第21話 西の帝国の聖獣
清牙が優里の軍を辞したことを知ったのは、優里が軍籍を退いて半月も経った頃だった。
沙漠も把握していなかった。一教育武官の進退など王弟が知る所ではない。それでも優里も農夫も関係ないと捨て置くことは出来ない関係だと清牙は思っている。岳将軍や弟である軌林、直属の上司である上羅は把握していたはずだ。
彼らから知らされなかったことに清牙は少なからず戸惑った。
家族であれば知っているはずだと、軌林に尋ねれば。
「あー、そうらしいですね。自分も直接聞いたわけではないので」
などと困ったように白々しく薄く笑っただけだった。
「どうして言ってくれなかったんです……」
うらめし気に言う沙漠に軌林はきょとんとした表情をしてみせる。
「聞かれてませんし」
どうして言わないといけないのかと言わんばかりの態度で、憎たらしいほど飄々と、悪びれもせず言い放った。
「どこにいるか分かるか?」
清牙は優里と話がしたかった。農夫の話を聞いて、礼を述べるべきだと思った。
「俺も知らされてないんですよ。しばらく放浪するみたいな話は聞きましたが」
清牙の問いかけにも軌林はゆるく答える。
軌林は清牙が優里に執着していることを知っていた。優里が刺されたように見えた際の清牙の様子を見れば明らかだ。あの日、軌林は民衆に紛れての警備にあたっていた。軌林のみならずあの光景を目にした者は皆何かしらの気配を感じただろう。
あの時、優里が国主の側にいた次兄ではなく清牙を選んだことが軌林は少し気に入らなかった。岳家の四兄弟はともに過ごした時間こそは長くはないが、皆大変仲が良かった。年の離れた兄二人を双子は尊敬している。お互い信頼し、家族の結束は固い。それが山岳地帯の民族だ。
清牙の腕は大したものだ。判断も早く、的確だと軌林も認めないでもない。優里が信頼するのも分からぬでもないが、それでもなぜあの瞬間、優秀な武官である次兄ではなく清牙を選んだのか。
気にくわない部分があるし、納得しかねる部分もある。よって優里の決断を清牙には伝えなかった。
父である岳将軍に補佐官候補として清牙に着くよう任じられ従いはしたが、これまでの生き方や判断は愚鈍だとさえ感じている。
清牙を敬う気持ちも信頼もまだ軌林は抱けない。軌林の信を得られるかどうかは今後の清牙の実績次第だ。
そもそも優里の居場所を知らないのは本当だ。岳将軍や上羅は知っているようだが、箝口令に近いものが出されているらしい。それに気付いた軌林は追及をやめた。どうせあの片割れはどこででも生き延びられるのだ。
「もう十分後進は育っているし、女の兵役が廃止となれば自分が軍にいるのはよくないとでも思ったんじゃないかと」
これからは軍籍から抜ける女も増えるだろう。その際には褒章金が必要になる。報償も必要になる可能性さえある。
王族の威信を回復させるため、清牙に課せられた責務は膨大かつ重い。清牙には優里を気に掛ける時間も余裕も与えられなかった。
※
大衆の面前での性癖絶叫から約一年、清牙は愛馬 流星にまたがり二夜の野営を経て新任の地に立った。供は軌林のみで荷は馬車や牛舎を使って清牙の到着の前後に到着する手筈になっている。
この時期の西部特有の湿った空気が肌にまとわりつく。
清牙はこの帝国に近い西の国境を守る城門の責任者となった。
実は彩国は帝国と国境を隣接しているわけではない。西の帝国との間には国境の曖昧な部族と他に細長い小国が存在する。だというのに女に兵役を課し軍を増強し続けていたのだ。優里や軌林の言うように「異常に力をつける国」と他国から警戒もされよう。
そう、優里も言ったのだ。
力をつけすぎたものは怖がられる、と。
不意にまた短髪を思い出した清牙は振り払うように武骨な居城を見据える。城門、居城とはいうが砦である。国境に異常が起きた際に駆けつけるため常駐するための設備で、兵の宿舎や食堂も入っている。
ここで二年程度実績を積み、中央に戻る。ゆくゆくは岳将軍の後継者となる筋書きだ。
清牙が将軍となり、軌林が上羅に代わって副官となる。
上羅はようやく自分の領地に戻り夫たる沙漠と領を治める予定だ。これまで森県を管理してきた沙漠は柳や子墨とともにすでに森県に戻っている。
『あらまぁ。今さら夫婦だなんて、なんだか落ち着きませんこと』
この采配に困ったようにそう笑う上羅はどこか気恥ずかし気だった。
そんな上羅の顔を初めて見た清牙はまたひどく申し訳なく思ったものだ。夫婦の関係にありながら長く離れての生活を余儀なくさせた。夫婦はやはり一緒にいるべきだ。出来るだけ早く上羅を沙漠の元へ返してやりたい。
そのためには自分が上羅の代わりを務められる人材にならなければならない。
対して西部配属を聞いた軌林は両目を細めた。何か思う所があるらしい。その頃になると清牙はいつも飄々として真意が分かりづらい軌林の表情を読めるようになっていた。
「西かぁ……」
「不満か?」
軌林は十四の頃から西の帝国の反乱に身を置いていた。思う所があるのだろうと清牙は尋ねる。
「不満ではないんですが……西かぁ……」
「何かあるなら今のうちに言っておけ」
西、西と繰り返す軌林を清牙は促す。
「いやぁ……西はなー、優里は寄り付かないだろうなぁ、と」
その名を耳にしたのは久し振りの事だった。表立って動けないものの、情報は常に受け付けている。ずっと探しているものの一向に所在がつかめない。
岳家はもともと十四の娘を経験のためと戦地に送り出すような家風である。二十三、四の娘が行方知れずになってもどこ吹く風だ。一度は清牙も岳将軍に直接訪ねたが「知らん」と一蹴された。
「やはり都合が悪いと?」
「まぁ……なんというか……」
普段飄々とし、延々くだらない事を喋っているような男だ。言わなくていいことまで言うくせに、ここまで言いよどむ様子に清牙は違和感を覚えた。
「言え」
「今、西の帝国は聖獣の加護に守られてるって言われてるんですけど、聞いたことあります?」
軌林はそうへらりと笑った。
「俺、はじめは帝国軍についたけど途中で反乱軍に寝返ったじゃないですか」
さも清牙とは昔馴染みで軌林のすべてを把握しているような口ぶりだがそんな事はない。岳将軍にさらっと言われた時は愕然とした。帝国軍と反乱軍の両方に身を置いていたなんてよく生きて帰ったと思わずにはいられなかった。それは優里も気が気ではなかっただろう。
「内乱時、反乱軍には
軌林はまるで吟遊詩人のように流暢に語った。
女王とは反乱軍の指導者だ。反乱を指揮したのは地方の豪農の妻だった。人望があり広大な人脈を持っていたという。暴政を起因に夫を亡くした彼女を多くの者が支え、反乱は成功した。
「頭に白い帯を巻いて銀の鎧で一番に駆けていくもんだから、みんないつもその背を見送るようにしていたらしいです。そして戻れば頭の帯は血染め。彼らは銀背に続けば勝利が約束されていると信じていました。あの時の反乱軍の兵の士気は異常でした」
政府軍に身を置いていた軌林は当時を思い出したのか一度身を震わせる。戦争を知らない清牙でもそれほどまでかと、眉を顰めた。
「それでついた二つ名が銀背。
唐突に提示された優里の名に清牙は押し黙った。
「銀背ってのは本来は雄なんですけどね」
軌林の呆れたようなぼやきは、情報の多さに必死で整理しようとしていた清牙の耳には届かなかった。
「常に『女王』の傍らにあった銀背は反乱を成した直後、姿を消しました。西では聖獣の化身だったのだと反乱成功の語り草です。そんなもんで、あいつは西には近づかないと思いますよ」
反乱後、大きく分裂することなく帝国の領土を保てたのは、信じられない事だが野心のないただの女の人徳こそと言われている。そしてそんな彼女を勝利に道にいた聖獣の存在だ。
反乱を成しえた象徴として、そして今の治世の維持のため聖獣は聖獣でなければならない。西の国境付近をうろついて、顔を見られるわけにはいかないのだ。
だから西にいる限り優里の情報はつかめないだろう。それを軌林は暗に語った。
そうだ。あの日も白い盛装で駆けて行く背がいやに眩しかった。清牙はあの日の優里の後ろ姿を思い出す。その背は逞しく、信頼できる何かがあった。任せられるという確信と安心感があった。
それを西の反乱軍も見ていたのかと思うと清牙は妙に納得した。
そういうことであれば確かに優里は西には近づかないだろう。西の居城にいる間は優里の情報は入らないかもしれない。清牙は苦みを覚えながら西の担当を務めあげる覚悟を決めて西の城を訪れた。
任期を終えて中央に戻れば優里の情報を得られるかもしれないし、本人が戻っている可能性もある。胸を張って再会できるよう、成果を上げようと心に決めて居城となる石造りの門前に立ったというのに。
「あれ、視察ですか」
国境を守る居城にて門番を担当しているらしき優里は、清牙と軌林を見て実にあっけらかんとそう言ったのだった。
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