第3話「絡繰り聖女」

 彼が目を見開けば、それは本当に意外過ぎる物であった。それはとある生物だ。腕と足がそれぞれ二本ずつあり、体の表面は、滑らかな肌に覆われている。そして、体のてっぺんに球状のものがあり、それからはびっしりと黒色の、細長い糸のような毛のようなものが垂れていた…


 つまりは、彼の上には先ほどの怪物の姿は消え失せ、代わりに血塗れになった「裸の人間」がいた。青年は何度も瞬きをしたが、目の前の光景にはなんの変化は無かった。


青年「は?……は?…」


 彼の体の上には、血塗れになった裸の「女性」がのしかかっていた。彼女は黒色の腰まで届いているであろう長い髪を垂らし、彼の下腹部あたりに股がり、馬乗りになっている。


女性「すまない青年。再生ができるとはいえ痛かっただろう。大丈夫か?」


 彼女は青年のことを心配し、その整った顔を彼に近づけ、左手で青年の頭に優しく触れた。さっきまで彼の肉に喰らいついていた化け物とは思えない台詞である。一方、青年の方だが…もちろん最初は彼女の顔を見ていたのだが、その…彼女の肥大化した胸部に目線を何度もチラチラと向けてしまっていた。


 いやまあ、仕方のないことかもしれないが、さっき嚙みつかれたことすら忘れて呆けているのはどうなのだろうか…


女性「おい!君!大丈夫か!?…クソッ!目線が定まってない。まさか痛みのショックで?」


 彼女は青年の状態を確認しようと呼びかけていたが、彼は今とある物に夢中になっていたため、彼女が大声を出さなければ気づかなかっただろう。


青年「え!?…いえ!自分は大丈夫です!!」


 今もまだ混乱しているからか、それともいろんな意味で興奮状態だからかはしらないが、彼は100点満点の元気な返事を返した。


女性「良かった…てっきり頭がおかしくなってしまったかと…」


 彼女は安心して、ホッと胸をなで下ろしていた。その様子を彼は当たり前のように見ていたが、突然はっとし、自身の顔を手の甲で覆い隠す。


青年「ええと…目の行き場に困るんですけど…」


女性「ん?…あぁ…」


 顔を少し赤らめ、顔を斜め後ろの方へと向けている。彼女は一瞬だけ疑問符を上げ、理由がわからなかったみたいだが、すぐに気付いたようだ。


女性「確かに、裸と半裸じゃ私達が逮捕されてしまうな。」


 そう言うと、手を地面について立ち上がる。


女性「そういえば、君名前は?バッジが無いところを見るに、新人のようだが。」


青年「あぁ、自分は」


 彼が名乗ろうとしたとき、どこからか誰かの高笑いが聞こえてきた。それはかなり近場の方からのようで、すぐにどこからのものか気付くことができた。


???「アハハハハハ!!何してんのさお二人さん。」


 二人が声の方を見ると、腹を抱えて大笑いしている人がいた。白髪の長い髪を持ち、赤色の目をしている。その姿はかなり普通の人とはかけ離れており、日傘を差していた。そのとき青年は、あらぬ誤解を生んでしまったかもしれないと、内心かなり焦ってもいた。


女性「あぁ、【ヘカータ】。実は空腹を抑えられなくなってな。」


 ヘカータと呼ばれた女性は、二人の方へ何の迷いもなく歩み寄ってきた。それに対して青年はマジかこの人と思いながら股間を隠していた。


ヘカータ「ふふ♪説明が足りないと思うよ?【黒華】。口下手なのは相変わらずだね。」


青年「黒華?あぁ、この人の名前か…」


 ヘカータは裸の彼女に抱きつき、首に手を回してもう片方の手で頭を撫でている。すると、黒華の体の周りを糸のような、繊維のようなものが覆い始める。それは何十にも重なり束をなし、形を作っていく。瞬きをするぐらい一瞬のうちに、彼女は黒色のスーツを身に纏っていた。


青年「す、すごい…」


ヘカータ「ふふ~ん。すごいでしょう?」


 これには、ちゃっかり見ていた彼も驚きを隠せておらず、ヘカータは得意気な顔をしている。下の方を向けば彼の下半身もズボンで覆われていた。


ヘカータ「あっ…因みに下着は流石に作ってないからね?」


青年「いえ、ありがとうございます。助かりました。」


 彼は立ち上がると、何か違和感を感じていた。背中が常に溶けているのはもう気にしていなかったが、立ち上がったとき背中が涼しい気がする。


青年「あっ…」


 彼はもう察しがついていたが、そっと背中に手を当ててみる。そして、そこにはサラサラとしたスーツの感触はなかった。


青年「すいません。こっちもお願いして良いですか…?」


 それはとても小さな、申し訳なさそうな、恥ずかしそうな声だった。彼がヘカータの方へ背中を向けると、後ろから小さく笑い声が聞こえてくる。


ヘカータ「ふふ…ふふ…」


 声を抑えつけるような、漏れて聞こえてくる声だ。彼の背後からはシュルシュルという糸と糸が擦れ合うような音が聞こえ、背中の解放感は消えていった。


青年「ありがとう…ございます。」


ヘカータ「なんか散々だねぇ…」


 その背中からは、怪物から一人の女性を助けた勇敢な若者の陰は無く、哀愁が漂っていた。


ヘカータ「ひとまず、他の警官達と協力して調査を…」


青年「あれ?」


 このとき、彼は重要なことを忘れていた。地面に残されたあの黒いヘドロのような液体は、化け物が死んでも残り続け、広がり続けている。そしたら、あのとき助けた彼女はどうなったのだろうか?


青年「まずい…」


 ゾッとするような…不穏過ぎる、いや~な汗が額から垂れた。動けない理由や、喋れない理由がどんなのかは知らないが、最悪の場合…


青年「すいません!」


 そう考えているだけで、怖じ気と不安が止まらず、彼は何の理由も言わずに走り出してしまった。


黒華「ちょっと待て青年!何事だ!?」


ヘカータ「何考えてんだかわかんないけど、私は追うよ~。」


 後ろから二人の声がうっすらと聞こえてきた。すると、それと同時に二人の足音も聞こえ出している。その音は数秒も立たない内に彼の横まで近づいていた。


青年「はっや!?」


ヘカータ「伊達に警察隊やってないからね。なんで急に走り出したのさ。」


 彼女は一緒に並行しながら、当たり前のように会話を続けてきた。青年が必死に女性の方へと向かっているのに対して、二人は容易く彼に合わせて並走していた。


青年「実は!身動きも会話もしない女性がいて!この少し先に避難させてました!」


黒華「身動きも会話も‘‘しない‘‘?よくわからんが、先にそれを言いたまえ!!」


ブォン!!


 体を小さく屈ませると、足をバネのように、体で風を切り分け、前に向かって「跳躍」していった。彼女は、豆粒のように小さく見えるほど、一瞬で遠くに行ってしまった。すると、その豆粒が何かを探して彷徨いているのが見える。


青年「まさか!!?」


ヘカータ「ちょーっとゴメンね?」


 彼女は青年の背中に触れると、彼の体は、いや背中は急激に前へと推進していく。それは先ほどの黒華程ではないが、彼の体を空気抵抗による巨大な風が襲う程のものであった。


青年「とふへんはんらんれふかー!!?」


 その風は今の彼の歪んだ顔を見ればわかるだろう。最高に情けないものである。


青年「ごふっ!?」


 地面に顔から滑るように着地すると、顔の皮膚はずりむけ、血が顔から流れ落ちている。それもすぐに内側から増殖するように戻っていった。


青年「あの人は!」


 彼が、顔を上に上げて辺りを見渡すと、そこは案の定黒い液体の池でできていた。そして、何か匂う…錆び付いた鉄のような匂い。血の臭いが。


青年「まさか…」


 いや~な汗がブワッと吹き出してくる。あの怪物が急に飛び出て、それだけのことで何人が潰されたかは計り知れない。だが、彼女をその中の一つとするのにはあまりにも無理がある。自分が「助けれたはずの命」だからだ。


 赤色の液体が黒いヘドロの中に混じって流れてくる。かなりの量の血が、彼の足元に流れこんできていた。そのとき、前方から足音が聞こえてきた。その足音の正体は、先にここへと飛んできた「黒華」である。


黒華「やあ青年。安心してくれ。」


 彼女は物陰から姿を現すと、何かを背負っているようだった。それは、彼女の背中にのしかかった女性であった。だが、目には光は無く動きも全く見せていない。しかし、口が小さく動き、確かに呼吸をしている。彼女を救助していたときも思っていたが、まるで自我を持っていないかのようだ。


黒華「彼女、君の言うとおり一言も喋る様子も見せず、さっきまでそこに座っていたよ。一目見たときは、まるで人形かと思ったがな。」


青年「ひとまず、助かったみたいで…」


 彼は彼女の膝を見た瞬間、思わず言葉が止まった。膝から下が溶け落ちたかのように血をポタポタと垂らしながらグシャグシャになっていたのだ。


青年「…………ん?」


 確かに、彼はそれを見た瞬間、驚きもしたし絶望もしたが、それ以上にまだ違和感がある。ぐしゃぐしゃになった足だが、どうも上から血が垂れてるだけで肉が露出しているようには見えない。


 それにどこか、材質が人の物というより…


女性「ご安心を、【義足】ですので。」


青年「あっ、ご丁寧にどうも…って、え?」


 背中におぶさった女性は、真っ直ぐと青年の方を見つめさっきの空の人形のような状態とは違い、目には瞳が宿った状態であった。声は落ち着いており、少し得意気な感じの表情である。


黒華「シャベッタアアアア!!?」


 黒華は驚きのあまりか、おぶっていた彼女のことをぶん投げてしまっていた。尻からストンと落ちると、「いてっ」と声を上げ、ジュー…と音が鳴っている。


青年「ちょっ…今すぐ拾ってください!」


黒華「あぁ!すまない!!動揺して…」


女性「早く拾え」


 黒華は両手を彼女の横腹辺りに当てると、そのまま小さな子供を持ち上げるかのように、簡単に上へと上げてしまった。


女性「ところで、なんでお二人は歩けてるんです?」


青年「俺…ああいや、僕は再生系の能力なのでそれで戻してますけど、確かに黒華さんやヘカータさんはどうやって…」


 正直、青年の方から女性に対して「なんで喋らなかったんです?」「なんで動かなかったんです?」と質問責めしたい所だが…それそれはそうと、今思えば二人はどうしているのだろうか?そもそも、二人の方から焼けている音すら聞いたことが無い。彼は今も足を焼いているが…


 ジュー…


黒華「あぁ、私は前に自分の能力についていろいろ検査したんだが、私の体は酸では溶けないだ。もちろん能力のおかげだがな。」


青年「肉体の強化みたいな?」


黒華「そんな感じだ。空腹でアレになるが…」


 なんとなく彼女の能力が見えてきた気がしてきた。恐らく肉体の強度や筋肉を高めるような力で、デメリットとして空腹になると理性が低下するのだろう…ただの推測だが。


 そもそも能力は立派な個人情報だし、必要になったら教えて貰えば良いだけだろう。もっとも、今はその状況ではない。


黒華「いや、そもそも今はそれよりも、他の警官のところに君を護送する。もちろん後で喋らなかった理由は聞かせてもらうが…」


女性「了解しました。」


黒華「よし。」


 彼女を両手で持ち上げながらそう言うと、肩の上に担ぎ、そのままどこかへ風のように飛んでいってしまった。


青年「…あれ?これ俺何すれば良いんだ?」


 あの女の人の無事を確認したのは良いが、この瓦礫とヘドロの上でどこに行けば良いのか見失ってしまったのだ。周りをキョロキョロと見渡してみると、突然ポンッと肩に誰かの手を置かれた。


 後ろに顔を振り返らせてみると、そこには白色の長い髪をした…「ヘカータ」がいた…


ヘカータ「君はこっちだよ~。ふふふ♪」


 彼女はにんまりと笑い。どこか不吉な笑みをしており、そこからは少しばかり嫌な感じが漂ってくる。


青年「ええと…【こっち】とはどちら…でしょうか?」


ヘカータ「そりゃもちろん。被害調査の手伝いだよ?」


 恐る恐る聞いてみたが、いや~な予感は的中していた。なんかよくわからんけど面倒そうなのに巻き込まれそうだと…このとき本能のようなもので感じていた。


青年「いやぁ、でも自分新人ですし…」


ヘカータ「でも君このヘドロの上で活動できるじゃ~ん。活動できる人結構少ないんだよ~?人手不足だし…」


 とりあえず、最後に彼女がボソッと呟いた一言で、なんとなくだが警察隊の人手不足の現状に対して危機感を覚えそうになる…


ヘカータ「とりあえずこっち来てね~?」


 青年の腕をガッシリと掴みんで、彼を引っ張っていこうとしている。


青年「え!?ちょっとま…」


ヘカータ「よし行こう!今すぐ行こう!めんど臭いけど行こうー!!!」


 大声で彼の言葉を押し潰しながら、ずんずんと進んで行き、その背中はどんどんと小さくなっていく。


ヘカータ「あれ?そういや君の名前ってなんだっけ?聞いてなかったよねぇ?」


青年「えぇっと、僕は【切絵 創(きりえ そう)】って言います。」


ヘカータ「えっ?」


 彼女は足を止め、彼の方へ振り返る。その顔は驚きからか目を見開いており、また口を開き始めた。


ヘカータ「今君。「切絵」って言った?」


創「はい。そうですけど。」


 彼が頭に疑問符を浮かべていると、彼女は更に腕に力を入れ始めた。それも、かなり強めに。


創「ええと…痛いんですけども…」


 創の言葉を無視して、彼女は彼の腕を更に力を入れて引っ張り、自分の方へ引き寄せ、物理的にも言葉としても詰め寄ってきた。


ヘカータ「君の父親。【切絵 響(きりえ ひびき】さんでしょ。」


創「え?」


 突然の言葉に彼は一瞬だけ動けなくなった。だって、約20年前に亡くなった…自分の父親の名前を出されたのだから。

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エル・ドラード モンさん @nebukasame

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