第7話『いつも通りで、特殊な惚気配信』

「てなわけで! あたしの恋人である先輩が配信に参加してくれたわけだけど、何話そっか」


 ひっ……ひっ……と、笑いすぎにより掠れた呼吸を繰り返していた彼女は漸く落ち着きを取り戻し、目の端に溜まった涙の粒を指で拭いながら、そんなことを画面に向かって訊ねる。


「参加してもらってる手前、こんな事言うのは憚られるんだけど、でもぶっちゃけ何話そーって感じなんだよね」

「考えてなかったの?」

「考えてなかったですねぇ〜。昨日のことでリスナーのみんなに怒られるかなぁ〜と、先輩来てくれるかなぁ〜くらいしか考えてなかったです」


 ニカッと屈託ない笑みを浮かべ、包み隠すことをせずストレートに言い放った彼女に、今更驚くことはない。それは彼女を推しとするリスナー達も一緒のようで【知ってた】【そんな気はしてたよね】【やっぱり星屑】【俺たちが話題考えてるから】と、なんとも心強いコメントが流れる。


「え? みんな話題考えてくれてたの?」

【さっきの待ってる時間にコメ欄でいくつか質問考えてた】

【俺たち舐めんなよ?】

【セナちはそうだろうなぁって】

【ったく、俺らがいないとダメなんだから】

「さっすがぁ〜。やっぱあたしのリスナー達だよね。あたしのこと、よくわかってるじゃん!」


 ケラケラと、さも他人事かの如く笑う彼女。彼女のことは私が一番よく知っていると自負しているが、いやはや彼女のリスナー達も星屑セナのことをちゃんと理解しているみたいで。彼女に訓練されたと言っても差し支えない、連携された彼らの動きに脱帽。尚もケタケタと愉快に笑う彼女に変わって、私は感謝の意を述べる。


「皆さん、ありがとうございます」

【いや……別に大丈夫ですよ?】

【そんな、俺らは当たり前のことをしたまでで】

【クンクン、なんだか童貞の匂いがするな?】

【オタク君、声の良いお姉さんに弱くて草】

【俺……昨日の放送事故の時から、先輩さんのことがっ!】

【すぐ星屑のリスナー調子乗る】

「えー……っと?」


 幾分か彼女のおかげで緊張が解れたとはいえ、まだまだ身体を硬らせ拙く喋る私へ、リスナー達はコメント欄で妙な空気を漂わせる。やはり私という存在が、推しの恋人という立場に立つ人間だからだろうか。相手がセナでない以上仕方ないとはいえ、変によそよそしくなった彼らの反応に、私は苦笑いをする。

 対し、私の隣でケラケラと上機嫌に笑っていた彼女は、突如ムッと眉根を顰め、口元をへの字に曲げる。


「ちょっとみんなぁ〜? 先輩のこと困らせないでよ」

【やべ】

【すみませんでした】

【もしかしてセナち、拗ねてる?】

【可愛い】

【てぇてぇ】

【叱られちった】

「や? 拗ねてるとかそんなこと、ないからね? ただ先輩を困らせていいのはあたしだけっていうか?」

「いやそんなことはないから」

「そんなことありますよ? 先輩を困らせる特権、あたしにはあるので」

「何その特権。やめてよ、困らせないでよ」


 苦言を呈す私に、彼女は不貞腐れた顔をパッと変え、クスクスと喉を鳴らす。整った可愛い顔立ちをしているというのに、口角を目一杯あげ白い歯を見せる彼女の姿は、宛ら悪戯が大成功して嬉しがる悪ガキのようだった。


【てぇてぇ】

【浄化されそう】

【せんセナてぇてぇ】

【これが極楽園か】

「ふっふーん。貴重な公式からの百合供給だよ? リスナーのみんなはありがたく思ってね?」


 何故か自慢げにリスナー達へ語りかける彼女に、やっぱり私は苦笑いを溢す。繋がれたままの手にキュッと力を込め、コメントで喋る彼らの反応を窺う。

 私は疑問に思った。今まで培ってきた星屑セナとして、今私達が繰り広げる会話を彼らに聞かせることは、正解なのだろうかと。星屑セナには、星屑セナに恋するリスナーが多い。抗いようのない光に魅入られ、好きになってしまった彼らは、私と彼女の会話を聞いて、一体何を思っているのか。しかし、どういうわけか画面上に流れるコメント欄を確認する限り、特段彼らが嫌な思いをしているようには見えない。


【てぇてぇなぁ】

【セナち悪戯っ子で可愛い】

【先輩の事困らせたいんだー】

【尊い】


 非常に和やかな雰囲気を感じる。視聴者数が多い分、目まぐるしく乱雑に話題が変化しているが、不穏な空気は漂っていない。

 良かった。人知れず私は胸を撫で下ろす。

 星屑セナリスナーの治安は、リスナーの一人であった私もよく知っていたが、それでも不安を抱いていた。配信に参加する前は私という存在を受け入れた彼らの寛容さに、心の中で正気を疑った私であったが、難儀なことに受け入れられなければどうしようとも思っていた。光である彼女の、輝かしいVtuber活動の妨げになってしまったら。そんな杞憂を、私は考えていた。

 故に、良かったと安堵した。彼らが受け入れてくれたこと。彼らが恋人バレした星屑セナに、変わらない温度感で接してくれていること。彼女が今まで通り、星屑セナとして話し続けられていること。それら全てに、良かったと……心の底から安心した。


「ふふふ、喜んでる喜んでる。オタク君達ってば、単純だなぁ」

【え? そんなことないけどね?】

【公式供給助かる……】

【喜んでるとか、そんなわけ……】

「でもみんな、あたしと先輩のこと、気になるでしょ?」

【はい】

【気になるー!】

【色々聞きたいことが山ほどあってだね?】

【よくわかってんじゃん、俺らのこと】

「あっはは。そうだよねそうだよね、気になるねぇ。あたしと先輩のこと、気になっちゃうね? うんうん。それじゃ早速みんなが考えてくれた質問送って貰おうかな。マシュマロ……は、準備が面倒くさいので。そのままコメント欄に質問、打っちゃって〜!」


 隣でホッと息を溢した私の存在を知ってか知らずか、彼女は焼き切れそうなほどに明るい声音で、やんわりと配信を進行。流石チャンネル登録者五十万人を抱える人気Vtuberといったところか。不自然さを感じさせることなく、滑らかにコメント欄を誘導する様子に、私はこれが星屑セナと呼ばれる人気Vtuberなのだと、今一度認識し直した。


「みんな何かある〜?」

【先輩のこと全部!】

【星屑と先輩の馴れ初め】

【先輩って何歳?】

【夜のことをだな】

「うんうん。なるほどなるほど」


 雑然と流れるコメント欄が、彼女の声を合図に私達へ質問で埋め尽くされる。その光景は圧巻なもので、私は微かにたじろいでしまう。

 そんな私に比べ、動揺一つ見せない彼女は簡素な返事をしながらも、余裕綽々とコメントを追っていた。


「んー、そうだなぁ。……じゃあやっぱ、馴れ初めからいく?」

【セナちと先輩の馴れ初めキタコレ!】

【聞きたい!】

【クッソ気になる】

【どんな情熱的な出会いをしたんだ……】

「……どんな情熱的な出会いをしたのか……って、そりゃあもう聞くも涙語るも涙の、運命的な出会いをね?」

「運命的な出会いって……何言ってんのさ」


 リスナーには見えていないというのに、大袈裟な動作で身振り手振りの説明をする彼女に、私は薄く笑いながらツッコミを入れる。しかし、ツッコミを入れられた本人は一瞬キョトンと瞬きをしたのち、訝しがるように眉根を寄せた。


「……先輩こそ何言ってるんですか。あんな少女漫画みたいな出会い方、運命と言わずしてなんていうんですか」


 緩くかぶりを振り、はぁっと溜息をついた彼女。彼女の言葉も彼女の態度も、理解ができなかった私が首を傾げれば、彼女は何か眩しいものを見るかの如く。私に視線を寄越した。


「先輩は運命的な出会いとは思ってないみたいなんだけどね? あたし的には本当に、少女漫画の主人公になった気分だったんだよねぇ〜」

【なになに】

【何それ!? 気になる】

【その話詳しく】


 未だに彼女が言っていることがよくわからず、頭の中でかつてのことを思い出そうとしている私。彼女は首を傾ける私をチラリと一瞥してから、興味を示したリスナー達に向け、出会いの話をした。


「まぁ簡単に言うなら、電車で痴漢されてたあたしを、先輩が助けてくれたんだよね」


 ぽそりと。懐かしげに呟いた彼女は、うっすらと柔らかくはにかみ笑いをする。相反し、首を傾けたままの私は真顔で頭上にクエスチョンマークを浮かべた。


「……やっぱ、普通じゃない?」

「普通じゃないから! そんな出会い方、早々ないですよ!」

「まぁ早々あっちゃ困るけど。でも運命的とか少女漫画みたいとか、流石に言い過ぎでしょ」

「言い過ぎじゃない!」


 彼女は叫ぶ。だけど、やっぱりわからない。

 確かに出会い方は少し特殊だったとは思う。物騒な世の中とはいえ、痴漢された子を助けるだなんてこと、本来ならばあってはならないことなのだ。私と彼女の出会い方は早々ない事だとは、わかっている。

 しかし、とはいえ、だ。私はそんな私達の出会いを、運命的であるとか、少女漫画のようであったとか。そうは思わない。そうは思えない。私自身、少女漫画をちゃんと読んだことはないので、違うと言い切ることは出来ないけれど。

 だが、あの瞬間確かに彼女は怖い思いをしていて。たまたまそこに私がいたから、助けることが出来て。だからあの出来事は、決して運命的じゃない。だからあの出来事は、決して少女漫画のようではない。決して。


【すっげー!】

【えっ、先輩かっこよ】

【トゥンク……】

【まじで少女漫画みたいじゃん!】

【ていうか痴漢されたことあるんだセナち】

【痴漢から助けた先輩すげぇ】

「でしょー?」


 得意げにリスナーのコメントへ返事をし、ニコニコと目を細める彼女。私の予想とは違い、彼女の意見に賛同する声が多く寄せられたコメントの波に、私は果たして首を捻る。


「……やっぱ、わかんないわ」

「もぉ〜。リスナーのみんな覚えてて。あたしの恋人、こういうところあるの」

【先輩イケメンすぎる】

【鈍感系主人公かな?】

【そういうところも含め少女漫画じゃん!】

【ちな、告ったのってどっちだったの?】

「告ったのどっちだったの、あたしからだよ〜」

【セナちが告白したんだ!】

【セナちゃんから告白されるの、羨ましすぎる】

【俺もセナに告白されてー】

【そりゃそんな出会い方したら、好きになっちゃうよね】

「あはは。一目惚れだったねぇ〜。一目惚れっていうのかわかんないけど、助けてくれた瞬間にときめきをね?」


 大いに会話が盛り上がる彼女とリスナー。声を弾ませ、リスナーからの質問へ赤裸々に答える彼女に、小っ恥ずかしくなる。気持ち的には、親戚の前で親に自分の自慢話をされている子どもになった気分だ。どうにも落ち着かなく、嬉しい反面居心地の悪い感覚。何処に向けてよいのかわからない視線をうろちょろと動かし、何度も腰掛けている椅子を座り直した。


「そこから頑張ったなぁ〜。先輩が所属してた部活に入部して、昼休みと放課後はずっと先輩に付き纏って。何回もアプローチしてるのに、全然気づいてくれなくて、結局先輩が卒業する日に告白して」

「えっ、ずっとアプローチしてたの?」

「そうですよ! ほんっっっっっとうに全然気づかないし意識しないし、なんだこの唐変木ってずっと思ってましたよ!」

「嘘。本当に……? 身に覚えないんだけど」

「先輩鈍感すぎるんですよ! 身に覚えがないって言いますけどね? 普通懐いてるからって理由だけであんな付きまといませんよ!」


 彼女と出会って四年が経った今、まさかの新事実に私は乾いた笑い声を落とす。


「はぁ〜もう。この鈍チンめ……」

【ガチガチに鈍くて草】

【セナちアプローチしてたって、何してたんだろ】

【星屑もしかしてストーカーの素質が?】

「……星屑もしかしてストーカーの素質が……って! いやストーカーじゃないから! 確かに毎朝モニコして、先輩の最寄り駅までわざわざ行ってたけど!」

【ストーカーじゃねぇか!】

【草】

「いやぁ。なんかあの時、モニコしてくれてたよねぇ」

「まぁあれもアプローチの一つだったんで」

「え? そうなの?」

【え?】

【先輩?】

【おいおい先輩まじか】

【このイケ女、鈍過ぎる】

【きょうび少女漫画でもこんな鈍感いねえよ】

【セナちの苦労が窺えるなぁ】

「でしょ!? でしょ!? 本当にこれなの! 素でこれだから、本当に当時は心折れそうだった!」


 あの頃のことを思い出しているのか、遠い目をして話す彼女に、私は当惑して今更ながらに「ごめん?」と謝ってみた。


【ていうか先輩なんでそれ知らないの? 一緒に暮らしてるんだよね? もしかしてあの時のあれってアプローチだったのかなって思わなかったの?】

「えっと、思わなかった……ね。うん。セナとそういう話もしたことなかったし」

「……だって恥ずかしくないですか? 付き合った後に、実はあれアプローチだったんですよぉ〜、なんて言えるわけないじゃないですか」


 ぽそりと意地らしく呟いた彼女に、私の心臓は思わずトクンとときめきを覚える。それはリスナー達も同じだったようで、過去の私について言及していたコメント欄は【可愛い】【セナち可愛っ!】【わかるよ】【可愛いかよ】と、ときめきを感じさせる言葉で埋め尽くされた。


「あーあー! もう! 可愛くないから!」

【いや可愛いだろ】

【セナち、恋する乙女すぎる】

【おもろ】

【草】

「うるさいなぁ!」


 怒りを露わにしつつも、変わらずリスナー達と楽しげに話す彼女。私はそんな彼女や彼らのやり取りを見守り、クスクスと笑った。


「もーこの話終わり! 別に質問にいくよ!」

【照れてる】

【恥ずかしがってるセナちゃんかわいー!】

【こんな慌ててるセナち、珍しいね】

【星屑もやっぱ女の子だったんだ】

【幸せそうで何より】

「もぉー!」


 彼女とリスナー達の掛け合いが、いつも見ている配信そのものであったからなのか。膝の上、愛するその子と手を繋いでいたからなのか。リスナー達が昨夜のことを気にせず、寧ろ私たちに興味を持ってくれたとわかったからなのか。Vtuber活動に本気で取り組み、楽しんでいた彼女が変わらずに笑えているからなのか。

 緊張で強張っていた身体は、いつの間にか普段通りの落ち着きを取り戻していた。配信に出て欲しいと言われた時は、どうなることかと思ったが、意外となんとか喋ることが出来ている。存外、配信活動というものは恐れるものでは無かったようだ。


「ほらほら、時間も限られてるから次の質問行くよ!」


 なんとか話題転換をしようとする彼女。私は傍で彼女を眺め、そっと目を細めた。

 普段通りの彼女に、普段通りのリスナー、普段通りでない……私という存在。雑談配信と綴られた、特殊な配信はまだまだ始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る