第4話『カッコつけの末路』
宵闇の帷が降りきり、眠らない街の炯々と眩く光明かりが空の星を綺麗さっぱり吹き飛ばした、夜。チク、タク。何処にでもある時計の、ありふれた音。グォーッと唸り声を上げて走る車の音。酒に飲まれ、騒々しく笑う若者の声。そして、私の体内でドクドクと深く深く響く、心音。はぁ。私は今日、何度目かもわからない溜息をこぼした。
【待機】
【この瞬間を待ってた】
【生きがい】
【今日何喋るんだろ】
【また先輩さん、出てきたりして】
【待ち遠しい〜】
外注したBGMとイラストを使い、自分で作ったと言っていた待機画面の映像。配信開始の二十時まで、残り一分。既に視聴者数は驚異の二万を突破し、流れるコメントは目に追えぬスピードで消えていく。その異様な光景に、またも私の口から溜息が溢れ落ちそうになった。
「……私に、配信……出て欲しい……って?」
「はい!」
「……えーっと、ん? ……んん? なんで?」
「先輩をみんなに紹介したいからです!」
それは数時間前の会話である。空元気を見せる彼女の助けになりたくて、思わず口にした「なんでもしてあげる」。まさかその言葉が、突如自分の首を絞めることになるとは思ってもみなかったわけだけど。
「……というのは、半分冗談です」
「それって半分本気……ってことよね?」
「ですね」
ニコニコと。天使みたいな破顔を見せながら、恐ろしいことを言った彼女。どうにもその真意が掴めず、ヒクヒクと歪に笑うことしかできない私へ、彼女は言葉を続けた。
「今日の配信がどうなるのか、あたしにもわかりません。先輩が言うように、今回の話で悲しんだり怒ったりして離れていくリスナーは、一定数いるとは思います。でも、離れずこれからも推してくれるリスナーもいる」
「そう……だね?」
「そして、もしかしたらあたし達のこと応援してくれる、リスナーも」
なんとなく、彼女が伝えたいことがわかった気がした。わかったからこそ、私は一人慄いた。ただの一般人である私が、人気Vtuberである星屑セナのリスナー達の前で、タジタジに喋るビジョンが容易に想像できてしまったから。
「仮に件の話を、リスナーのみんなが許してくれて。リスナーのみんなが先輩の事知りたいってなった時に、先輩には配信に出て欲しいんです」
悪戯っ子の如く、ニコニコと笑っていた彼女はスッとその顔を真剣なものに変え。真摯に真っ直ぐ私の目を見る彼女に、私は何かを言おうとして……結局、口を噤む。
「これは、あたしの我儘。先輩のことを、みんなに教えたくないって気持ちと同時に、先輩のことをみんなに知ってもらって、一度でいいから先輩と一緒に配信がしてみたいんです」
「…………」
「自分でも、酷い人間だって自覚はあります。自分のミスで、先輩を巻き込んで、リスナーのみんなを不安にさせているのに。この状況を、良い機会だと思ってる自分がいる」
「…………」
「あたしだけじゃなく、先輩も。同じ所に立ってもらって、一緒に配信でゲームしたり、一緒にコメントを返したり、一緒にぐだぐだ喋ったり、したいんです」
「……そう、だったんだ」
「はい。これはちょっとした、あたしの夢……だったのかなぁ?」
彼女は語った。胸中に秘めていた、秘め事を。私が知らなかった、夢を。
楽しそうに、彼女はいつも配信をしていた。いつも、私は彼女の配信を見ていた。彼女が配信をする、同じ家で。休憩中の、職場で。仕事終わりの帰り道で。彼女の恋人としてではなく、彼女のリスナーの一人として。私は、彼女の配信を見ていた。見ていた、だけだった。
よもや、彼女がそんなことを考えているなど、思ってもみなかった。私はリスナーのまま、彼女の配信活動を見守って終わると思っていた。何者にもなれない私は、多くの人の何者かになれた彼女の、楽しげに行う配信を見れるだけで、十分だった。
でも、彼女は違った。彼女は言った。私と共に配信をすることが、夢であると。一緒に配信でゲームをして、コメントを返して、ぐだぐだと喋ることが、夢であると。
それは、確かに彼女の我儘だった。普段私に甘えるそぶりを見せる癖して、本当の願いは滅多に出さない彼女の、我儘だった。彼女は今、珍しく私に甘えてくれていた。それが、わかった。
「……うん……うん。そう、なんだ」
「はい」
「……うん」
「……勿論、強制はしないです。先輩が本当に嫌なら、私の変な我儘は無視しちゃって、大丈夫です」
彼女はへにゃりと目尻を下げ、静かにはにかんだ。何度も見たことのある、私のあまり好きになれない笑みを、彼女は浮かべた。諦め癖のある彼女の、諦めた時の笑い方だった。
「……いいよ」
私はやっぱり、彼女のその笑顔が、好きになれなかった。
「……え?」
「大事な大事な恋人の頼み事で、我儘だもん。叶えてあげる」
だから私は、その笑顔を崩したくて。彼女にはただただ純粋に笑っていて欲しくて。すぐに諦めちゃう彼女の我儘を、叶えてあげたくて。
「…………いいん、ですか?」
「当たり前。なんでもするって、言ったでしょ?」
「そう……です、けど」
ポカンと驚いた表情で見上げる彼女に、カッコつけな私は軽快に笑う。少しでも、彼女の寂しげな笑いを払拭したくて。少しでも、彼女にはこどもみたいに笑って欲しくて。だから、私は笑った。
「すっごい……もう本当すっごい緊張して、ちゃんと喋れるかわかんないけど。私のカッコ悪いところ見せちゃうと思うけど。それでもいいなら、出るよ、配信」
「……先輩」
「キモい所見せても、冷めないでね?」
「っ……冷めるわけ、ないじゃないですか」
揶揄うように冗談を言えば、彼女はクシャッと拗ねた顔をして、抗議。その顔が可愛くって、私はクスクスと喉を鳴らしたのち、彼女の頭にキスをした。
「不安だよね、星奈。でも大丈夫だよ。みんなが許してくれるなら、私は一緒に配信出るし、それまではちゃんと見守ってるから」
「……はい」
「頑張れ、星奈」
「はい」
そんなこんなで、現在。恋人の前でカッコ良いところを見せた私は今、バクバクと情けなく心臓を鳴らし、無様にも「なんであんなこと言っちゃったんだろ」と後悔に塗れているわけだが。
歯の浮くキザな台詞に、結局自分が振り回されているのだから、情けなくて仕方ない。頑張れ、なんて他人事みたいに彼女へ言ったけど、頑張らないといけないのは私の方だ。配信前ですら、緊張で冷や汗がダラダラと流れていると言うのに、いざ配信に参加するとなれば、どうなってしまうのだろうか。想像することすら、憚られる。
とはいえ、だ。私は彼女と約束したわけで。どれだけ緊張して、嫌だと泣き叫ぼうが、約束は約束。それに、彼女の願いを叶えたいと思う心は本物だ。彼女はそれが夢だと言ってくれた。なんだかそれが、とても嬉しく思ったのも、本当なんだ。
私は臍を固める。私はやる時はやるし、ちゃんと約束は守る女なのだ。だから、大丈夫。私はやればできる子。大丈夫だぞ、一ノ瀬葉月。
そんなことを思い、決意を胸に落ち着きを取り戻そうとしていた矢先。遂に見ていたスマホの画面が切り替わる。時刻は予定通りの二十時。現れた星屑セナは、軽い口調で話し始めた。
『はいはいは〜い。みんなお待たせぇ! セナちの配信が始まったよぉ〜』
途端、荒れ狂った激流の川を彷彿とさせるコメントの嵐が、配信画面の半分で流れ始めた。配信が始まったことにより、一斉に増える視聴者数。事務所に所属していない個人Vtuberとしては、異例の三万人。私は無意識にスマホを下ろし、宙を見上げた。
「……本当に私、配信出るの?」
ボソリ。独りごちた嘆きを、神は聞いて下さっているのやら。
固めたはずの決意は既に揺らぎ始め、ドッと吹き出た汗が滂沱となって肌を伝う。どうやらこの後、私は三万人の前で喋ることになる……らしい。
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