第11話 医師の気遣いと柳の粥

「随分早かったですね」

 何か言おうとする塊を遮るように優里は言う。優里や紫梓の計算だと応援はもっと遅くに到着する予定だった。

「町で『不審な男達』がいるという目撃情報があり見回りしていた」

 夕刻、「見慣れない複数のガラの悪い男達」の目撃情報がぽつぽつ団員に寄せられ、塊らは警戒に当たっていた最中だった。森県では護衛団と一般の町人の距離が近い。そういった情報はすぐに耳に入る。

「さすがです」

 素晴らしい事だ。優里は素直に感嘆した。そして続ける。

「あなたの勝ちです」

 優里は四人目のを諦めた。

 その様子に柳は痛々しいものを見るような顔で嘆息する。

「コイツだから仕方ない話ですが」と前置いて柳は肩をすくめた。

「いくら部下の団員と言えど、女相手にこれはさすがにコレは、ねぇ」

 優里の腫れ始めた顔が痛々しかった。

 塊は優里に言ったはずだった。「殺さない余裕があるだろう」と。

 それは塊にも当てはまるのだ。

 優里を殴らずとも取り押さえるだけの技量は持っている。それを柳は言外に責める。しかし殴られた当の本人は痛そうにしながらも苦笑した。

「中央ではマズいかもしれないですけど、まぁ私なんかはよくある事なんで。たいしたこっちゃないのでお気になさらず」

 あえて砕けた口調で言い、そう笑う優里に男二人は何とも言えない複雑な表情になる。

 塊は結局、詫びも叱責もしなかった。


 優里の言葉を裏付けるように、施設に戻った優里を見て子墨は唖然とするや大きな声を出した。

「四対一じゃなかったんですか! 相手何人だったんですか!」

 優里の悲惨な顔、主に口元の惨状に多勢に襲われたのかと子墨は真っ青になって悲鳴を上げる。

 四人に囲まれたという話は聞いていたが、「耳欠け四人くらいならまぁ大丈夫だろう」と高を括り、町の警備と見回りの強化に回っていたのだ。それがこんな負傷して戻ろうとは。。大人数相手なら加勢に行ったのにと言わんばかりの子墨に、一番の負傷が塊からの殴打などと言うわけにもいかず優里は言葉を濁してごまかす。

「いやー、ちょっと油断というか遊び過ぎたというか」

「なんで少しでも冷やしながら帰らないんですか!」

 すぐに冷やせば少しはマシのはずなのに。趣味の破落戸狩りの結果かと子墨がより強く嘆いた。

 矢継ぎにまるで詰るように文句を連ねながら「ちゃんと救護所行ってくださいよ!」と嘆願される。中央にて非情で鬼畜な優里の訓練を全うした者は最終的にみな恐ろしく逞しい精神の持ち主となる。一年の訓練の終盤には皆、優里の脳が筋肉の塊だと把握し、人間ならざる行為を諫めるようになるのだ。優里も時と場合をしっかりと区別する彼らからの砕けた物言いを諫めることはない。

「ちゃんと行くかついて行きますからね!」

「お前もう今日上がりだろ。行くからついて来るな」

「口のなか縫う事になったらどうするんですか!」

「血は止まってるから大丈夫だ」

 優里がぽそぽそ小声で答えるのは、大口を開ければせっかく落ち着いた口内の傷からまた出血するからだ。それを見抜いた子墨は優里に張り付くようにして見張る事にした。


 漢方薬の独特の香りが立ち込める救護所にて優里は医師の指示にしぶしぶ口を開く。

 口を開けた間抜けな状態の所に、塊から報告を聞いた沙漠が姿を見せた。その後ろには塊が随行している。

 沙漠は優里の顔面の状態に息を飲んだあと子墨を帰らせた。

「これは……塊団長、女性にこんな……」

 女性の顔に、それも見合い相手の可能性がある女性だ。そんな女性になんてことを、と沙漠は塊を責めたが優里には不本意な言葉だった。

「上官命令に逆らったんです。当然のことです」

 優里ははじめから「見習い扱いで隊に置いてくれ」と言ったのだ。命令に逆らえば殴られるのはごく当然の話だ。だから塊は正しい。そう本気で思っていた。

 優里が無理を言って塊の下に就かせてもらっているのだ、不満に思うことは一つもないし怒りも恨みもない。しかし沙漠にしてみればそうはいかないのだろう。

「それにしても度が過ぎています。この地を統治し、彼を統率する者として謝罪します」

「謝罪は不要です」

 先ほどまでとは打って変わって強い声だった。咄嗟に出た拒絶だ。咥内がじくじくと痛むうえ、切れた口角も痛む。優里はさきほどから疼痛に苛ついていた。そこに加えてほしくもない謝罪をくれようという。

 怪我をしていなければ、相手が彼らでなければ、反射的に舌打ちしていたところだ。舌打ちし、また痛みに襲われていただろう。

 普段は律するところだが、苛立ちについ続けていた。

「もともとここはそういう国です。どうぞお気遣いなく」

 

 もう戦乱の危機は去ったというのに相変わらず女にも兵役を科す国だ。女性団員を殴ったからどうだと言うのだ。女だからと謝罪するくらいなら、はじめから女を配置するなと言いたかったが、そんなお国批判を彼らに言うのはお門違い他ならない。

 よって食って掛かることなく、鼻で笑うようにはなったがあくまでも淡々と言ったつもりだ。この話はこれでもう仕舞いだと。

 しかし男二人は首元に切っ先でも突き付けられたような面持ちで顔色を失った。

 満足な明かりを得られない夜間だ。それでもそうと分かるのだからよほどのことだ。

 何をそんな大げさな。今さらの話ではないか。優里はなんとなく意外に思いつつ、そばで居心地の悪い思いをしているだろう医官に向かってそっと口を開けて処置の続きを促す。それ以上彼らの相手をする気はなかった。

「……私は子も孫もおりますがね。医師の家系で兵役は略式で済みましたが、もし殴り合って怪我をして、なんて思うと親としてはたまらないものがありますよ。男だろうが女だろうが子供にはそんな目に遭って欲しくはないのが親心ってものです。ああ、見てくれの割に中はひどくないですね。これなら縫わなくてもいいでしょう。しばらくは口を大きく開けないように。顔は腫れるでしょうね。痛み止めを処方しましょう」

 処置を終え、手を引いたところで医師ははっとして頭を深く垂れた。

「失礼しました」

 優里が岳将軍の娘と思い出した医師は盛大な失言を悔いているのだろう。優里は笑おうとして痛みに顔をしかめた。

「気にするな。父も貰わなくていい拳はもらうなと言う人だ」

 医師を気遣うように優里は笑って見せた。咥内の腫れた肉を噛みそうで「ひにふるな」と大変聞き取りづらい発音で、歪んだ笑みだった。

 岳将軍が言っているのは似ているようだが明らかに意味が違う気がする。医師は大いに戸惑いながらも優里の気遣いに再度深く頭を下げたのだった。


 ※


 塊の率いるこの部隊の団員は宿舎の食堂で朝食を取る。

 翌朝、やはり小声で朝の挨拶を述べながら卓と椅子の並ぶ食堂に入った優里の声に塊は重い気分でその顔を上げ、対して向かいに座っていた柳は可笑しそうに笑って空席を探す優里に声をかける。

「相変わらず殴られるのがうまいな」

 相当腫れるだろうという皆の予想に反して優里の顔は「ちょっと小競り合いをしました」程度のずいぶんと軽いものだった。最もひどい内出血は口元のもので、それは塊によるものだ。

「歯を折られるのも、視界が狭くなるのもご免だからな」

 目もとを腫らして視界が狭くなるのを良しとしない優里は、殴られるコツをつかんでいた。

「昨夜はありがとうございました」

 優里は塊に礼を述べた。昨夜、部位を冷やすための氷が子墨によって届けられたのだ。氷は貴重だ。おかげで見られる程度の顔になった。とはいえ武人の感覚だ。市井の人間が見れば絶句する負傷度合いだ。

「優里、口の中切れてるんだろ? こっち食うか? そっちよりは冷めてるだろ。まだ口つけてないぞ」

「気が利くな。じゃあお言葉に甘えて」

 何とも気まずそうな表情の塊に気を遣い、離れた卓に着こうとしていたが柳の勧めで向かいに座る事になった。

 こっちがもういいと言っているのに何をぐだぐだと気に病んでいるのか。優里は呆れる。

 気まずいだろうがいい気味だと思う事にして優里は自分の熱い粥を柳の物と取り換えた。

 受け取ったのに匙で掻き混ぜるだけで一向に食べる素振りのない柳に疑問を感じていた塊は衝撃を受けていた。柳の配慮にも、これまでにも幾度となく繰り返されてきたであろうその空気にも。

「……なにか?」

 何か言いたげな塊の視線に、ズズと冷めた粥を啜った優里は手を止める。

 行儀は悪いが口を大きく開けられず、啜るしかないのだから仕方がない。

 また詫びでも口にするのか、はたまた行儀の悪さのお小言かと思ったが、彼は「いや」と抑揚なく言って視線を己の手元にそらし、優里は内心肩をすくめて食事を続ける事にした。

 気にしなくていいのに。

 昨日の一件を塊が気に病む必要などないと優里は考えている。

 塊が道義のために実直なまでに規律を守ることも、優里が道義のためにそれを犯すことも、お互い己の強い信念に沿っての行動だ。どちらが正しいとは言えぬ世の中なのだ、詫びなど求めていないし、まして恨む気もない。

 むしろ己の信念のために女を殴るなんて見上げた男だとさえ思う。そしてそれほどの男が渾身の力の拳を出さざるを得なかった自分に誇りさえ覚えた。

 一人すっきりとした、なんならちょっとご機嫌な気分で朝食を取る優里に対し、塊は女性を殴るのはあってはならないという信条の持ち主である。それを破り、その結果顔を腫らした優里を前に塊はいまだ正常な精神ではいられなかった。

 

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