第2話 少女はイチゴ。イチゴは少女。

 「はい、ズズズッ、はい、治します。はい、ありがとうございます。はい。失礼します」

 追いつめられた人間というのは、一体何をしでかすかわからないもので、市川さんにイチゴだと言われて渡された少女二人を家に放置したまま、アルバイトに行ってしまうわけにもいかず、自分は冷蔵庫にあったゼリーを取り出し、アルバイト先の店長に電話を掛けて、ゼリーを鼻で啜りながら、あたかも鼻水が伴った高熱を装うという、普通ならば思いつかない、思いついたとしても行動には移さないであろう手段で休みを勝ち取った。途中、ゼリーが気管に入り込んだことによって、外で、それは人がいる場所ならどこでもいいが、自分と空間を共有している事情の知らない人間が聞けば、つい心配で声を掛けずにはいられない咳を連発したのが、勝因だったのではないだろうか。

 自分は、一人掛けの座椅子に二人でぎゅうぎゅうと座っている少女等のことを見た。ティッシュ箱から一枚抜き取り、鼻を拭いた。丸めたティッシュをゴミ箱まで捨てに行き、ついでに落ちていた靴の緩衝材を捨てた。

 そういえば、まだ少女等に話しかけていない。話の端緒に悩んだが、少女等の体重を手の平に受けたあのとき、到底人間だとは考えられなかったので、よしんば人間だったとしても、失礼は承知で質問を発した。

 「君たちは人間、だよね」

 沈黙が続いた。少女等は四つの目を瞬かせながら、何か思案しているようで、何も考えていないような顔をしていた。やっとのことで右側の少女が口を開いた。

 「いえ、イチゴです。私たち二つは」

 そう言った後、少女等は自分に背中を向けて何か小声で話し出した。小声といっても、部屋は広くなかったし、物音も無かったので、途切れ途切れな文章の切れ端が聞こえてきた。

 「なん…えてるん…」

 「きっ…だからこ…せ…」

 少女等が相談し合う様子を見ていると、自分も誰かに目下の心情を吐露したくなった。だが、自分が誰かに相談したとしても、自分から相談を持ちかけられた人間が、別の人間に、こいつの頭がおかしくなったんだが、どうすればいいだろうかと相談するという、悩みの感染が発生するだけで、他人に相談をする行為に、希望的な解決は望めないと考えた。

 相談できないとなれば、現状の問題は自分で考えて解決しなくてはいけない。少女等がイチゴであると言ったからには、自分は次にどんな行動をすればいいのか。イチゴだからと、少女等のその白く透き通った四肢にかぶりつくわけにもいかないだろう。少女等に独立した知性があることが分かった今、かぶりつくという行為には、自ずと襲うという意味合いが付与される。それに、自分の道徳感情が少女の外形をしたものを襲うことを許さなかった。

 相談を終えた少女等がこちらに体の向きを戻した。

 「食べてください。私たちを」左側の少女が言った。

 「私たちは美味しいイチゴです」右側の少女が要らない気づかいを言う。

 「君たちは人間のように見えるが、その点どう説明するんだい」自分はかねてからの疑問を問いかけた。イチゴだというのなら、なぜ人間の、しかも少女の姿に見えるのか。

 「それは、あなたの頭がおかしいからです」右側の少女がこともなげに言い放った。

 「間違いないです」左側の少女が同意する。

 「君たち、言ってくれるじゃないか。確かに、僕の頭がどうにかなったのかもしれない。連日の疲れが化けて出たのかもな」

 「化けてなどないです。正真正銘のイチゴ。普通のイチゴです」左側の少女が言った。

 少女はイチゴ。イチゴは少女。考えれば考えるほど、理性はその論理を理解することを拒否した。その後もいくつか質問をしたのだが、少女等の主張は一向に変わらず、自分たちはイチゴであると言い続けた。

 これ以上の進展は無いと思った自分は、少女たちを置いて、いっそ寝てしまうことに決めた。最初、市川さんが少女等を抱えて現れた時からおかしかったのだ。これは全て夢で、寝て起きたら今日の朝がやってくる。正しい朝に目覚めたら、つぎこそは朝食を食べよう。自分は布団に潜り入り、やはり布団の中の環境こそが、人間が暮らすべき最良の環境なのだという考えを強くした。

 寝てしまう直前に少女等を見た。少女等は互いに顔を見合わせ、話し込んでいる風だった。意識が布団の柔らかな暗闇へと吸い込まれていった。

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