標的

「先生、あの、僕の靴が無くて」

「靴か? 下駄箱にあるはずの?」

「そうなんです。青の靴なんですけど」

「そうか……。今日の体育の時はあったんだな?」

「ありました。そこから、ちゃんと靴箱に入れています。でもありません」

「いつもの天然じゃなくて?」

「だから、そんなんじゃないですって」

「……そうか、なら、先生が家まで送っていく。乗ってけ」

「すみません、ありがとうございます」


 始まりは、こんな些細な会話だった。小学六年生の、梅雨の雨がよく降る時期。

 先生に送ってもらって家に着き、母にその話をした。でも、

「またいつものあれじゃないの?」

 と言われて、結局、次の日は姉のスニーカーを履いていく羽目になった。




「お前、これ女ものの靴じゃねーの?」

「お前そんな趣味だったのか?」

 学校に着くやいなや、僕は靴箱に、昨日無くなったはずの靴があったことに気付いた。

 おかしいな、と靴箱の前で立ち止まっていたところに、ちょうど肥後五左衛門と圭田律が通りがかった。

「いや、それが昨日帰る時に靴が無くなってて、今日だけ姉から借りてきたんだよ」

「ふーん。でも、ここにちゃんと靴、あるじゃねーか」

 肥後五左衛門は、丸刈りの狸のような潰れた顔を近づけてきた。

「だから不思議なんだけど」

「お前、どーせ、隣の靴箱でも行ってたんじゃねーの?」

 今度は、圭田律の長細いキツネ顔が迫った。

「それならそれでいいけどさ」

「そうか」

 肥後五左衛門は、目が肉に埋もれたような笑顔で、クスクスと身体を震わせていた。

「どうしたの?」

「いや。何にも」

 彼らは、ろくに音程も取れていない歌を大声で歌いながら、教室へ戻っていった。




 先生に報告すると、やっぱお前の天然が出たんじゃないのか、と笑顔で肩を叩かれた。

 が、朝はまだ少し曇っていただけなのが、昼には大降りとなり、生徒は急いで帰っていく中、僕だけ傘が無いことに気付いた。

 僕はランドセルで頭を守りながら、大急ぎで家に駆けていった。

「あんた、なんでそんなビショビショなの」

「傘無かったから」

「無かった? 今日、持ってったでしょ?」

 確かに、玄関の傘立てに、僕の傘は無かった。

「なんかあんた、最近どんどんおかしくなってってない?」




 次の日の朝には、机の中に置いていたはずの小説が消えていた。

 給食の時になると、みんなが「唐揚げだ唐揚げだ」とはしゃいでいる中、僕だけ唐揚げが一つしか入っていなかった。

「けいちゃん、絶対あれだよ」

 女子の一人が、僕に言った。

「けいちゃんは、あいつらのゲームのターゲットにされちゃったんだよ」

 彼女がゴミの山でも見るような視線を送っていたのは、肥後五左衛門と圭田律だった。


「キャッ、痛い、何すんの! キャッ、ちょあんたら変態なの?! やめて!」


 昼休み、図書室から帰ってくると、さっきの女子が、肥後五左衛門に羽交い絞めにされていた。

 その傍らには、荒尾啓太と名前が書かれた黒の水着入れがあった。

 圭田律の方は、赤色の水着入れを持って、吐き気のするような汚い笑みで、それを彼女の前で揺らしていた。

「じゃあ、奴の代わりに、お前がその犠牲になるか?」

「止めて! 助けて!」

 圭田律が、赤色の水着入れに手を突っ込んだ。その中から、いくらかを黒色の水着入れに移し替えていく。黒の方からも、いくらかを赤の方に混ぜた。

「ダメ! 止めて!」

 彼女は目を潤ませながら、教室の外にも響く悲鳴を上げていた。

 教室の中にいる女子は、同情の目で彼女を見つめながらも、何もすることは無かった。

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