第29話

朝比奈さんと結婚した紬ちゃんは、きっと幸せなんだろうなと勝手に妄想する。滅多なことではあまり笑うことのに紬ちゃんの笑みは割と破壊力が抜群だ。あの綺麗な顔でふにゃりとした笑みを見せられれば、それはもう一発ノックアウトだろう。


 同じ部署で働いている私たちですら、あまりお目にかかれない笑顔を朝比奈さんは間近で見ることができるのかと正直ちょっと羨ましい気持ちもある。紬ちゃんの笑みを見ることのできる特権を持っているのは、村上さん(莉子)だけだと思っていたから。あとはここにいる人達だけだ。


そう妄想していたのだけれど……。



「おはようございます」



 いつもと変わらない挨拶。最初は照れているのかな? とも思ったけれど、それが何日も続けば少しの違和感を覚えるのも必然で。日ごとに元気が少しずつ元気がなくなっていく紬ちゃん。以前は職場であるこの場所でも少しは見せてくれていた笑顔もパタリと消え失せてしまう。見せてくれる瞬間は、村上さんがきた時だけととても限定されてしまった。


 流石におかしいでしょと思うけれど、あいにくと彼女の個人番号を私たちは知らない。上司である佐藤女史なら知っていると思うけれどそんな事を聞いても個人情報は本人に聞きなさいとバッサリと切られるに決まっている。


 教えてくれないから聞いているです……っ! と叫びたいけれど、言われていることは至極真っ当なので何も言い返すことはできない。


 そんなふうに、どこかモヤモヤしたような気持ちで紬ちゃんと仕事をしていたのだ。


 それなのに。



「!? 日向さん!? 大丈夫!?」



 今日は朝から本当に体調が悪そうだったのだ、紬ちゃんは。化粧を施していても隠しようがないほど顔色が悪いのがわかるほど、かなり無理しているのがわかった。一応大丈夫かと聞いたけれど、大丈夫と返されて仕舞えば、無理しないでねと言うしかできない。


 結局、そのまま自分の仕事に移ったのだけれども。


 そんな紬ちゃんが、朝比奈さんとの話の途中なのか、終わってからなのかはわからないけれど、ものすごい音を立てて倒れてしまった。


 私だけではなく、興味を惹かれて注視していた全員が驚きに目を見開いて、そして、私を含めた数人が慌てて紬ちゃんに駆け寄る。


 赤みの差した頬なのに、顔色は化粧の上からでもわかるほどに青白くなっている。確実に発熱しているであろう体温。早く医務室に連れて行かないと……っ! そう思っても、駆け寄ったのは全員が女性。流石に抱き上げて運んであげることなんてできないため、朝比奈さんを見上げる。


 手伝ってもらおうと思ったのだ。なにしろ、彼は紬ちゃんの夫となった人で、目の前で妻である紬ちゃんが倒れたのだから当たり前に助けてくれると思っていた。


 それなのに。

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