第5話『情けなくその瞬間を待つ』
深い夜空の色をそのまま乗せた、癖っ毛の髪。小ちゃな口からチラチラと覗く、尖った八重歯。流星の形をしたヘアピン。揺れる星型のピアス。チャームポイントは、瞳の中で輝く煌めき。溌剌さと、どことなく生意気さを醸し出す、そのビジュアル。一度口を開けば、イヤホン越しに耳へ届くは間延びした気怠げな声。私はスマホに映る彼女の姿を眺めながら、キッチンにある簡素な椅子に腰掛け紫煙を燻らせる。
『え〜っと、配信早々、リスナーのみんなにご報告がありまぁ〜す』
【なになに?】
【あれのこと?】
【伝説配信のことかぁ〜】
【俺は星屑のこと信じてるから】
早鐘を打つ心臓を落ち着かせるには、14mgのタールと1.2mgのニコチンでは荷が重かったようだ。
どくどくどくどく。そのリズムは異様なまでに早く、それでいて血流を生み出す心臓はいつもよりも大きな音を立てている。じわりと滲む冷や汗は、お風呂上がりである私に不快感を残し、きゅっと閉まった喉は私に息苦しさを覚えさせる。どれだけ煙を肺へ落としこもうが、私の頭はグルグルと上手く考えが纏まらない。
『みんなももう予想はついてるとは思うんだけど、報告ってのは昨日の配信について』
【知ってた】
【それ! めちゃくちゃ気になってた!】
【待ってました!】
【wktk】
『あはは。やっぱり気になってた? まぁそりゃそうだよねぇ〜』
パチパチと、季節外れの線香花火の音。口内で滲む煙、じわじわと舌がひりつく。口の中に溜めた煙を肺の中へ入れる、ゆっくりと熱が広がった。息を吐き出す。白く濁った煙が緩慢に回転しながら上へ上へと上がった。微かに苦味を味蕾が感じ取り、鼻から抜ける煙たさが心地良い。
だがしかし、心臓は落ち着くことを知らない。
『んじゃもう言っちゃうんだけど、みんながコメントやXで言ってたように、あたしには付き合ってる人がいるの』
【うおおおおおおおお!】
【でしょうね】
【キマシタワーが建設されました】
【マジか】
【付き合ってる人って、昨日配信で言ってたツンデレの女の人?】
『そうそう、昨日言ってた人だよ。ツンデレでカッコよくて可愛い女』
ヂヂヂと短くなるタバコ。タバコと緊張で、動悸がする。ふっとスマホから手元に視線を移せば、自分の手が微かに震えていることに気がついた。あぁ、なんとも情けない。私は煙を孕まない溜息を溢した。
配信が始まってから、数分が経過した今。同じ家で一人、配信を行っている彼女は一体、どんな気持ちになっているのだろうか。
『いやぁ〜、やっちゃったよね。まさか配信切り忘れてるとは。ビックリしたよ本当』
【ビックリしたのは俺らの方だから】
【伝説の配信になったね】
【急に知らない女性の声聞こえてきたからなw】
【セナちって彼女さんの前だとああなるんだね笑】
『いやまじ、あたしの彼女さんめちゃくちゃかっこいいからさぁ〜? 仕方ないんだって』
強いな。私はそう思った。
イヤホン越しに聞こえる彼女の声はいつも通り楽しげで、配信だけを見ていれば彼女が昨日の件を特段気にしていないように、そう思えた。
でも実状は、違う。彼女の性格を、彼女の考えを、彼女の誠実さを、私は誰よりも知っている。
『本当、驚かせちゃってごめんね?』
【大丈夫!】
【てぇてぇなぁ】
【セナちが幸せそうで、俺良かったよ】
【草】
【キマシタワー建ったから……】
『あっはは。なんか定期的にキマシタワー建ててる建築ニキいるねぇ~?』
恐らく彼女は、私と同じ……いや、私以上に緊張しているはずだ。不安に思っているはずだ。彼女は言っていた。自分のミスによって、リスナーのみんなを不安にさせてしまったと。彼女は言っていた。自分は酷い人間であると。数時間前、彼女は私へそう打ち明けてくれた。
緊張と不安、それから罪の意識。渦巻くそれらは、一人で全て抱え込もうとする彼女の中で燻っているだろう。あくまでこれは私の予想でしかないが、きっと正解に近い。彼女のことは、私が一番誰よりも知っているから。
『みんな優しいなぁ~。普通、自分の推しに恋人がいたってわかったら、もっと怒ったりとかするものじゃないの?』
【それはそう】
【セナちって俺らにとって、オタクに優しいギャルみたいな人だから……】
【ぶっちゃけ彼氏だったら怒ってた】
【先輩さんにデレデレの星屑、めちゃ可愛かったからなぁ~?】
【てぇてぇ】
【セナが幸せなら、それでいい】
『ガチみんなあたしに甘すぎでしょ!』
しかし、彼女はそんな内面を決して外には見せない。贖罪を願うことなく、自分で課した罪に押し潰されそうになりながらも、彼女は笑う。いつも通りの、リスナー達が求める星屑セナを演じ、道化に徹する。さも、自身は昨日のことを気にしていないと、言外に伝えるみたいに。星屑セナらしく、彼女はいつも通りを作り出す。
本当に彼女は、強い人だった。
『でも、本音を言うとこんな風にみんながこんな優しくしてくれるって、思わなかったな』
【そうなん?】
【俺たちはいつもセナに優しいぞ】
【推しに優しくするの、当たり前なんだよなぁ?】
【星屑の百合百合しい様子に白米五合はいけるし】
【どんな反応されると思ってたの?】
『……どんな反応されると思ってたの……んー、やっぱりみんなに泣かれたり、とか?』
【泣かんが?】
【おじいちゃんセナちゃんの楽しそうな姿に泣きそうじゃ】
【おま、俺らが泣くわけww(泣)】
『ちょ! 泣いてんじゃん!』
私の予想通りどころか、予想以上につつがなく穏やかに進む配信。いつも通りの彼女と、いつも通りのリスナー達。恋人バレでXのトレンドに乗ったVtuberの配信とは思えぬ、和やかさだ。
弱った彼女へ大丈夫と言いながらも、心中ではハラハラと不安を抱いていた私は、安堵する。よかった、と。
だからと言って尚も煩く脈打つ心臓を私は落ち着かせることは出来ていないのだが。
『全く、みんなツンデレなんだからぁ〜』
【いや、ツンデレ違うし?】
【寧ろ俺らセナちゃんにデレデレよな】
【別に俺、星屑にデレでねえし。違えから】
『大丈夫だよぉ〜? みんながツンデレでも、あたしは大好きだからねぇ〜』
【きゃっきゃ!】
【なんで俺らツンデレってことになってんの?】
【かわいい、好き、結婚して】
【草】
指先に伝わる熱の感触。すっかり短くなったタバコを、震えた手で灰皿に押し付けた。
ぼんやりと、タバコによって齎される思考の霞み。私はゆっくりと立ち上がり、パタパタとスリッパを鳴らしてリビングの方へ戻る。
『あっはは! 面白ぉ〜い!』
【セナの掌で転がされてるぜ、俺たち】
【星屑楽しそうやなぁ】
【ぐすん! 弄ばれてるよ!】
【俺、セナが楽しそうならそれでいいんや……】
『ごめんごめん! 揶揄いすぎたね! 拗ねないでみんな』
【拗ねてないけどね?】
【拗ねるとか、そんな……なぁみんな?】
ソファに座り、配信を見守りつつチラリと見た、視聴者数の数字。配信前は二万人強。配信始まりは三万人。そして配信が始まって数分の現在は……約五万人。どうやら今、彼女の配信を約五万人の人間が見ているみたいだ。
五万人。五万人である。一人の、個人Vtuberの配信を見ている人間が、五万人もいるのである。五万人とは、五万人。沢山の、人間。東京ドームのキャパが五万人であるから、つまり東京ドームでようやっと収まる程の人間が、配信を視聴しているわけで。
この後私、五万人の前で喋るのか……。
「ふぅ…………」
私の溜息が、時計の音だけが鳴るリビングで鮮明に響いた。
…………いやちょっと待って本当に私五万人の前で喋るの? え? 本当に言ってるそれ。え? 五万、五万だよ? 五万人って何? なんで五万人も星奈の配信見てんの? どういうことなの? いや確かにトレンド乗ったし、乗った経緯も相まって配信が気になるのはわかるけどさ? すっごいわかるけどね? 私も同じ立場になってたら「ふーん、この星屑セナってVtuber、恋人バレしたんだ。ちょっと配信覗いていこうかな?」とか思うかもしれないけどさ。だからって五万人は何。何なの? みんな暇すぎん? いや、星奈は魅力的だし面白いし配信見たくなるってわかってるけど。星奈がみんなから愛されててよかったぁ〜って思ってるけど。でも。でもさ? 私この後出るかもしれないんだよ? まだ確定ではないとはいえ、出るかもしれない可能性があるんだよ? ただの一般人である私の配慮とかないわけ? ただの一般人が五万人の前で喋れるわけないじゃん。絶対きょどるし吃るし噛みに噛みまくって最悪な結果になるよ。え? 嫌なんだけど。普通に嫌なんだけど。想像したら吐きそうになってきた。やばい。もう本当にさぁ〜。なんで数時間前の自分はカッコつけてあんなこと言っちゃったわけ? こうなるって、予想できなかったの? 馬鹿なの? 死ぬの? 死にそうだよ。もうすでに息絶えそうだよ。屍だよ。屍になるよ。緊張と羞恥で亡骸になってるよ。返事がない、ただの屍のようだ、だよ。って、誰が勝手に自滅して死んだ間抜けな人間じゃ。
『とと、話が逸れちゃった。まま、ご報告っていうのは、あたしには彼女がいましたよーっていうのともう一つ』
【ん? もう一つ】
【なんか俺らに言わないといけないこと、まだあるの?】
【既に俺、お腹いっぱいなんだけど】
【これでVtuber活動を引退しますとか言われたら、全然泣くけど】
【良い報告であってくれ、頼む】
混濁した頭は、多くの言葉を生んで、多くの言葉を消し去る。脳に張り巡らされた思考回路に、無意味な言葉の信号が行ったり来たり。視聴者数五万人というわけのわからない人数に当惑し、頭の中じゃ一ノ瀬葉月がキャラクター崩壊を起こす。超高速で行われた某RPGゲームの有名な台詞と、それに対するセルフツッコミ。もしも今、私に惚れている彼女が私の頭の中を覗けば、びっくりすること間違いなしだろう。
無論、どれだけ狼狽してようが、グチャグチャになった思考の情けない弱音は音として口には出さないので、彼女は私の無様な思考を知ることはないのだが。
『あっ! そういう系じゃないよ? 引退とかしないしない! 全然しないから!』
【安堵】
【よかったー!】
【セナち引退とか考えたくねぇ】
【俺らが生きてる限りVtuber活動続けてくれ】
【じゃあ報告ってなんだろ?】
『えっとねぇ』
呼吸をする。深呼吸だ。五万人の数字に驚いて失ってしまった平常心を、取り戻す。
大丈夫だ。一ノ瀬葉月。大丈夫。なんたって私は、出来る女。可愛い後輩に頼られる先輩であり、愛する彼女から甘えられる恋人なのだ。だから私は大丈夫なのだ。確かに五万人の前で配信に参加するプレッシャーは果てしないし、ぶっちゃけかなり尻込みしているが。とはいえ、その五万人は星屑セナのリスナー。ともに今まで彼女の配信を見てきた、いわば同士とも言える存在。セナに弄られ、素直になれずとも内心は喜んでいる訓練された彼らだ。何も怖がることはない。そう、怖がることもないし、こんなに緊張する必要もないのだ。それに私には、彼女がいる。私を私たらしめる、彼女がいる。一人で人気Vtuberと称される程にのしあがった彼女がいるのだ。何も、心配はいらない。何も……心配はいらない。
『実はあたし、みんなに先輩……あたしの彼女さんを、紹介したくて』
「ふぅぅぅぅっ…………」
思わずだ。思わず、深く長い溜息が出た。ようやっと落ち着きを取り戻してきたかもと思っていた矢先、イヤホンから聞こえた彼女の一言に、無惨にも私の心臓は再び熱いビートを刻む。
【え】
【まじ?】
【先輩くるマ?】
【てぇてぇが見られるってこと!?】
【萌える展開来たなこりゃ】
【キマシタワーを建てよう】
盛り上がるコメント欄。コメントとスーパーチャットが飛び交い、混沌となった濁流。一気に加速したコメントの波は、決して人の目では追えない速度となって流れ続ける。なんとも、壮観な光景。吐きそうだ。
『昨日のことで彼女さんのこと、みんなにバレちゃったし、折角だから』
【まぁそうだな】
【先輩のことバレちゃったもんねえw】
【彼女さん、配信出てくれるんだ】
『……彼女さん、配信でてくれるんだ。うんそうだよぉ〜。今回の事で、自分にできる事なら何でもするって言ってくれてさぁ〜? じゃあ、配信出て? ってお願いした!』
包み隠さず、明け透けに私との会話を暴露する彼女。私は頭を抱える。
私は、彼女が言った言葉を思い出す。リスナーが許してくれるなら、私に配信へ出てほしい。その言葉は、それ即ち。リスナーがダメと言えば、私は五万人の前で喋ることはないわけで。リスナーの反応が良くなければ、私は五万人の前に出ることはないわけで。しかしそれはつまるところ、リスナーが許せば私は五万人の前で配信に参加しなければならないというわけで。
内心、思っていた。彼女にはガチ恋リスナーが多いから、きっと私という存在が公に出る事は嫌なんじゃないかと。内心、思っていた。優しく優秀なリスナー達だからこそ、私を配信に出させることを止めるんじゃないかと。内心、思っていた。約束したとは言え、流石に推しの彼女である私が配信に参加する事はないんじゃないかと。
【ふーん? カッコいいじゃん】
【マジでイケメン彼女じゃん!】
【めちゃキザで草】
【ん? 今何でもしてくれるって……】
【先輩配信登場とか、胸熱すぎ!】
【てぇてぇ! てぇてぇ!】
【キマシタワー】
だというのに、現実はどうか。どうしてこうなった。どうしてそうなった。リスナー達、どうした。普通嫌だろ。私、推しの彼女だぞ。自分が推してる人の恋人が配信参加とか、嫌でしょ。嫌がれよ。何で喜んでるんだよ。何盛り上がってるんだよ。何キマシタワー建ててるんだよ。おかしいでしょ絶対。
抱えた頭を持ち上げ、想定外のリスナーのコメントにまたも溜息。
やはり神なんぞいなかったか。身から出た錆。因果応報。変にカッコつけな私の末路。あまりにも自業自得でしかないのだが。それでも、恨まずにはいられない。いるかもわからない、神の存在を。
『みんなの反応も悪くないし、早速先輩呼んじゃおっかな』
びくり。身体が跳ねる。スマホを持った手に力が籠る。掌にじっとりと手汗が滲む。額から浮き出た冷や汗がたらりと一筋、頬を伝う。ドクドクドクドクと心音は最高潮を達し、頬も耳も頸も、熱を持った。
【まじか】
【はっや笑】
【行動力鬼w】
【楽しみすぎ!】
【先輩気になるなあ】
【てぇてぇ!】
耳の奥で響く心臓の音。私は呼吸を止め、配信画面をじっと見つめる。先程は恨んだ神を、今は必死に祈っている。逃げる事など出来ないと、頭では理解しているのに、逃げたいと膝が震える。
なんという間抜けな姿だろう。だがしかし、取り繕うことすら今の私には出来ない。どうしても目につく視聴者数。更に人数が増えた五万三千人の字が、私の身体を硬直させた。
それから、どれほどの時間が過ぎたか。きっと数秒だったはず。でも体感、それは数時間のように思えた。宛ら、足元の機械が作動する瞬間を待つ、死刑囚の気分だ。大袈裟な例えであるが、私の今の情緒はそれ程までに揺らいでいたのだ。
……とはいえ、いくら心の中で弱音を吐いても、仕方がない。こんなことになったのは全て私の責任だ。
私が言ったのだ。自分に出来ることはなんでもすると。私が受け入れたのだ。彼女の滅多に言わない我儘を。私が望んだのだ。彼女の夢を叶えてやりたいと。
私はゆっくりと立ち上がる。立ち上がった私は、その時を待つ。手にしたスマホをじっと睨みつけ、覚悟を決める。画面の中の彼女は、同じ家で配信をする彼女は、私を待っているんだ。だから私は。
ピコンとなったスマホの通知。バナーに綴られた「部屋に来てください」の文字。あっ、やっぱりダメかも。
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