第12話 せっかく出した答えは間違っていた
「任務ですので王弟殿下と塊団長の仲は上羅様に報告させていただきますが、出来る限り擁護させていただきます」
意を決した優里が塊と沙漠にそう告げたのは優里が襲撃されてから数日後のことだった。王弟殿下と呼びながら目を合わせたのは沙漠だ。腫れはひいたが優里の顔にはまだ痛々しい青あざが残っている。
猪の血を浴びたあと王弟清牙から賜った石鹸はひどく古かった。大輪の花が彫られていたが最近の都ではたくさんの小花で満たされた意匠ばかりが作られている。優里は花の彫られた高価な石鹸など使うことはないが、そういった流行は周りが女性ばかりのため自然と入って来る。
相当以前から王弟はこういったものを使っていないのだろう。王弟は殺されたのではないかとも思ったが上羅の治める地にてそれはあまりにも荒唐無稽だ。
自信に満ちた様子の優里に対する男二人は唖然とする。
「よ、よく、分からないのだが」
塊は珍しく戸惑いを顕わに説明を求めた。普段冷静で気配り上手の沙漠に至っては声も出せなかった。
冷静を欠いた二人の様子に優里は申し訳なくなる。それほど慌てなくてもいいのに。
「お二人の関係を怪しまれた上羅様が私に極秘裏に調査を命じられたようです。お二人は任務を軽んじられる事なく職務に当たり、ご関係が職場に悪影を与えるものではないと報告させていただきます。上羅様も公にはしたくないようですのでそれほどご心配はないかと」
優里は二人を安心させるため穏やかに言葉を連ね、最後に柔らかい表情で目礼をして見せた。
いい笑顔とさえ言えるその様に沙漠は愕然とし、塊もまた打ちのめされる。
「私と、誰が? なんて?」
沙漠はひどく狼狽えた様子で挙動不審に優里に尋ねる。
「塊隊長と、沙漠様です。恋仲なんでしょう?」
優里は、塊と沙漠を手で一人一人示し、念押しするように微笑む。優里本人としては何も問題はないと表情で示したつもりだ。
「分かった」
塊はそう言った。
優里が何を言っているのか分からない。分かる気もするが分かってはいけないし分かりたくもない。それでも塊はそう言った。そう言わないとこの話は終わらないような気がしたのだ。
どうにかなけなしの落ち着きを死守した塊は優里のその柔軟な考え方に改めて確信を持った。塊もまたずっと疑念に思っていたことがある。すぅ、と息を吸って決意するように口を開く。
「取り引きだ。こちらが一つ秘密を開示する。それに見合った秘密を提供してくれ」
普段温厚な表情を保つ事に長けた沙漠が珍しく眉を寄せ、咎めるような視線を塊に向けたが塊はそれを無視する。
もう秘密を知ったと言っているのに、さらに開示されたうえこちらの秘密を求めるという塊に優里は困惑に眉を顰めた。
「よく、分からないのですが」
優里は正直に言った。こちらに思い当たる秘密などなかった。自分が馬鹿だと言っているようで恥ずかしかったが本当に理解できなかったので仕方がない。ここでは塊が上司だ。
「とても重要な事だ。この記録に誤りがあれば告白して欲しい」
そう言って、塊は凝った竹簡を優里に手渡した。
ん?
岳家の家紋の焼き印が押された竹簡だ。これに非常に良く似た物をここに来る前にも見た。
「中を確認しろ」
塊に促されて開けば中には自分の身上調査書がしたためられている。こちらに要望調査の態で送られているのだ、自分の素性が知らされていても不思議はないがそれにしては詳細すぎる。
ここには密命を受けて来たはずなのに、なぜこちらの情報がこんなにも詳細にこちらに知らされている?
最近の身上調査書ってこんなに豪勢なのか? これではまるで見合いの釣書のようだ。
混乱する優里の返答を待つこと無く塊は容赦なく告げた。
「少し誤解があるようだが。俺が清牙だ」
塊の言葉に従い、竹簡に目を落とす優里のつむじにそうそう告げたのは塊だ。それが彼の言う「秘密の開示」だった。
……
……
「……は?」
顔を上げ、黒髪をしげしげと見詰めながら少しの間があった後、優里は間抜な声を上げた。
だって、髪、黒いし。
染めたようには見えない。
茶の髪が血統を疑われて王弟はここに幽閉されているのではなかったのか。
肖像画で見た第二皇子は異国の宗教画の子供のように愛らしかった。成長した今では兄である王によく似た美形のはずで。
あー、でも子供の時は明るい髪の色でも大きくなったら濃い色になる奴っているか。
団長を精悍な顔立の、美丈夫だという団員もいる。
「ああ、髪? もともとそれほど明るい色じゃないんだよ。肖像画を見た事ある? どれも実際よりずっと明るい色で描かれたからみんな勘違いしているというか……」
優里の視線の先を辿った沙漠が説明する。
王族の肖像画だ。本来ならば
「あー……、そうなんですね」
呆然としつつ、優里は間抜けな返ししかできなかった。
なぜそんな事になっているのか、なぜここで自分にそれを明かすのか。上羅は何を考えて自分をここに送ったのか。疑問と混乱の井戸に突き落とされたような感覚だが、一方で軍人の本能が強い危機感を訴えかけて来る。
これだけの秘密を暴露された自分はどうなるのか、と。急速にそちらへと意識が傾いていく。
額と眉の傷は刀傷とは言われているが、眉は急な改まった席への出席が決まった際に整えるため不精をして手近にあった剣を使った最中、他の者に後ろから大声を出されて手元が狂った結果だ。恥ずかしすぎてその席は欠席した。欠席と言えば聞こえはマシだが実際はとんずらだった。主催者だけには書置きを残したものの他には誰にも言ってない。
額の生え際の熊にでも襲われたかというような傷は幼い頃に真剣で家族と遊んでいた際に負ったものだ。刀を持ったまま走っていて転んだ、これまた間抜けな自損傷だ。
そんな事を告白したので場を切り抜けられるかな、などと思っていたのだが。
これは━━
開示された秘密があまりにも大きすぎる。国家機密だ。
追い詰められた。どうして追い詰められたのか理由は分からないものの、優里は微かに眉根を寄せた。ど
「お前は留学していた頃、蛇食の文化を学んだというが留学先は南方になっている。あちらでは蛇は忌み嫌われる生き物で蛇食の文化はない。それに男色文化もあちらでは禁忌とされている。この経歴に雪かきを経験する機会もないように思う。お前は一体、何者だ?」
「岳将軍が第三子、岳 優里ですよ、殿下」
それはこれまでになく毅然とした声だった。
またなのかと塊は瞬時に冷えた気がした。己の王族という身分に相手が委縮するのは理解できるが、彼女もまたそうなのかと無意識に身構えていた。
「清牙様の秘密は他言無用の極秘事項という事でよろしいですね? 交換条件であるならば、私の秘密もそれなりの扱いをしていただけるのですね?」
清牙が頷くのを確認して優里は覚悟を決めた。
「なぜそんな事をお知りになりたいのか理解に苦しみますが」
一息ついて優里は続ける。
「一時期、西に行っておりました」
当時西の帝国は、十年以上に渡る内乱が局面に達していた時期である。
「戦というものを知るため反乱軍に志願兵として入っていました」
同時に弟が敵対する政府軍に所属していたが、それは岳家の秘中の秘である。
長い内乱に人材不足に陥ったそこでは政府も革命軍も、身元を精査する事もなく傭兵を雇い入れていた。潜入はあっけないほど簡単だった。
将軍家の人間が戦とを知るために他国のそれに参戦しただけの話だ。口にしてしまえば大した秘密ではないような気がしてきた。
「あの……では……」
優里は沙漠を見やる。ではこの琥珀色の髪の美形は何者だ。
「ああ、私は清牙様の影武者として育てられたんだけど、当の本人が髪の毛は黒くなるはこんな男くさい顔になるわでもうお役御免だよね。こんなに姿かたち変わっちゃったらこれはこれで本人か疑われるってもんだよ、まったく。前国主の弟君とそっくりなんだけど、早世されて顔も知られてないし」
「はぁ……」
優里は分かったような分からないような返事を返した。まだ脳が回りきらない。
なんでこんな話になったんだっけ。
「ちなみに優里、上羅様にはこれから報告を?」
沙漠が妙に緊迫した面持ちで問いかける。
「いえ。今朝、報告を提出しました。信頼のおける部下に託しましたので今日中には届くはずです」
優里が言い終える前に沙漠は息を飲むや、落ち着きを失った。目をうろつかせ体を揺らす。
沙漠の尋常ならざる様子に戸惑った優里が声をかけるよりも早く、清牙が口を開いた。
「行ってこい。流星を使え」
「いえ、しかし」
「緊急事態だ。かまわん、行け。優里がいる」
守るべき清牙から離れることが出来ないと惑う沙漠に清牙は強く繰り返した。流星とは清牙の愛馬の名前だ。
「━━ッ! すみません!」
慌てた様子で拱手し、部屋を飛びだしていく沙漠に優里は瞠目する。対して清牙は同情するような、申し訳なさそうななにやら複雑な表情で見送ったあとぽつりと告げる。
「二人は夫婦なんだ」
優里はしばらく考えて「は!?」と清牙を振り返った。
「手続きもしていないし、知っているのはごく一部だ。秘匿扱いだが陛下と岳将軍が保証人だ」
「え? 上羅様と沙漠様ってことですよね? は?」
沙漠は二十代半ばくらいにしか見えない。清牙の影武者というなら三十前のはずだが若々しい。対して上羅も年齢を感じさせない美貌と若々しさ保っているが、実際の年齢は四十を過ぎている。
長く国に献身し、独身だと思っていた。勿体ないと思っていつつ、いつかは自分もあんな風になるだろう、そうありたいと上羅に憧れていた。
だというのにまさか夫がいようとは。
それも相手は親子ほどの年齢差があってもおかしくない眉目秀麗な沙漠。
優里は清牙と沙漠の仲を誤解した時よりも、二人の正体を知らされた先ほどよりも、よっぽど上羅の結婚に衝撃を覚えた。
一番の護衛たる沙漠を中央へ送り、その代わりを優里に務めさせるという武人の感覚で言えば大変な名誉を清牙に与えられたが、それにさえ気付かなかった。
上羅様、仕事しかしてないように見えるのにあんな奇麗で若い旦那捕まえてたのか━━
優里はそうひたすら混乱し、動揺したのだった。
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