第25話 第二回 歓迎の宴

 後半となる二回目の歓迎の宴はそれから三日後に開催された。

 たった三日後だ。

 もう少し間が開くものと思っていた清牙はさすがに辟易とした。

 慣れぬ新しい地、新しい職場で心身ともに疲れ気味だ。そんな環境で前回の酒宴の疲労も完全には回復していない。新しい城主に対する嫌がらせかと思いたいほどだが皆、子供のように無垢な輝くような目で酒宴開催を伝えて来るのだから断りづらい。それなりにむさくるしい面構えの者が多いのに。

 なんなんだ、ここの連中は。清牙は流石に戸惑いを覚えずにはいられなかった。

 そして飲む気満々、殴り合う気満々といった気概を見せていた優里が、なぜか酒宴開始早々に寝落ちた。

 食堂の端で床に倒れている者がいるなと心配すれば優里だ。土足で使用する板床の上で体を丸くして熟睡している。清牙は愕然とした。飲んだ男達の中で無防備に熟睡するなど警戒心が足りないにも程がある。

「あそこで転がってる奴は酒に弱いのか?」

「昼前からずっと牝牛と遊んでました」

 あいつはどうしたんだという態で尋ねれば周囲からそんな風に説明される。

 優里は岳家の人間であることを隠している。それを踏まえて清牙は既知の仲であることを悟られぬよう、特別扱いしないよう気を付けているつもりであったが、この砦の人間にはもはやその辺りは暗黙の了解となっている。


 優里は脱柵常習の牝牛の保護および送還にあたっていたという。

 妙に優里に懐いている牝牛なので危険はないが、帰らないと駄々をこね兵達を振り回すのだと。優里が牛小屋で呼んでも逆方向に走り出そうとするし、力づくで帰そうとすると牝牛は嬉し気に優里に頭を擦りつけどこかに連れて行こうとするのだという。

「本当は夜警明けで夕は休みだったんですけど自分がやった方が早いと言って対応してくれたんです。ただ今日はいつも以上に本当にしつこくて」

「夜が楽しみ過ぎて牛にも興奮がうつったんだよ、あれは」

 夜の酒宴と翌日の手合わせに優里は興奮を抑えきれず、牝牛も機嫌のいい優里に遊んでもらおうと延々絡んできたのだ。

 鞭で叩けばいいだろうが、生き物好きの優里がさせないか。黙って聞いていた軌林は呆れたように嘆息した。

「そのあと村の子供にせがまれて遊んでました」

「ずっと遊んでるじゃないか」

 清牙は思わず声を上げ、周囲がゲラゲラと笑う。

「夕は体術指導だと言ってますがね。延々子供を転がし倒してましたよ」

 森県でもそうだった。その光景が清牙の脳裏に浮かぶ。

 では仕方ないか。

「軌林、どうにかしろ。ここに寝かせておくな」

「嫌ですよ。あいつ絶対重いでしょ。清牙様が運んでくださいよ」

 命じたつもりだったがにべもなく拒否された。

 清牙自ら「無礼講」を宣言するようにして始めた酒宴だ。仕方ないのか? いやでも流石にこっちは主だぞ? 疑問に思いながらも軌林よりも体格のいい自分が運ぶ方が合理的かという結論を出す。酒の入った頭が下す、不可解な判断ということにした。

 優里の側に片膝をつき、すくい上げるように横抱きにしようとしてやめる。肩を支えてまず座らせると軌林に手伝わせて背負った。

 横抱きは体を折るため嘔吐する可能性があるし、自分も飲んでいる。体勢を崩そうものなら立て直せず、それは無様な事になるだろう。背負ってしまうのが一番だ。

 息を詰めて彼らの様子をひっそり窺っていた周囲は清牙の判断に安堵の息を漏らした。

 優里は体格がよく筋肉質だ。ただでさえ重量があるうえ、完全に脱力している人間は本当に重いのだ。

 自分だったら二人がかりで脇と足を分担して抱えるだろう。よくもあんな重い女を一人で抱えて行こうなんて思うものだ━━誰もがそう思い、称賛にも近いまなざしを送る。

「軌林、手伝え」

 清牙は軌林を従えて食堂を出た。

 その数秒後、それまで絶えまなく続いていた雑然とした会話や談笑がぱたりと途絶える。そして全員が頭を寄せ合って声を潜めて話し始めた。

「清牙さま、絶対夕に気があるよな」

「え、軌林様って夕の旦那じゃねぇの?」

 夕を岳 優里と知る者は同一家名だからと優里と軌林が夫婦だと思っていたらしい。いまもなお岳家は三兄弟とされ、軌林はあくまでも親族扱いだ。軌林が優里の弟だと知る者はここでは清牙しかいない。

「旦那なら軌林様が抱えていくだろ」

「軌林様は細いから清牙様が無難なのかと」

「岳家の人だぞ。余裕じゃないか?」

「なぁ……戻ってくると思うか?」

 日頃からここには娯楽が少ないと豪語する者たちは、その声にニヤニヤと相好を崩した。

「え、賭けるか?」

「両方戻ってくるか、どちらか一人が戻って来るか?」

 清牙が戻るまでひとしきりその話題で盛り上がった。そして満を持して清牙が戻った瞬間、全員がぽかんと口を開く。

 前傾姿勢の清牙の両肩から長い腕が力なくだらりとぶら下がっている。清牙はまだ優里を背負っていた。

 なにしに行ったんだ。置いて来るのを忘れるほど酔っぱらっているのか、そう皆は囃し立てようとしたが。

「なんであんな鍵しかないんだ!」

 戻るなり清牙は吠えた。

 優里の部屋には武人が軽く蹴れば吹っ飛ぶような簡素な鍵しかなかった。軌林は構わないから部屋に転がしておけばいいと言ったがそんなわけにはいかない。

 あんなところに一人で寝かせておくよりは目の届くところに転がしておいた方が安心だ。

 清牙は優里を一度壁に凭れるように座らせ、片手で支えながら器用に自分の羽織を土足で上がる床に敷いた。そこに寝かせ、軌林に持って来させた厚い布団をかける。

「鍵増やすって言ったけど本人がいいって言ったんだよな?」

「個室で鍵があるだけまだマシだと……」

 背後から困惑しきった男達の囁きが聞こえ、清牙は後ろから臓器を刺されたような気分になった。

 これまでこんな劣悪な環境に当然のように女性兵が置かれてきたのか。それでは女性を標的とした犯罪も起きよう。清牙は過去の己の発言が引き起こした罪とその影響を改めてつきつけられ、言葉を失った。

 元の席に着き、思いつめた表情で口に杯を当てると振り払うように一気に煽る。

 酒に逃げる気はないが、つい加減を忘れた。今夜も騒がしい喧噪のような酒宴であるものの楽しいと思える時間で、それまで美味いと感じていた酒だったのに。煽った液体は喉を焼き、ひどく苦く感じられた。

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