第24話 酒宴翌朝の儀式

 翌朝、優里は夜警の当番を終えるなりそのまま広い中庭に向かった。

 これからお愉しみ第二弾、といったところだ。ここは本当に娯楽が少ないのだ。

 冷える朝に土が湿っている。そこに昨日酒宴に参加した者が二名、背中を泥まみれにして座り込んでいた。

 集まっているのは嬉々とした表情の昨夜の酒宴に参加した面々だ。対して清牙が拳を作り、心持ち重心を下げて構えている。

 その外にをもう一重、彼らを囲むように不参加組がにやにやと笑いながら人垣を作っていた。

 一見、清牙に対する集団暴行だ。

「早いな、もう始まってるのか」

 優里は呆れて外側の人垣に加わった。

 酒宴の翌日は新しい首領との手合わせだ。

「夕! こいつらは正気か!?」

 軌林の叫びにどっと周囲が沸く。軌林も本気で言っているのではない。その証拠に目には楽し気な、揶揄うような色がある。岳家の人間はそんなものだ。

「もちろんです! 飲んでもやれるって所を新しい城主様に証明させていただきますよ!」

 答えたのは優里の隣にいた三十がらみの男だ。

錬鵬レンホウ小父さんが始めたそうだぞ」

 優里の言葉に軌林は納得するしかなかった。岳 錬鵬は親族だ。そうだ、何代か前の城主を務めたと資料にあった。

 深酒しようとも任務にあたれる。それを証明するという名目だが、ただのおふざけだ。同時に彼らが新しい城主の実力と度量を測る側面も持つ。これは確かに岳家のやり方だと得心が行く。

 頭脳を武器にする人間や、名前だけで実力を伴わない人間が城主となった場合は当然この手合わせを拒否する事も可能だ。城主の属性に合わせて彼らの対応が変わるだけだ。


「腹を殴らなければ、何をしてもいいんだな?」

 清牙の再確認に皆が口笛を鳴らした。

 それが唯一の決まり事ルールだ。

 腹を殴らない、とは他ではあまり聞かない決まり事だが単にせっかくの昨夜の酒とご馳走が勿体ないからだ。結局吐くときは吐くのだが。

「では、こちらも飲み明かそうとも支障がないことを証明させてもらおう」

 たとえ多勢に無勢だろうとも。

 清牙の落ち着いていながら、妙にはっきりと通る強い声に一瞬、皆の囃し立てる声が止まる。

 意表を突かれた優里は瞠目して清牙を見た。

 こんな風に自分を主張したり、人を煽るような事を言う人間ではなかったように思う。

 清牙の表情には怒りも嫌悪もない。静かで真剣な表情だ。真摯な態度で対応しようという空気があった。

 ああ、これは掴んだな。優里はそう思った。これで清牙が言葉通りの結果を出せればその立場が確実なものとなる。

 場が瞬時に騒がしくなるが、そこに満ちるのは意外なほど明るく健全な空気だ。皆がどれほどの技量を見せてくれるものかと期待している。

「よっ! さすが清牙様!」

 そんな声まで飛んだ。どちらの味方なのかと思う所だが、もはやそういう次元にないのだろう。

 馬鹿だなぁ、と言わんばかりの顔で軌林も傍観を決め込んだ態で集団の壁の中に属している。軌林は清牙の護衛も兼ねているはずだが止める気はないらしい。

「あと三人です!」

 無限に仕合せるのは単なる暴力になりかねない。よって最大五人と決まっている。散々飲んでいるのだ。五人が妥当なところだろう。朝は冷える。清牙が羽織を脱ぎ、軌林がすかさず受け取る。清牙は体が温まったらしい。軌林も見せ方がうまい。


 清牙は相手の攻撃をかわし、その勢いを利用する方法で残る三人全員を簡単に地に着けた。

 背負い投げるにしても速度は抑え、なるべく地面に背が着かずに済むよう掴んだ相手の懐を引き止める。

 あれなら衝撃も和らぐ。あんな優しい投げ技初めて見た。優里は少し驚いた。

「すげぇよ清牙様!」

 王弟 清牙は宰相によって北方に隔離されている間、心身を鍛えあの日に備えていた━━とされている。

 宰相の糾弾、国主暗殺による反乱勢力の始動、国主の寵姫の暗殺計画。この三つの問題を一度に片付けようとした国主は賢王という風潮が成りつつある。未然に防げなかった襲撃を利用し尽くすのだから賢いことには変わりない。

 明花暗殺にいたっては『屈強ではない女』が選ばれたことによる恨みなのか、権力を欲した貴族によるものなのかという話だったはずなのに、「実は国主を狙ったものであり、それを寵姫が身を挺して庇おうとした」という話に転じている。

 陰謀と策略の気配しかしない。絶対に関わりたくないと優里は強く思う。

 宰相は早々に自害した。

 王族の言葉を利用し、国の民を欺いたとはいえはじめは国防のためだったはずだ。味を占めたのか不正取引や献金といった悪事に手広く関与していたことが発覚したというが、真相はどれほどのものか優里には分からない。

 これから追及というまさにその直前、幽閉された居室で服毒により死亡しているのが発見されたという。身体検査は絶対のはずで毒など所持する余地はない。

 どうやって入手したのか、本当に自ら毒を口にしたのか━━

 その辺りはもう優里の関与するところではない。国主の右腕とも言われるようになった長兄あたりの管轄だ。


 清牙がこの地で迫害される可能性を案じていたが、予想に反して想定以上に受け入れられそうだ。優里は安堵した。

「夕」

 清牙が呼ぶ。手のひらを上に向けた手招きは次の手合わせの相手にするものだ。周囲は大きくどよめき、軌林も片方の眉をひょいと上げた。

「私はほとんど飲んでないのですがいいですか? 私の出番も次ですし」

 優里は条件が公平ではないと言うが、その言い方からして応じる気満々だ。ただし軌林はその言葉に引っかかるものを覚えた。

「え、次? 次ってなんだ?」

「昨夜飲んだのはここにいる人間の半数です。昨夜飲めなかった者を集めた歓迎の宴が近いうちに開催されますので、私はその時に」

 軌林の問いかけに悪びれることなく優里は答えた。

「またやるのか? こんな事を?」

 二人の会話を聞き目を瞠って尋ねる清牙に、周囲の者が皆がにやにやと笑う。驚かせようという目論見が成功したと言わんばかりの表情だ。

「はい。娯楽が少ないもので」

 娯楽がないのだ、だからいいだろうと堂々と笑顔で主張する優里だが、ふと顔を曇らせた。

「……二回はダメですか?」

 そんなに宴会をするなと怒られるかと、そこにいた全員が不安そうな顔をしている。皆の注目を集め、清牙は居心地が悪かった。屈強な強面ばかりのはずなのに、どうしてそんなにしょぼくれた顔をするのだ。なにより惚れた女のそんな顔は卑怯だ。

「いや、構わん」

 そう言わざるを得ない。清牙の言葉にわっと皆が沸いた。

 

「今日はどうしますか? 花は持たせませんよ」

「当然だ」

 次回にするかと尋ねてはいるが、これまた延期という選択のない優里の尋ね方に清牙もまた即座に頷く。

「卑怯な手を使っても?」

「構わん」

「では」

 卑怯な手を使う気満々かよと揶揄いの野次が飛ぶなか、二人は互いに一礼して自然体で構える。これまでの五人とは違い、実に上品な「手合わせ」の始め方だ。

 優里は夜警明け動きやすい制服だが、清牙は昨夜の略装のままだ。略装は袖、身幅、裾が広い作りで今の時分生地も厚い。清牙が動くたびに衣が空気を切る音がする。

 先ほどまで相手の出方を待つ形式スタイルだった清牙が、自分から積極的に手を出す様子に周囲から驚いたようなどよめきが起きた。

「本当にちゃんと飲みましたっ?」

「散々飲まされた!」

 深酒をほぼ感じさせない動きに優里は手を止めないまま尋ねる。思えば清牙と酒を飲むという機会はなかった。

 お互い手の内は分かっている。何をしても止められる。想定内だ。よってこういった場では邪魔でしかないだろう清牙の袖を掴む。清牙が咄嗟に引くことも予測済みだ。抵抗せず踏み込み、清牙が腰を落とした瞬間地面についた裾を優里は右足で踏みつける。

 ああ、あれはたしかに卑怯だ。

 声援を送っていた団員が皆引いた表情で眉を寄せたほどだ。

 足を引けず体勢を崩した清牙に優里は左肩から突進する。このまま地に倒せたら優里の勝ちだ。

 しかし清牙もやすやすと負けを受け入れるつもりはなかった。優里の奥襟を取り、体を捻ると力の限り地面へと引く。

 横に思い切り引かれた優里は体側を、清牙は背中を泥まみれにしたことで勝負は引き分けとなった。

 まぁ、この状況の中ではいい終わり方だ。そう二人を心中で褒めながら軌林は清牙に声をかける。

「大丈夫ですか」

 軌林はここでは出しゃばらず、清牙の補佐と身の回りの世話をする従官に徹することにする。真面目に従官として仕事をする姿を周知するため、清牙を慮るそぶりを見せた。

「大丈夫なわけがないだろう。気分が悪い」

「吐きますか?」

「大丈夫だ。どうしてみんなしてこうも平然としてるんだ」

 清牙が疲れた顔で一同を見渡せば、そこにいた者たちは目を泳がせる。何を隠していると清牙は相手となった面々に強い眼差しを向けた。

「いやー、いくらなんでも泥酔するわけにはいかないじゃないですか。有事に備えてみんな控えめにしか飲んでないんですよ」

「あれで控えめだと!? どれだけ飲むんだお前たち!」

 皆を代表したと思われる上官クラスの男の言葉に清牙は叫び、その様子にまた周囲がどっと笑う。つられて清牙も呆れ、疲れたように笑った。

 その表情に優里はおやと思う。こんなに親しみやすい空気を持つ人間だっただろうか。

「いやー、本当に申し訳ありません」

 清牙の柔らかな様子に、男たちはあまり悪いと思っている風もなく気安く声をかける。

「まあいい。俺もせっかくの歓待の宴なのに悪いと思いながら量は加減した。いかなる時も有事に備えることは必要だ」

 清牙の言葉に一瞬で場の空気がピンと張りつめた。誰ともなく武人の礼を取り、皆が清牙に頭を垂れる。

 案外こういう連中とも合うのだなと、皆に倣い頭を下げながら優里はそんな事を思った。人心掌握は軌林の得意とするところだが、清牙もなかなかどうして。大したものだ。

「とりあえず皆さん着替えですかね」

 軌林は絶妙のタイミングでそう終了を呼びかける。

 泥に塗れた七人。そして集団の半数は酒臭い。実は周辺の空気全体に酒気が漂っている有様だ。


「軌林とうまくやってるようですね」

 清牙にだけ聞こえるように優里は言った。軌林が聞けば複雑だろうなと清牙は思う。軌林の微妙な立場を清牙も理解していた。

 そして優里の立場も。卑怯な手を使って清牙を立てる気もあったのだろう。なんとか卑怯者だけでは終わらせず、泥を被せずに済んだことに清牙は安堵する。泥まみれにはしたが。

 何より、あのまま優里に腹の上に乗られたらおそらく嘔吐していた。さすがにそんな無様な姿は見せられない。

「次回は同じ条件だな」

「そうですね。楽しみです」

 酒気の漂う空気のなか、肌までみた水気に冷えを感じながら二人は朝に相応しく爽やかに笑んだ。

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