01


新山薫にいやまかおる 24歳。

全く記憶にないけれど、私が昨日雇ったらしい自称我が家のメイドさん。

幼く見えて立派な成人女性と知ってひとまず胸を撫で下ろした。


彼女が話してくれた事の顛末はこうだった。






真奈美の自宅マンション近くには小さな公園がある。

小さなすべり台とブランコがあるだけ。

街灯は夜の公園を明るく照らすほど設置されておらず、日が暮れると利用する人はほとんどいない。


そんな寂しい真夜中の公園で、一人ブランコを揺らす女がいた。


ずいぶん酔っ払っている様子で、それと言うのもその女は裸足だった。

少し離れたところに彼女が脱ぎ捨てたであろう黒のパンプスが転がっている。


本人曰く、とてもお人よしな新山薫は見て見ぬふりができなかったらしい。



「おねーさん。こんな所で潰れてると悪い人に連れて行かれますよ。お家どこですか?」



声をかけつつ、肩からずり落ちるジャケットを直してあげると、彼女はにへらと笑った。



「あそこ!」


夜の公園に響く大きな声で、彼女はすぐそばの15階建マンションを指差した。


「かえりたいんだけどねぇ。くつがなくて」


破れたストッキングに覆われた足先をムニムニと動かしている。

その真剣な表情がバカらしくて新山薫は吹き出した。


「おねーさん、靴ならありますよ。どうぞ」


落ちていたパンプスを拾って足元に揃えてあげる。

酔って上手く足を入れられない彼女の為に、新山薫はその足元に跪いた。


「わぁあ。おひめさまのきぶん」


パンプスを履かせてもらいながら、彼女は恥ずかしげもなくそう言って喜んだ。


「はいはい、お姫様。お城に帰りますよー」


「はぁーい」






かくして私は初対面の新山薫に肩を借りて、なんとか部屋まで帰れたらしい。

もちろん新山薫も私を送ったらすぐに去るつもりだったと言う。






「ちょっとまって、おれいしなくちゃ」


玄関の鍵を開けたと思えば、彼女は新山薫の襟元を掴んで中に引き込んだ。

初対面の酔っ払いにすごい力で服を引っ張られ、新山薫がよろめきながら中へ足を踏み込むと背後で玄関扉が閉まった。


「まってね。でていかないでね」


彼女は躊躇いなく革の鞄をひっくり返し、その中身を床にぶちまける。

その中から某有名海外ブランドのロゴがあしらわれた財布を探し当てると、その中から一万円札を三枚抜き取った。


「これ!これでたりるかな!?」


ぎゅっと握ったそれを彼女は新山薫の胸元に押し当てた。


「や、お礼なんて要らないから。そんなに受け取れないし」


差し出された手を押し返し、床に散らばった手帳やスマホを拾い集める。

床に投げ捨てられた鞄の中にそれらを放り込み、いつの間にか静かになった酔っ払いに視線を向けた。



「…嘘でしょ」


一万円札と財布を握りしめたまま、彼女は壁にもたれて目を閉じていた。


「おねーさん?まさか寝てないよね?」


問いかけに返ってくるのは呻き声だけで、新山薫はこの酔っ払いに声をかけたことを後悔し始めた。


「おねーさん、ベッドで寝ないと。こんな所で寝ちゃダメですよ」


彼女の手から一万円札と財布を取り上げて、それをそのまま鞄に放り込んだ。

公園で履かせたパンプスを今度は脱がせて、彼女の腰に手を回す。


「寝室どこですか?」


「んぇ、…たぶんあっち」


「多分って何よ…」



新山薫にとって背格好の変わらない人間を寝室まで連れて行くのは大変な苦労だった。

実際、公園からマンションまではふらつきつつもご機嫌に歩いてくれたのでまだ助かった。


なんとか寝室の扉を開けて、ダブルサイズのベッドに2人で縺れるように倒れ込んだ。


「あぁ、もう。疲れた」


「えらいねぇ。がんばったんだねぇ」


自然と溢れた本音が聞こえたのか、彼女は人の苦労も知らないでヘラヘラと頬を緩ませている。

新山薫は少し腹が立って、その頬をきゅっと抓った。



「いたぁいよ」


「誰のせいだと思ってるんですか」


「んー…、おひめさま」


「バカ」



最後に頬をむにっと引っ張ってから離すと、そこは薄らと赤くなっていた。

新山薫がそろそろ本当に帰ろうと体を起こして立ち上がると、その手を彼女に掴まれた。



「かえっちゃう?」


「帰りますよ。鍵はポストに入れときますからね」


「やだやだやだ。ここにいてよ」


「はぁ?もう、おねーさん飲み過ぎ」


「おきゅうりょうだすから!!」



そう言って両脚をばたつかせながらゴネる彼女に、新山薫は冗談のつもりで聞いてみた。



「へぇー?一体いくらで私のこと雇うおつもりですか?」


「うううんんんん。じゅうまん!」


「話になりませんね。家賃払ったら終わりじゃないですか」


「ここにすめばいいよ。ごはんもたべさせてあげるから!」



実のところ新山薫はお金に困っていた。


大学卒業と共に田舎の実家を飛び出して一人暮らしを始めたところまでは良かったが、上司との関係が上手くいかず一年で退職。

その後は両親からの援助や派遣の仕事でなんとか食い繋いできたけれど、そろそろ限界だった。

実家の両親はいつでも帰って来なさいと言うけれど、帰ったらお見合いでもすすめられるに違いない。

新山薫にとって、その選択肢は無いに等しかった。



「おねーさん、本気?」


「ほんきほんき。めいどさんやとうのゆめだったからー」


「メイドさん雇うの夢だったんだ。現実になって嬉しいね?」


「うん、すごくしあわせー…」



そこで彼女の意識はぷっつりと途切れた。


新山薫は彼女を起こさないようにジャケットを脱がせ、シャツのボタンを外し———








「この先の話も聞きますか?」


「いや、もういいです。本当にごめんなさい」


「ここからが結構いいところなんですけどね」


新山薫がふふっと笑って、真っ赤なトマトを口に含んだ。

朝食を食べながら聞いた昨夜の失態に、トーストが喉を通らない。

それをもはや味のしなくなったコーヒーで無理やり流し込んだ。



「あの、三万円お支払いしますので、昨日の話は忘れてもらえませんか?」


「それは困りますね。報酬は十万円のお約束です」



さらりと言ってのける新山薫に、夢現な酔っ払いの発言を真に受ける方がどうかしていると言ってやりたかった。

私が言い返す前に、新山薫が先に口を開いた。



「でも、そうですよね。おねーさんも困りますよね。私も本気で十万円貰おうなんて思ってません」


「え、あぁ、うん」


「でも、私いま本当に困ってるんです。お金は1円も要らないので、次の仕事が見つかるまでの間だけ、ここに置いてもらえませんか?仕事が見つかったらすぐに出ていきますし、お礼もちゃんとしますから」



そう早口で捲し立てる新山薫の鬼気迫る様子に気圧されて、私は気がついたら首を縦に振っていた。




こうして私とメイドの奇妙で刺激的な同居生活が幕を開けたのだった。



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ヒモじゃなくてメイドです! あやめいけ @ayameikekimimaro

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