遠本涼一郎

第七話

「え、ひょっとして、その花って遠本君ちにあるの?」

「いや、そうじゃないんだけどさ」

 荒尾は黒いパーカーにジーパンという服装でやって来た。

「にしても、遠本君ってオシャレだね」

 俺は、グレーのカーディガンに白シャツ、黒のテーパードパンツというコーディネートだ。

「ありがとう」

 これを女に言われれば、という思いは一度封印することにした。

「でさ、まあ今から、その花があるとこに行くんだけど」

「うん」

「一応、これ」

「サングラス? なんで?」

「ひょっとしたら、今、荒尾が行って、そこで鉢合わせすればマズいことになるかもしれないから」

「ふぅん」

 これで何となく察したかと荒尾の顔を窺っても、彼はしげしげとそのサングラスを見て、ゆっくりと目に装着した。

「じゃ、行くか」


 坂を登っていくと、夕陽に照らされてオレンジ色になっている、白壁の平屋が見えてきた。

「え、あれって」

「そうだ」

「江崎君の家だよね?」

「ああ」

「家、近いんだ」

「まあな」

 うちに辿り着くまでに、荒尾は一体どんなことを考えながら来たのだろう。


 少し進んで、俺は、一本の木の下で立ち止まった。

「どうしたの?」

「念のため、これ」


「……耳栓?」


「百均のやつだけど、無いよりはマシだと思うから」

「何、そんな騒音あるの?」

「まあ、行けば分かるかもしれないから。じゃあ、ちょっと花について話しとくわ。行くところで、もし奇声が聞こえたら、すぐに耳栓付けろよ」

「……分かった」

 訝しげな表情をしながらも、荒尾は一つ、頷いた。

「その花ってのは、まず、高さは二メートルくらいある」

「結構大きいんだね」

「茎はめちゃめちゃ細くて赤黒く、クネクネしてる」

「はあ」

「で、花に近いところで、二つの茎が枝分かれしてるんだけど、それがまるで人間が両腕を広げてるみたいに見える。なんか、この胸に飛び込んで来い! みたいな感じ」

「分かんないけど、分かった」

「で、花はヒマワリに似てるんだけど、花弁は赤くて、種は黒に近い紫みたいな感じ」

 荒尾の頭の上に、クエスチョンマークがピコピコと浮かび上がったのが見えた。

「で、その花は……」

 嗤うんだ、と言おうとしたところで、俺の身体がカチリと固まった。

「え、どうしたの?」

 荒尾も立ち止まったが、彼も、どこか異様な雰囲気に、額に皺を寄せ、ゴクリと唾を呑んだ。


 ク、ククククク


 人の声や、カラスの声はおろか、風に葉が擦れる音もしない、山に囲まれた空間。

 そこに、こちらを歓迎するかのような、粘っこく高い、くぐもった声がこだました。

「え、今の何?」

「耳栓!」

 荒尾は、ビクリと身体を震わせ、ポケットからそれを取り出して、耳に装着した。


 ククッ、クククククッ、クククククククッ


 俺は、大きく息を吸って、荒尾の手を引いた。

 足元の草木が、風も吹いていないのにソワソワと揺れる。

 耳栓の隙間から聞こえてくる声は、だんだんと大きくなってきた。

 荒尾がこちらを握り返す手も、それに比例するように強くなる。


 シャリ、と、枯れた天然芝を踏む音がして、俺は江崎宅に着いたことを悟った。

「え、まさか、江崎君の家にあるの? その花」

 気付くのおせえよ、と言う代わりに、荒尾の頭を軽く二度叩いた。

 

 そのまま彼の手を引いて、敷地内を進んでいく。

 裏側へ進み、少し甘い匂いがしてきたところで、俺の一歩は狭く、遅くなってゆく。

 少しの吐息が、汗で蒸れていた。

「……あれ?」

 荒尾が、花を指さした。

「そう。この花を……って、え?」

 声を発した時には、裏口の扉に足が消えていったところだった。


「さっきの、江崎君だよね?」

「……多分」

 荒尾は、一切の躊躇いなく、植木鉢へ進んでいく。

「スコップ落ちてるし……何か掘ってたのかな。で、土被せた感じもあるし。なんだろう」

 俺は腹筋に力を入れた。

 彼は、花を見上げる。

「なるほど……確かに、見たこと無いね。植木鉢に対してめちゃめちゃアンバランスだし」

 地面を掴む指にも力を込める。

「で、さっきの笑い声は、恐らくだけど、こいつが出してる」

「え? あの、ククククっての? 花が笑うってこと? そんなわけないじゃん。ひょっとして、天然?」

 見るからに怪しそうな見た目なのに物怖じせず進んでいくお前に言われたくない、とは思った。

「それがそうじゃなくてさ。しかも、なんか、この花、時々動いて、種がびっしり入ってる部分に笑みを浮かべるんだよ」

「……へ? でも、今何も起こってないじゃん」

「……まあ」

 荒尾の言う通り、花はただ佇んでいるだけで、笑い声以外に何のアクションも起こしていない。

「……なんでだろ、前はすげぇ笑い声出して、それで……」

 律を、徹矢を、魁成を、倒していったのに、と言おうとしても、喉に言葉がつっかえて、乾いた咳しか出なかった。

「まあいいや。ひとまず見れたから、ちょっと調べてみる」

 荒尾は、その花の写真をいくらかの角度から撮って、そそくさと帰りを急ぎ始めた。

「なんでそんな急いでんだ?」

「え? まあ、色々」

「彼女か?」

「違うよ」

 俺は上がっていた肩を下ろして、荒尾と身体をぶつけ合いながら、坂を下っていった。




 交換した荒尾の連絡先からメッセージが届いていたのは、八時過ぎだった。

『花、ちょっと分かったよ』

 その時ゲームのラスボスと対峙していた俺は、すぐさまゲーム機を放り出して、返信を打った。

『ホントかよ?』

 荒尾は、一つのURLを載せてきた。


『なんか、ちょっと似てるやつで、確定じゃないんだけど、中央アメリカの方とかに生息してるらしくて、遠本君の言葉通り、『嗤う花』っていう通称が付いてるらしい』

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