第22話 西の城門に集まるは自然の流れ
「はぁー!?」
清牙の隣で素っ頓狂な声を上げたのは軌林だ。
「俺が清牙様になんて説明したか分かってる!?」
「何の話だよ。あ、もしかして新しい責任者が配属されるっていうのは清牙様ですか? ご案内します」
もう一人の門番に頷いて合図し、中を案内しようという優里は前髪が立ち上がるほどの短髪だ。地味な色の簡素な揃いの制服で遠目に見れば男にしか見えない。実際、少し前から視界に入っていた優里を清牙も軌林も男と認識していたのだ。
刀傷に途切れた眉と、こめかみには熊に襲われたかのような傷。中央にいた頃は訓練や捕物といった荒事を成す以外は前髪で隠していた。無駄に周囲に畏怖を与えることもなかろうという配慮であり、周囲の女達からのたっての願いだった。ここに来てその必要が亡くなったのだろう。
まして中央から離れているこの地域は治安が悪い。だからこそ清牙はこの地の配属を願い出たのだ。禊には相応しいと国主も岳将軍も頷いて保証したほどだ。
「お久しぶりですね、お変わりありませんか?」
門をくぐり、城主の居室のある建物へ案内しながら優里は平然とそんな事を言う。それこそ何のしがらみもない態だ。一年行方知れずだった彼女を探していた人間に向かって言うことではない。
その態度に「いつからここにいるのか、その頭はどうした」などという質問が場にそぐわない気がして清牙は口に出せなかった。ただし軌林は平然とそれを聞く。
「えらく髪切ったもんだね、と思ったけどそういえば帰国したとき坊主頭だったんだっけ」
「よく知ってるな。黙って反乱軍を抜けたし、彩にいるとバレるわけにはいかなかったからな。祝賀の宴の直前に派手に顔を切ったから、ちょうどいいかと思って」
傷の残る眉を指して優里は軌林に笑って見せる。
何があったか聞かれなくてよかったと優里は思った。西の帝国を制覇した直後、祝いの席に出るため優里の眉を整えるという女達に、手が足りないのだから自分でやると手近にあった刃物を使って失敗したとは言いたくない。
女王に向けた『巣に帰ります』の置手紙を残し真新しい顔面の傷と坊主頭という、銀背とは思えないような人相で帝国を離れた。
「あ、色々ありましてここでは
「ゆッ、う」
優里と呼び掛けて清牙はぎこちなく名を区切った。
「あとで話がしたい」
何も考えず、清牙は咄嗟にそれを願った。聞きたいことが山ほどあった。農夫の最期やその後の葬儀。優里がすべて対応したと聞いている。清牙はそれを知るべきだと考えているが対する優里は眉間を曇らせた。
気がすすまないか……
申し訳なく思いはするものの、聞かないわけにはいかない。清牙は何と言葉を重ねるべきかと思案したのだが。
「すみません。今夜は夜警の当番でこれから仮眠をとるんです」
にべもなく、情け容赦なく断られたのだと清牙は思ったのだが━━
「それに今夜は城主様の歓待の宴が行われます。皆もう準備に取り掛かりました」
優里はそんな事を言い始める。
「この辺りの宴は盛大です。夜通しになりますので今夜は難しいかと思います。あ、人員の半数だけの参加ですので警備は怠りません。むしろこの辺りの人間は酒が入った方が戦力が上がる傾向があります。夜警は私がしっかり務めさせていただきますので、清牙様は安心して皆と飲み交わしてください」
優里は張り切って飲み明かせと言わんばかりのいい笑顔を見せた。
「粗暴ですが気のいい連中です。着任早々酔い潰されることのないよう、今はしっかり休まれた方がよろしいかと思います」
加えてそう言われてしまえば二人は二日間の強行軍に披露した体を休めるしか選択がなかった。
安心しろと言われたものの、この辺りの人間の酒量に不安を覚えずにはいられなかった。
その夜始まった酒豪たちが織り成す酒宴は、はじめから出来上がっているようだった。
まだそれほど時間が経っていないというのに盛り上がりが異常だ。それを好都合とばかりに軌林は普段は食堂として使われている酒宴会場をそっと抜け出した。
外の冷たい風が飲んだ頬に心地よかった。小さな城の他、厩や倉庫、宿舎などが石造りの壁に囲まれている。軌林は顔を上げ辺りを見回して自分ならどこを狙うか考えた。そしてそれをどこで見張るか。
あそこだな。目星をつけ石作りの物見櫓に登ると胸壁の矢狭間に腰かけた優里と目が合った。
酒宴会場となった食堂からどっとひときわ大きな笑い声が響く。そちらへチラリと目をやり穏やかに口元を緩める優里に軌林は尋ねた。
「宴には出られず?」
「今日は夜警番だからな。分け前はちゃんとあるぞ」
優里は紐つきの酒瓶を振って見せる。見張りの途中で飲むなよ。まして見張りの途中で飲むにしてはその瓶は大きすぎないか。軌林は呆れて笑った。
「飲むか?」
「休憩に来たんだよ」
酒瓶を向けて来る優里に軌林は嘆息した。宴でも随分と飲まされた。西の帝国の人間も酒量は多い。あの頃鍛えられた甲斐があったと軌林は初めて感じた。
軌林は凸になった部分に身軽に腰かけ、向こう側に足を投げ出す。
「昨日今日決まった事じゃないんだろ?」
酒瓶を傾けながら優里はちろりと目だけを麒麟に向けた。
「まぁね」
「失敗は出来ない?」
「そういうこと」
双子の姉弟の会話は簡潔だった。
新しい担当者が王弟だというのに先触れがなかった。着任して「合いませんでした。やめます」などという事になれば王族の権威は今度こそ地に落ちる。よってある程度期間を置き、実績を作ってから国内に発表する手筈となっている。
「なんでよりにもよって
「ここが一番人手が必要だろう?」
北は上羅が、東は岳家が管理している。南は長く平和だ。そう言われればそうだが。
「教えてくれても良くないか? 親父も上羅殿も知ってただろ」
軌林の不満そうな態度を優里は鼻で笑った。
「口止めしていたからな。意趣返しだ。たった一年だ、文句は言うなよ」
自分は六年も行方知れずの弟の帰りを待ったのだからと言わんばかりだった。
軌林は初めに帝国側に潜り込んだ。しかし早々にこれはダメだ、さすがに性に合わないと反乱軍に情報を流す密偵に成り代わった。
単に帝国軍に潜入するだけなら優里もそれほど心配はしなかった。それが間者ともなればその危険性は一気に高まる。反乱軍に戻る自分を優里が毎回今生の別れになるのではという不安を押し隠して見送ってきたことを軌林は知っていた。
戦が終わったというのに戻らない軌林の帰りを待つ日々は、半身を切り刻まれるようだっただろう。逆の立場ならそうだ。
腕を信頼してはいるがそういう問題ではないのだ。
帝国軍での軌林は実力を隠し、可もなく不可もないごく平凡な一般兵として振る舞っていた。対して優里は目立つ格好で派手にやっていた。まるで自分に注目が集まるかのように。
優里は強い。それでも当時はまだ若造で、実践の経験は足りない。
自分の実力を驕り、過信していた。それを軌林は戦場で自分が身を以て思い知らされたのだ。それは優里も同じはずで軌林も気が気ではなかった。
そんな思いを六年もしたのか。したんだろうなぁ。させてしまった。
悪い気はしなかった。優里には悪いが。
「それに」
優里が続ける。
「私がここにいるなんて知れたら教え子たちが押し寄せそうでな」
優里は心底困ったように嘆息した。
間違いなく彼女たちはここに殺到するだろう。ただでさえ中央は人手が必要なのに異動を願うことなく退職し、ここで一般兵として再就職を考えかねない。
「まぁ、そうなるだろうなぁ」
そうやって謀反や反乱が起きちゃったりするんだよなー。
あまりにも魅力的で親愛と尊敬に足る人物に人は魅せられるのだ。そして盲目的な信奉者となり、その人物が反乱を起こす気はなくても起きてしまう事もある。厄介なことに。
「ここにもユウを知ってるヤツいただろ?」
優里の教え子は非常に多い。大きな部署にはたいてい配属されている。
「笑顔で他言無用とお願いした。快く応じてくれたぞ。みんな気のいい奴だったろう?」
優里は裏表のない様子で楽しそうに笑った。
皆、優里という人物を知っているからこそ口をつぐんだのだろう。
実際、優里がここに来て「夕」と名乗った瞬間、彼女を知る全員が察した。これは触れてはいけないやつだ、と。何かの密命を受けているのだろう、邪魔をしようものならどんな目に遭わされるか━━そう誰もが口をつぐんだのだ。
「私がここにいるのがまずいならよそへ移るぞ? 清牙様ならここをうまく管理するだろう」
随分と彼を信頼したものだと軌林は意外に思う。優里は北の森県の治安の良さと護衛団の統率、住民との良好な関係を高く評価していた。
「いや……」
「ここは短期か? だったら残った方がいいか」
言葉を濁す軌林に優里は声を潜めて言った。すべてを見透かしたような優里に、軌林は肩をすくめることで答えた。
もともと軍部内の動きに対し勘のいい優里であるが、反乱軍に所属しての戦を経験したことにより一層研ぎ澄まされた。
式典にて三人の襲撃者に誰よりも早く気付いたのは優里だ。経験が違う。それは同じような経験をした軌林でさえ舌を巻くほどだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます