第五話
ためらいながらふりかえると、そこには唇を尖らせて、こちらを睨む岩片さんがいた。
「なんだ、岩片、お前、俺の親友の彼女の何知ってんだ」
真砂は、獲物を狙う鷲のような目で、岩片さんと視線を激しくぶつかり合わせる。
「綾辻由梨乃は、私の友達と学校が一緒なの。隣町の、その中でもこちら寄りにある中学校ね」
「中学校名くらい覚えてやれよー」
瞬時に、真砂に斬りかかるくらいの、グワッという睨みが飛び、真砂は笑みを消した。
「ダンスの友達がねー、いるんだけどねー、その子によるとねー、何やらねー、ほとんど学校に来ないらしいよー」
「なんか家族の事情があるって、荒尾は言ってたぞ」
「で、その間にー、他の学校の中学生とかー、高校生とかー、はたまた役所のジジイなんかにー、金をせがんでるんだってさー。言うこと聞いてくれたら付き合ったげるから、だってー」
わざとらしく間延びする口調に、裏で他の女子がクスクス笑って、こちらに人の悪い目線を寄こしてくる。
「まあ、そういうわけだから、もう早く別れた方がいいよ? 酷い目あっちゃうかもしれないじゃん?」
「だーかーら、岩片には何ら関係ない話」
「真砂に言ってないから。荒尾君に言ってる。ねー、荒尾君? 私は、荒尾君はやっぱ図書室の天然王子であってほしいからさー」
「え、だから天然王子って何よ」
視線を戦わせていた真砂と岩片さんが、同時に、熱が一気に冷却されたような表情を浮かべた。
「……まあ、それが魅力だからさ、変に洗脳されないでってこと」
オホホホホ、という笑い声が聞こえそうな表情で、彼女は女子の輪の中心に潜っていった。
「おい、絶対あいつお前のこと狙ってるぞ」
真砂は、女子の輪でトークを盛り上げる岩片さんを見ながら、声を潜めて語りかけた。
「狙ってるって、狙われてんの?」
「そう。おい、気をつけろよ、あんなのと付き合ったらそれこそ金搾り取られるかもしれない。荒尾なんか優しいからなおさらだ」
「あ、銃とかでってことかと思った」
「……お前のそういう天然、何回されても慣れねーわ」
大きな溜息を一つついて、時間を確認した真砂は、自席へと戻っていった。
「啓太君」
数学の用意をして席へ戻ろうとした時、ちょうど後ろからザラリとしつつもジメジメ湿気のある声が飛んだ。
僕は、すぐに振り返ってしまったことを少し後悔した。
「綾辻由梨乃、っていうんだってねぇ」
江崎君の、デカい眼鏡の奥はキリリとしている。しかし、口元はニヒルに笑っていた。
「その子、啓太君はどうなの?」
「え、そりゃあまあ、交際するくらいなんだから、それなりにはやっぱり……」
「江崎大河、あんたは黙っちょれぇ!」
ニヤニヤ笑った岩片さんが、鼻をつまんでハエを追っ払うような仕草をしながら言った。
「そーだそーだ、不潔は黙れぇー」
バックの女子が、ニタニタしながらそれを復唱する。
「不潔じゃない!」
江崎君が叫んだ。
その声も、女子たちのそれにかき消されてゆく。
「ふーけーつーはー、だーまーれー! ふーけーつーはー、だーまーれー! ふーけーつーはー、だーまーれー! ふーけーつーはー、だーまーれー!」
「違うぅ! お前らが黙れぇ! 大嫌いだ! やめてぇ!」
だんだん声が上ずり始めた。語尾が頼りなく震える。
それを見た岩片は、スパスパとよく切れる言葉を江崎に向かって投げてゆく。
「あんた、なんでこれまで肥後とか圭田にいじめられてたか分かる? 不衛生で、声もカビの生えてきそうなほど薄暗いし、ゲイだし、バカデカい火傷もあるし、出っ歯だし、母親も男たらしだし」
バックの女子たちの醜い笑みが、だんだん大きくなってゆく。
教室全体に、淀んだムードが、江崎君と岩片さんを中心に渦巻き始めた。
「肥後とか圭田に、あんた何したの? 復讐? なんで来ないわけ? 遠本はなんでか来てるけどー」
その遠本君は、顔を机に突っ伏していた。その表情はどうにも伺い知れない。
「あ、先生来たよ?」
教室の入り口にいた女子が、岩片さんに駆け寄った。
「マジ?」
女子たちは、口元を手で押さえながら、でも深くなった目尻は隠さないまま、ゾロゾロと席へついてゆく。
「ま、つまり、あんたはもう学校来なくていいってわけだから。それで、また可哀想にいじめられても、こっちは知ったこっちゃないからね」
可哀想に、を強調して、彼女は言った。
そのタイミングで、寝起きの顔をした数学教師が入ってくると、岩片さんは数学の教科書を瞬時に開き、
「ここ、全然分かんないんですけどぉ」
と甘ったるい犬ころのような声を出した。
江崎大河は、数学の教科書で顔を隠していた。喉が震えている。それでも、声を発することは一度も無かった。
ピーンポーンパーンポーン……
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