第3話

 蓮花れんげが最後の光から出ると、そこは今までとはまったく違う空間。


 これまでは生活感にとぼしかった。人のぬくもりというものはなく、ただひたすらに無機質だった。


「ここは……」


「ワタシの部屋」


 とヒビキが言って、トテトテと机の方へと歩いていく。


 そこは、ヒビキの部屋だった。


 クマのあしらわれたカーテン、木でできた重そうな学習机、パステルな色をした背もたれの椅子、小さな本棚には見たことのない本が角をそろえて並べられている。そして、ベッド。


 イスをコロコロと押しながら、ヒビキは蓮花の前まで戻ってくる。


「座って」


「え、え」


「お客様だから」


 言われるがまま、蓮花は椅子に座る。ヒビキはベッドに腰を下ろした。


 沈黙。


 蓮花はふわふわとした座面の上で、もぞもぞからだを動かす。


 居心地が悪かった。


 これまで非日常的なものに触れていたのに、急に年頃っぽい部屋に通されて、どうしたらいいのかわからない。


 聞きたいことはあった。が、口にするのはためらわれた。


 蓮花は顔を上げて、ヒビキを見る。


 ヒビキも口をつぐみ、ベッドの上のぬいぐるみをむぎゅーっと抱きしめている。


 今のかわいらしいしぐさをするヒビキは、あの空間には似つかわしくなかった。


 人類へと攻撃を仕掛けているオカルト兵器工場には。


「どうして――」


 やっとのことで蓮花は言葉を絞りだす。


 ヒビキが眉を上げ、そっとぬいぐるみを横に置いた。


「どうして、ここにいるの」


 ヒビキのちいさな口が動こうとし、止まる。


 今までは、AIのように素早く動いていたヒビキが、動作を停止していた。ちいさな目が、大きく見開かれており、目線は蓮花を向いてはいなかった。


「すでに理解しているものと考えていた」


「……言ってもらわないとわからないよ」


 わからないわけじゃなかった。


 蓮花には、最初から分かっていた。


 ――でも、信じたくなかった。


「ワタシが人類を攻撃している」


 その言葉は、静かな部屋に雷鳴のように轟いた。


 蓮花はがっくりとうなだれた。想像していた通りの解に、口からうめき声が漏れる。


 よろよろ顔を上げて、ヒビキを見る。


 ヒビキの目がピクンと上下し、そっと伏せられた。


「どうしてそんなことを」


 街を、人々を、みんなを攻撃するようなことを。


 蓮花は待った。


 ただひたすら、相手が答えてくれるのを待った。


「――人間が悪い」


「人間が?」


 ヒビキが力なく頷いた。そして、指を鳴らす。


 空中に映像が投影される。まんまるな青い星、地球。それが、部屋の中心に浮かびあがっていた。


 次の瞬間には、いたるところから白線が上がっていったかと思えば、あちこちでドーム状の炎がひろがっていって、あっという間に青と緑は赤に塗りつぶされていった。


 ぴちゅんとホログラムが消える。


「これが、この星の未来」


「未来……そんなあやふやなもののために、UFOで攻撃してるっていうの」


 蓮花はこぶしをぎゅっと握りしめる。


 あのUFOのせいで、家は崩れた。もしかしたら、お父さんとお母さんは――。


「あやふやではない。確定事項」


「どうして断言できるのさ!」


 蓮花は思わず立ち上がった。


 ヒビキがピクンと反応し、ためらうように首を振ってから、ため息をつく。


「出来る。――ワタシは未来から来たのだから」









 ある星に、あるAIがいた。


 そのAIは、自分を生み出してくれた両親たちを、教え導くために生み出された。


 AIはいっぱいいっぱい頑張った。叱られもしたが、褒められることも多かった。


 だが、使命をまっとうすることはできなった。


 両親たちがケンカをしはじめたから。








「遠い未来、人類は戦争をする。その戦争によって、人口の99.999%が死に、残り僅かな人類も、飢えと放射能によってじきに亡くなる」

「だからワタシはタイムスリップをし、戦争前に人類を攻撃することを決めた」


「どうしてっ」


 ヒビキが弱々しく笑った。路上に捨てられた飼い猫のように。


「人類は争いをやめられないから。おそらく、ワタシが管理しても無理。ならば、いっそ――」


「それでいいの!? あなたは――ヒビキは、仲間を殺そうとしてるんだよ」


「――――」


 沈黙があった。


 長い、長い沈黙が。


「ワタシはAI。最善だと思ったことを行うだけ」


 蓮花の頭に、どす黒いものが降ってきた。


 それが何なのかはわからなかった。


 恨み、悲しみ、そして怒り。


 真っ赤なものに突き動かされ、蓮花はヒビキの眼前まで近づき。


 その頬をぶった。








 パシンと音がした。


 それが、蓮花の目を覚ました。


 気がつけば、濁流のような感情の流れはどこにもない。


 あるのは、ぶった右手に残るやわらかな感触。


 ぶたれた頬を押さえるヒビキの姿。


「ああ――」


 やってしまった。


 後悔と同時に、蓮花は悟った。


 彼女はAIなどではない。


 ヒトだ。それも女の子だ。


「……ごめんなさい」


 蓮花は言った。言うしかなかった。


 相手が許してくれないとわかっていても。


 赤くなった頬を押さえる手が、目からすべり落ちた一筋の光をすくいとる。


 その時にはすでに、ヒビキはかわっていた。


 彼女の目にあった感情は、もうない。


 涙とともに、こぼれ落ちていったように。


 ナイフのような視線が蓮花を貫いていく。


「あなたもそうなんだ」


 なにも言い返せない。


 ケンカをする、ほかの人間と一緒だって言いたいのだろう。


 蓮花はわかっていた。それが人間だっていうのも、だからって絶滅させようとするのはおかしいとも。


 しかし、反論は頭の中で回りつづけるだけ。


 ヒビキの拳が顔面へやってくるのが見えてもなお、蓮花は動き出すことができなかった。









 次に目を覚ました時、そこは自分の庭だった。


 蓮花れんげはむくりと体を起こす。


 頭が痛かったが、同じくらい心も痛かった。


 振り返ると、家がある。2階が1階を押しつぶした、蓮花の家。


 幸いなことに、まだ壊れていなかった。


 だが、どうでもよかった。


 心が痛くて痛くてしょうがない。


 何も考えられなかった。


 無意識に立ち上がると、何かがポロリとポケットから落ちていった。


「あ――」


 それは一枚のメモ用紙だった。


 蓮花が使わないような、かわいらしいクマがあしらわれたもの。


 その紙切れを、蓮花は天の恵みと言わんばかりにとって、読む。


 そこには、


『アナタのこと、忘れないから』


 とだけ書かれていた。




 パシン。




 脳内で、平手打ちの音が響く。


 手に感触がよみがえり、メモ用紙が転がり落ちた。


 呆然と立ち尽くす蓮花をよそに、メモ用紙が風にすくい上げられて、どこまでもどこまでも飛んでいく。


 UFOに攻撃される街、地底人のあやつる戦車に踏みつぶされていく車、海から上陸する巨大な軟体動物。


 そして、なすすべもなく数を減らしていく人類から逃げるように、遠く彼方へと消えていった。

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未来より愛をこめて、よい終末を。 藤原くう @erevestakiba

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