第六話

 給食の配膳時間の間、教室の外に、当番以外のせいとは追い出されることになっている。

 僕は、今日も図書委員として、本の整理をしたり、表紙の修復をしたりと作業をこなしていた。

「……これ、借ります」

「あ、はいはい……?」

 僕は、彼が持ってきた分厚い図鑑を持つ手が一瞬止まった。

「え、どうした? なんか、顔に付いてる?」

「え、いやそういうわけじゃないんだけど……えっと、貸出」

「いやいや、なんかめちゃめちゃビックリした顔してたから。まあ、無理もないけど」

 少し恥ずかしげに、たどたどしく話す姿は、普段教室で対角線にいた彼の姿とは全く違うものだった。

「お名前は?」

「え?」

「あ、一応、知ってる人でも訊くことになってるんで」


「ああ、なるほど。遠本涼一郎です」


 僕は、彼の個人バーコードを読み取り、貸出手続きをする。

 今年の貸出冊数に、十一月にもなってやっと「一」が刻まれた。

 彼がカウンターに持ってきた本は、「花」という、大手出版社の図鑑だった。

「なんか、また意外そうな顔してるけど」

「え、いやいやいや、そんなこと一言も言ってない」

「ちょ、俺、『そうな顔してる』って言っただけじゃん。さすがは、図書室の天然王子」

「そんなに、そのあだ名有名なの?」

「有名も有名」

「僕はそうは思わないんだけどなぁ」

「思ってないの、多分荒尾だけ」

 遠本君は、なんだか楽しげだった。

「なんか、失礼なこと言われたから、僕も一個いい?」

「え、何々、悪口?」

 途端に、遠本君は尻尾をしまった子犬のような、怯えた目になった。

「いや、別に。単純に、なんで花の図鑑借りたのかなって」


「……まあ、調べたい花があるからさ」


「そうなの? じゃ、ちょっと来て。花の本結構あるから。ディティールは分かってないんだよね? とりあえず見た目だけってことだよね?」

「ディティール……? まあ、そう」

 僕はカウンターから出て、生物のところへ向かった。

「ほら、こんなの」

「さすが図書室の天然王子……」

 そう言いながら、遠本君は本をペラペラと捲りだした。

 僕は、一つ反論しようとしたが、ほぉっ、と息を吐き出した。

「貸出お願いしまーす」

 その声を口実に、僕はカウンターへ戻っていった。




 給食を食べ終わり、五時間目までの休憩時間、カウンターで、某有名芸能人のエッセイを読んでいると、いきなり本を閉じられた。

「え」

 パタン、とこちらに表紙を見せて倒れた本から、前に目を向ける。

 舌の先っぽを口の左から出した、遠本君がいた。

「何すんのよ」

「なんか、すごい“やってください”みたいな読み方してたから」

「してないよ」

 その遠本君の後ろに、ちょうど岩片さんがこちらをチラチラ伺いながら通りすがった。

「なんか今、岩片さんがこっちチラチラ見てたけど」

「え、ウソ」

 遠本君は、茫然とした顔で目を見張った。

「いやどうしよ、なんか変な噂でも流されたら。それこそ、荒尾とか岩片に好かれちゃってるわけでしょ?」

「あの万能モデルがそんなわけないでしょ。噂に関しては、まあわかんないけど」

「マジか……ヤバい、ええ、なんかされたら助けてよ? 荒尾だったら、岩片に勝てるだろ?」

「多分、読書量くらいでしか勝てないと思う。運動神経も顔も……」

「いや、そういうことじゃなくて。あと、顔は男女で違うんだからあれだろ。で、ちょっともう本題入っていい?」

「なら早く入ってよ」

 何かしら変なこと言ってたの、遠本君じゃん、と僕は密かに思った。

「いや、話逸らしてるのそっちじゃん? って思ったでしょ」

「え、ま、まあ」

 僕は、少し脳の糸を張らせ、頬の内側を強く噛んだ。


「で、その話題なんだけど、それらしい花は全然見つかんなかった。色んな本読んでもさ」

「へえ。まあ、そりゃあ全部の花を網羅してる本なんてそうそうないし、あってもこんな山奥の図書室じゃあ買えないよ」


「そうか……。でも、俺は、その花をどうしても明かさなきゃいけないんだわ」


 遠本君は、目をギラギラさせて、太陽のその向こうを覗くような表情だった。これまで、いじめっ子の手足だった時の彼には見られない表情だ。

「へえ。殊勝なもんだね」

「総理大臣?」

「じゃない。まあ、感心だね、ってこと」

「へえ。そりゃどうも。で、まあ、このドドドドド田舎一にあるこの丈田たけだ中学校一の秀才と呼び名の高い、図書室の天然王子に手伝ってほしいわけ」

「なんか褒められてる気がしない」

「で、返事は?」

 僕は少し考えた。


 頭の中をよぎったのは、肥後と圭田の、ニタニタ笑う顔だ。


「……ちょっと考えさせて。もうすぐ期末なんだから、勉強もしないといけないし。で、ついでに勉強教えないといけない人もいるから」

「まだ三週間くらいあるじゃん。で、教えないといけない人ってのは、彼女?」

「……彼女っていう言い方でいいのか分かんないけど、まあそういう感じかな?」

「へぇ。俺も、彼女欲しいけどなぁ、まあモテないからさぁ」

 岩片が、柔らかなタッチで描かれた男女の表紙の漫画を抱えてこちらをジロジロ睨んでいるのは、黙っていることにした。

「あのさ、じゃあ一個だけ訊いていい?」

「ああ、いいよ」


「その花、僕にも見せてくれる?」

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