彼女が、他の人間と仲良くしている姿にヤキモチを妬かないのか。凪にそう訊ねられた時、私は上手に答えることができなかった。

 この絡まった人間社会を生きる多くの人は、好きな相手と仲の良い人間に嫉妬心を持つと言う事を、勿論私も知っている。自分ではない人に向けられた笑顔や、自分ではない人との会話にモヤモヤしてしまう。そんな感情を人は抱く事を、私は理解している。

 しかし、理解とは決して共感ではない。私には嫉妬心や独占欲等の人間的な感情を宿したことがない。

 優越感はわかる。こんなに可愛い女の子が私の恋人なんだぞと、自慢したくなる時があるから。皆が推しているその子は、私の事が大好きなんだぞと、声高々に言い回りたい時があるから。彼女の恋人である優越感は、持っている。

 だけどやはり、嫉妬やヤキモチはわからない。彼女を独り占めしたいとも思わない。それどころか私は…………。


「……さむ」


 最寄り駅から徒歩二十分。いつもの道を、いつもとは遅い時間に歩く。今日はもうUber Eatsでも頼んでしまおう。私はそう決め込み、私ではない人と楽しくゲーム配信をしている彼女の元へ、帰る。

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