ヒモじゃなくてメイドです!

あやめいけ

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ダイニングテーブルには焼きたてのトースト、トマトサラダ、ベーコンと目玉焼き。

それに湯気の立つ淹れたばかりのブラックコーヒーが、見慣れたマグカップに注がれていた。


「…なにこれ」


ぽろりと溢れるように口から出た声は、自分でも驚くほど寝起きそのものだった。


三園真奈美みそのまなみ 32歳。

昨夜は仕事の付き合いで飲み会に参加した。お酒に強い方ではないけれど、全く飲めないわけでもない。

仲の良い同僚数人と二次会を経て、三件目に向かったところまでは覚えている。

それからの記憶は曖昧で、どうやって自宅に帰ったのかは思い出せない。


楽しくなるとついつい飲みすぎてしまう悪い癖。

介抱してくれたであろう同僚に、またお詫びしなければ。


ということは、テーブルに並んだ美味しそうな朝食は昨日一緒に飲んだ誰かが作ってくれたのだろうか。




「おはようございます。丁度よかった。今起こそうと思ってたんですよ」



突然カウンターキッチンの向こうから知らない女の子が出てきて、私は「うわぁっ」と情けない声をあげた。

その子は困ったように眉を下げたかと思うと、すぐにニッコリと微笑んだ。


「食べる前に、顔洗ってきます?」


見ず知らずの女の子に洗面所の方を指差され、自分の家なのになんだか不思議な気分だ。

でも今はこの奇妙な状況から逃れられるならなんでもいい。


私はそそくさとキッチンを抜けて洗面所に入ると、そーっと扉を閉めた。






鏡の中の私は酷かった。


二日酔いで血色の悪い顔は、昨夜帰宅してそのまま寝たせいでマスカラが下瞼にこびりついている。

ファンデーションが剥がれ、乾燥で肌はカサカサ。

寝癖のついた髪は毛先が絡まっている。


そんな状態なのに、服だけはちゃんとパジャマに着替えていた。

以前同じように酔っ払って寝てしまったときは、起きたらスカートが皺だらけだったのに。



メイク落とし不要の洗顔料で顔を洗い、髪を適当にクリップで留めて、ようやく大きく息を吐くことができた。


リビングの方からは何の音も聞こえない。


さっきのあれは夢だった?寝ぼけてたんだろうか。いや、そうであってほしい。



私は先程と同様、そーっと洗面所の扉を開けた。



短い廊下の向こう。

明かりの漏れるリビング。


「おねーさん。コーヒー冷めちゃいますよ」


聞こえる声。

夢じゃなかった。






ダイニングテーブルを挟み向かい合って座ると、目の前の女の子から「どうぞ」と促されるままにフォークを掴む。


朝食のプレートは全く同じものがもう一つ用意されていて、色違いのマグカップに注がれたコーヒーに彼女が先に口をつけた。


「えっと、ごめんなさい。昨日のこと何も覚えてなくて」


一度持ったフォークをお皿に置いて両手を膝に置き、私は頭を下げた。


「だから、その…。あなたが誰なのか、全然分からないの」


そう言って顔を上げると、彼女はわざとらしく唇を尖らせた。


「そうだろうと思いました。おねーさん、すっごく酔ってたし」


「そう、そうなの。すごく酔ってたみたい。だから———」


「でも、責任はとってもらいます。“あんな事”までしたんですから」



あんな事?

私が酔った勢いで年下のしかも同性に襲いかかりでもしたのか。

いやまさか。

流石にない。

ここ最近ご無沙汰だったとは言え、私は男性としか恋愛したことないんだし。

ないない。それだけは絶対にない。



「あんな事って、私何かした?気に障ったなら謝るから」


頭を抱えつつ彼女に視線を向けると、彼女は恥ずかしそうに視線を晒した。


「そんなこと…言わせないでください。それに、謝ってほしいわけじゃないんです。約束さえ守ってもらえれば」



いよいよ痴情のもつれのような会話になってきたところで、二日酔いのせいだけではない頭痛が私を苦しめはじめた。



「おねーさん、昨日言いましたよね。私のことメイドとして雇ってくれるって」



「…………はぁ?」



「住み込みのメイドとして私のこと雇ってくれるって、確かに約束しました」





今までにも、酔ってネット通販で要らないものを買ってしまうことがあった。

二、三日後に覚えのないダンボールが宅配便で届けられるたびに、もうお酒なんて飲まないと何度誓ったことか。


三園真奈美 32歳。


昨夜は酔った勢いでメイドを雇ったらしいです。






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