第3話 肌荒れ

 目を開けると同時に、尋常ならざる爆音がコンロ側に穿たれた窓の外から聞こえた。咄嗟に自分はその方向に身構えた。そして、自分は先にも爆発音に身構えたことを考えた。

 「バーンって。二回目だ」

足の甲に反復的な感触が感じられた。目を遣ると、零細な肉片が埃の溜まった隅へと転がっていくのが見えたのだが、肉片が転がった軌道を追うようにして、さらに一つの肉片が、不潔感を餌に繁茂する闇へと消えた。

 自分は左手を顔の前に持っていき、指の有無を確かめた。

 人差し指は無かった。そして、中指までもが無かった。意識が遠のく。肉片を追いかけるようにもう一欠けら転がっていったが、一つ目が人差し指であるとするならば、二つ目のそれは中指で間違いないだろう。眠気までもが反復的で、ただ肉片の数だけが異なっていた。

 「一体なんなんだ、これは」

 そして再び、自分は抗し難い眠気に体を乗っ取られたのだった。


 目を開けると同時に、尋常ならざる爆音がコンロ側に穿たれた窓の外から聞こえた。咄嗟に身構える。三回目。自分は確かにこの場面が三回目であると理解している。そして次、足の甲へと落ちる自身の指の感触を待っている。

 一本、人差し指。二本、中指。三本。落ちてきたその数で、自分が置かれている状況までもがゼラチン質の液体を用いた服薬のように摩擦なく理解されてしまった。

 自分は、外の爆発音を起点に、指を見て眠るところを終点にして、時間を繰り返しているのだ。そして、繰り返す度に切断される身体の部分が増えていっている。

 どう考えても夢だった。過去にここまでの鮮明さで体験された夢は無かったが、状況からして、一連の出来事は夢以外のなにものでもなかった。

 おそらく、隅に光を射せば、そこには自分の人差し指と中指と順番でいうと薬指が落ちていて、左手を確認すると、三本の指が失われ、両端のみが残る万年電話ポーズがあるはずだ。そして欠損の事実を視覚的に認識すると、自分はたちまち眠ってしまうのだろう。

 先ほどまで自分の恐怖の主たる理由であった指の欠損のその位置は、今ではこの奇妙な夢の規則的な展開に取って代わられたのだった。

 この恐怖感と良く似た感触の恐怖を、自分は知っている気がした。そう、それは自分が高校生の頃の話だ。

 自分は親から引き継いだ身体的な性質として、肌が弱かった。その程度は普通を超えていて、またその発現、つまりは肌荒れ、ニキビといった症状がでるのも、同学年の誰よりも早かった。

 病院に行き、さまざまな薬、漢方を試したのだが、症状は改善の兆しすら自分に見せてくれること無く、そんな生活が三年か四年か続いた。すでに自身と他者との間に暗い翳を落としていた肌荒れは、高校生になっても収まることはなく、それどころか、それまで顔面だけに出ていたニキビの蹂躙地は、胸や背中、頭皮にまで侵攻の手を伸ばし、翳にさらなる黒さを重ねた。

 頭皮にも現れた肌荒れは痒みを伴い、自分に頭皮を掻いて傷つけるよう強要した。日中、覚醒している間はその要求を理性で撥ね除けてしまえたのだが、問題は就寝後にあった。寝てしまうと、無意識のうちに頭皮へと手が伸び、日中の努力も空しく、爪で力一杯掻いてしまうのだ。

 頭皮を掻いてしまうと、爪で抉られた場所にかさぶたができた。かさぶたは指の腹で触ると簡単に剥がれ、髪の毛の間をすり抜けて、勉強中の参考書の上や、自身の肩に落ちてきて衣服を汚した。

 日ごとに頭皮の肌荒れは症状が酷くなり、比例してかさぶたの量が増えた。ふとした瞬間に自分の頭からかさぶたが落ち、それが紙の上であると、パチンッ、と小さな、しかし自分には確かに聞こえる音量で衝突音が聞こえた。

 痛みと痒み、崩れていく頭皮。高校生の自分は、多少の道理は心得ていたので、あり得るはずはないと理解はしていても、このまますべてがかさぶたとなって、やがて自分という存在が不潔で劣悪な屑へと変化し、完全に消えて無くなってしまうのではないかという妄想を、頭の中で肥え太らせることに抗えないのだった。

 自分が消失する感覚。それは、すなわち生物的な死を意味した。死ぬのは怖かった。望まぬ自傷はそうして、自分の意識の底に、慢性的な喪失恐怖を薄く張ったのだった。

 石質であれば、自分の欠片の美しさに、刹那こころを留めたのであろうに。

 携帯に手を伸ばし、明かりを点けた。質感がある夢を見るのは初めてだったので、ここまでくれば楽しんでやろうと思った。隅へと明かりを照らし込む。光の粒に当てられて現れたのは、律儀に隅の一点に集まる、自分の人差し指と中指と薬指だった。

 身体に力が入らなくなってくる。眠気が指の喪失を視覚的に認知した時に来ることが、これで確定した。自分はキッチンの床へと横たわった。フローリングは、現実的な冷たさを自分に伝えたのだった。

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