遠本涼一郎
第四話
魁成は、やはり来なかった。
「先生、魁成はどうしたんですか?」
俺と徹矢で、朝のホームルームを終え、授業へ向かおうとする北井に詰め寄る。
「え、伏見魁成君? 逆に、君たちは知らないの?」
「詳細は知りません。教えてくれないと、律が暴れ出しますよ?」
俺は、口角を引き上げて、少し背伸びをして北井の耳元に囁いた。
「あの、いや本当に、江崎大河君の家の前で気絶していたってことと、今はもう回復したけど大事を取って休んでるってことしか知らないよ」
「なら、五左衛門はどうなんです?」
「彼は知らない、本当に知らないんだ、もういいだろう?」
北井は呻くように言って、こちらを振り払い、教室を出ていった。
律を含めたメンバーで、部活が終わった後の暗い夜に魁成の家を訪れた。
インターホンを押すと、返事は無かったものの、人が階段を降りてくる音が聞こえてきた。
ガチャリ
出てきたのは確かに魁成だ。
「おう魁成、出てこれるくらいには元気だった……」
律が目を細めて、魁成にハグをしようとしたところで、その腕が止まった。
「……魁成?」
「うん……律か」
元々、存在の薄い魁成が、存在感を大きく増していた。
頭からは、豊かな黒い髪の毛の量が減っている気がする。目元は体内から吸引されているのかと思うほどのクマがあり、口は情けなく開いている。野球部のエースの座を窺うピッチャーの一人として、たくましかった腕は骨と皮しか残っていない。
「お、おい……どうした?」
「なんか……すごいダルい。あと、頭痛と耳鳴りが……」
耳鳴り、というワードで肩がビクリと跳ねたのは俺だけだったようだ。
「飯は?」
「食ってない」
「ちょっと、どうなったのか教えてよ」
徹矢が言った。
「っと……そう、江崎大河を尾行してたら、なんか、甘い香りがしてきて」
「甘い香りぃ?」
打ち合わせしたわけでも無いのに、皆一様にその言葉を反復した。
「そう、なんか……めっちゃ濃厚で、ちょっとしっとりした、いい感じの甘い匂い。それを嗅いでから、なんか良く分かんないんだけど、そこに引き寄せられてって」
「それが、江崎大河の家から流れてきた匂いだったってことか」
律がニヤリと笑った。目には、赤い光が宿っていた。
「そう。で、そこに行ってから、なんか……そ、そうだ、もうこの世の終わりみたいな、すごい高音が耳元で鳴って、そこから……」
俺たちは、固唾を呑んで、“江崎被害にあった”魁成の次の言葉を待った。
「……そう、そうだ……何者に、襲われたんだよ」
「襲われた?」
また、全員の間の抜けた声が揃った。
「魁成が?」
「そんなことあるのか?」
俺と徹矢がとぎまぎしているところで、突然、律が「ふんっ」と人を見下すような笑い声を出した。
「んなの、どーせ江崎大河に決まってんだろ。よく分かんねえけど、そんな匂いやらの罠でも仕掛けて、そっから音で気絶させてから魁成を叩きのめそうとしたんだ。そうに決まってる」
「でも、襲ってきたのはそんな江崎大河ぐらいのサイズ感とかじゃなくて、もっと……」
「耳がやられて、お前の脳内がぶち壊されてたんだからそう勘違いしただけだろうよ。江崎大河の家で、江崎大河以外に誰がそんなことするんだ? 男に夢中で全く息子の方向かねぇ母親も、その母親に対して関白気取りの夫も、息子をいじめる奴に復讐するとは思えんだろ」
魁成が消え入りそうな声で言っていたところで、律は鼻息荒く、一気にまくし立てた。
「まあ……」
「だから、決まってんだろ」
「……何が?」
俺は、恐る恐る聞いた。そして、すぐに目をつむった。
「ああ?! 分かんねえのか、仲間をこんな風にした、江崎大河に復讐すんだよ!」
「復讐って、どうやって……?」
「んなもん、オレに任せとけ。あいつをズタズタにしてやる。いいな?」
律の他の三人は、唇をキュッと結んで、目で頷いた。魁成の首筋には汗が滲んでいた。
律が、江崎大河の家の近くにあった公園に持ってきたものは、ナイフと封筒だった。
「まず、こいつをポストに投函しとけば、奴はその気になって死ぬんじゃねーの?」
不敵に笑っているのは、律だけだった。
「で、お次にこいつだ」
革のバッグから取り出したのは、“香典”とネームペンで書かれた白黒の水引の封筒と、灰の臭いがする線香立てだった。
「線香立ては、オレのばばあの仏壇にあったやつをひったくってきた。香典は、頑張って調べながら作ったんだぜ?」
何も言ってもらえなくても、律はニタニタと笑っていた。
「おい、これをどうするんだよ……」
「まず、ナイフを封筒に入れてポストに入れろ」
「だ、誰が……?」
「じゃあ、リョウ、お前だ。お前が入れてこい」
律は、俺のパーカーのフードにそれを突っ込んだ。
「何すんだよ、お前がやれよ」
言ってから、しまったと思った。
律は、既に顔を赤くしていた。
「ああん? てめえら、次のこの組の組長に働けってのか? てめえらがオレの手足なんだよ。ほら、さっさと行ってこい!」
封筒に入ったナイフのように、彼は次から次へと言葉を俺に突き刺した。
脳内を、いくらかの出来事が横切る。
「やっぱ……無理だ」
「ああん?! んなこと言っていいと思ってんのか? それでもお前は男か?」
「本当の男なら、こんな下卑たことしねえよ」
ボソリと、クタクタになった言葉が口から零れ落ちた。
今度は、しまった、とも思わなかった。
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