第3話『身勝手なエゴイスト』
「それで、これからどうするの?」
「どう……しましょうか……。昨日の配信は削除して、アーカイブは残ってないんですけど、もう切り抜かれちゃったみたいで」
「まぁここまで話題になっちゃったら、無かった事には出来ないか」
「そうなんですよね……」
カチカチ。カタカタ。マウスを操作する音と、キーボードを打つ音が響く部屋の中。パソコンの前に座り、作業をする彼女を、彼女のベッドに腰掛けて後ろから眺める。時刻は午後三時を過ぎた頃。夏の影が薄まり始めた最近の、暑くもなく寒くもない気温は、私を緩やかに眠気を宿らせる。
「うあぁ〜……今日の配信、憂鬱です……」
「星奈って偉いよね。憂鬱って言いながら、ちゃんと配信しようとしてるし」
「だって、もう配信スケジュール公開しちゃってるし……。やるって言ったことを、こちら側の勝手な都合でやっぱりやらないって、筋通らないじゃないですか」
呻き、弱音を吐く彼女。それでも作業をする手を止めることはない。カチカチカタカタと慣れた手付きで、今夜行う配信の準備をする彼女は、私に背を向けたままぽそりと語る。
彼女らしいな。そう思った。だからこそ彼女は、多くの人間から推される、人気Vtuberになったのだな。そうも思った。
「やっぱ偉いね。アンタのそういうところ、私好きだな」
「んーっ! 先輩に好きって言われるの嬉しいけど……ちょっと複雑な気分」
「そうなの?」
「だって今回のことって、全部あたしの所為じゃないですか。あたしの所為で先輩に迷惑かけちゃったし、リスナーのみんなにも不安な気持ちにさせちゃったし」
「私は別に、迷惑被ってるとは思ってないけど」
「今はそうかもしれないですけど、後々先輩の迷惑になっちゃったらって思うと」
彼女はそれだけを言うと、堪えるように押し黙った。私の目から映る彼女の後ろ姿は普段よりも小さく見えて、私の耳に届く彼女の声は普段よりも力無いように聞こえた。
ギッと音をたて、私はゆっくりと立ち上がる。ぺたりぺたりとぬるいフローリングを素足で歩き、私は見るからに弱った彼女の頭にポンッと手を置く。
「私はアンタに迷惑かけられるの、嫌じゃないよ」
「……なんですか、それ」
「そのまんまの意味。納得出来ないかもしれないけど、覚えておいてほしい。私は大丈夫だから」
彼女の頭を撫でる。彼女は振り向くことなく、ただ画面を見つめ続ける。彼女に語りかける。彼女は返事をすることなく、ただタイピングする手を動かし続ける。彼女は今、どんな表情を浮かべているのだろう。
彼女がVtuberである星屑セナとなって、多くの努力をしていたことを私は知っている。
ほぼ毎日コンスタントに行っている配信。見てくれている視聴者を満足させる為、夜な夜な一人で磨くトーク術。頭を抱えながら勉強し、メキメキとクオリティが上がっていく動画。人見知りの性格であるにも関わらず、多くの人と繋がって広げた人脈。彼女はVtuberとして、ストイックに頑張り続けていた。
彼女の頑張りは、私が一番よく知っている。当たり前だ。私が一番、彼女の側で彼女のことを見てきたのだから。
故に、私は弱った彼女へ、そんな事しか言えなかった。彼女の頑張りを私は知っていたが、でも頑張ったのは私ではない。彼女は一人で、皆から愛されるVtuberになった。必死な頑張りが実を結び、彼女は星屑セナとして人気者になったのだ。まさに努力の賜物。何者にもなれなかった私とは、大違いだ。一番近くで見ていたとは言え、彼女の星屑セナとしてのあり方に、何か物申すなど出来るわけがなかった。
「……先輩」
「ん?」
「リスナーのみんな、どう思って、ますかね」
彼女は私に訊ねる。酷く明瞭で、酷く曖昧で、酷く難しい問いかけであった。
私は思い出してみる。既に削除された配信で、リスナー達が残していたコメントの様子を。私は思い描いてみる。今夜行われる配信で、リスナー達が残していくコメントの様子を。
私がチラリと見た時、配信に残っていたリスナー達は特段悪い反応を見せてはいなかった。コメントの大半が驚きの文章で溢れていたけど、中には私達の会話に喜んでいるものもあった。無論、その逆も然り。
他に比べ、星屑セナはガチ恋リスナーがかなり多いVtuberであった。ガチ恋リスナーとは、つまるところVtuberに本気で恋をしてしまったリスナーのことを指す。私が彼女に恋し、愛するように。彼女が私に恋し、愛するように。星屑セナに恋をしたリスナーが、彼女には一定数存在していた。
それは星屑セナというキャラクターのビジュアルが良いからなのか。星屑セナの性格によるものなのか。はたまた、リスナーとの距離が近い配信が影響になっているのか。
星屑セナへ恋した彼らの、恋をした理由は様々。私も彼女も、何をもって彼らが恋愛感情を抱いたのか、わからない。わかることと言えば、星屑セナに恋したリスナーがいるという事実のみ。
そんな彼らが、恋したその人に恋人がいるとわかれば、どんな反応を見せるか。火を見るよりも明らかだろう。それをわかっているから、彼女は今回の件に酷く自責の念に囚われ、恐れていた。
誰だってミスはある。でもその言葉じゃ、彼女の暗くなった顔色を戻すことはできない。
恋人がいることは、決して悪ではない。過半数の人間は誰かに恋をして、恋人になりたいと願うはずだ。普通に生きる人も、恋愛を禁止されたアイドルも、国民的スターも、皆一様に。
だからこそ、彼女は自分のことが許せないのだろう。一見、その姿や口調はいつも通りであるが、その実彼女は私の想像を絶するほどに自分を責めていた。自分に恋人がいる事実ではない。自分に恋人がいる事実を、見せてしまったことに。
知らなければ、事実は無いことになる。その逆に、知ってしまえば事実は事実のまま、無いことにはできない。一つの些細なミスは、時に多く人を傷つける結果を齎す。それが、恐らく今であった。
「……私には、リスナー全員の気持ちなんてわかりっこないけどさ」
「はい」
「怒って、悲しんで、離れていく人は、一定数いる」
「……はい」
「でもそれと同時に、離れていかない人もいる。ずっと見てくれる、推してくれる人も。もしかしたら私達のこと、応援してくれる人もいるかも」
「ふふ……そう、だといいなぁ」
返事のようで、多分それは独り言。もしくは、願い。彼女は乾いた笑い声を落とす。
「そんなに負い目を感じなくていいよ、とは言わない。……ううん。私には、言えない。星奈が今思ってること、私にはわかるから」
「……はい」
「そして私には、何も出来ないから。私と星奈、二人の話なのに、私は何かすることができない。だから無責任に、星奈の今思ってることを否定は、出来ない」
「そ……れは」
「ごめんね。一人で背負わせて」
「っ……違います!」
勢いよく、彼女は振り返る。漸く見ることができた彼女の顔はくしゃりと顰められていて、眼球に貼られた涙の膜は分厚かった。
「違う……違うんです、先輩。だって、こんなことになったのはあたしが配信を切り忘れたからで。そもそもこれは、あたしだけの問題で。あたしが勝手に始めたVtuber活動で、あたしが勝手に自滅しただけで。先輩は、何も……悪くない。寧ろ先輩を巻き込んじゃって……。全部あたしが……悪いんです……」
私を見上げる彼女は、次第に項垂れ顔を隠した。先程までの、桐崎星奈らしい彼女はそこには居ない。いるのは、後悔と罪悪感に苛まれ、自分自身を叱責する、泣きそうな様子の彼女だ。
小さな身体を丸くし、ギュッと何かに耐えるように拳を作る彼女。私は言葉を紡ぐ。
「おっけー、わかった。それじゃ、私は悪くないってことで」
「はい……」
「今回のことは、星奈だけの問題ってことで」
「そう……です……」
「それでいいね?」
「はい……」
「うんうん。それじゃ、私は星奈の恋人として、星奈の問題に首を突っ込んで、一緒に考えてあげる」
「……え?」
再び顔を上げ、瞠いた彼女の瞳と目が合った。ポカンと。その擬音が相応しい面持ち。予想通りの反応。私は思わずニタリとしたり顔して、クツクツと喉を鳴らした。
「変な顔」
「……先輩?」
「なぁに?」
「それって……どう、いう」
「んー? だから、困ってる恋人は放って置けないから一緒に考えてあげるって、アンタの大好きな先輩が言ってんの」
唖然と、彼女は声を失っているようだった。何かを言いたいのだろうに、それでも音を発せられない唇が、パクパクと開いたり閉まったり。でもすぐに、彼女は私が伝えたいことを理解したのだろう。グッと唇を噛んで静かに呼吸を繰り返す。
「なんで先輩は、いつもいつもそんな……」
「恋人の為に何かしたいって思うの、普通じゃない?」
「でも先輩は……あたしと付き合う前からあたしに、優しい。ずっと……ずっと……」
「可愛がってる後輩を甘やかすのも、先輩として普通だよ」
「っ、屁理屈ばっか」
「さぁ、よくわかんないな」
再び彼女の頭を撫でる。今度は、両の手を使って。くしゃくしゃと、犬っころを撫でるみたいに。色素の薄い彼女の髪を、乱していく。
「ここは素直に甘えときな。特別、私がアンタのことに対して何かできるってことはないけど。私が出来ることなら、なんでもしてあげる」
ちゃんと自覚はしている。件の問題で、直接的に私が出来ることはないと。私と彼女、二人で招いた結果であるが、解決できるのは彼女一人だけ。勿論、わかっているのだ。
でも、言わずにはいられなかった。何でもかんでも一人で抱え込もうとする彼女の、助けになりたいと思ってしまった。
これは私のエゴだ。独りよがりの偽善だ。無力な人間の、自分勝手極まりない感情だ。
でも、それでも良い。何もしないよりも良いじゃないか。やらない善より、やる偽善。少しでも、彼女の助けになれたのなら。それで、良いじゃないか。
「……本当、先輩ってあたしを甘やかすの、上手ですよね」
「伊達に四年も一緒にいないよ」
「そうですね……そうでした。先輩は、そういう人でしたね。あたしも、伊達に四年間、先輩に恋してません。先輩がそういう人だって、よく知ってるんです」
乱暴なまでに撫で繰り回していた手を、彼女はそっと握る。ニタリと、小悪魔らしいニヒルな笑みを浮かべ、彼女は目を細めた。
「じゃああたし、先輩に甘えることにします」
「ん、存分に甘えな?」
「はい! 先輩に甘えます! なんでもしてくれるんですもんね?」
ゴロゴロニャーニャー。甘えたな子猫を思わせる声を上げながら、すりすりと擦り寄る彼女。なんともあざとく、なんとも愛おしい。恋人フィルターがかかっているからだろうか。緩みそうになる口角をなんとか正しながら、私は年上としてキリッと顔を作って——
「…………ん?」
——刹那、私は何か途轍もなく、嫌な予感を感じ取った。
「……星奈?」
「なんですか?」
「ちなみに訊くんだけどさ。星奈が私にして欲しいことって」
ニコッ。次に彼女が私に見せたのは、この世の誰もが目を奪われるであろう、天使のような笑顔であった。
「あたしと一緒に、配信に出てください、せぇ〜んぱい」
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