第10話 「手負いの獣の皮を被った悪鬼」を止める方法
紫梓から騒ぎを聞きつけた塊と柳はすぐに駆けつけた。そして、その光景に眉を顰める。
『何をしている!!』
通常であれば塊が空気を震わせるような恫喝でその無法者達の暴挙を止めさせただろう。
しかし、柳がそれをさせなかった。
無法者達は全員、耳の一部が切断されていた。柳はカンテラを掲げ、凝らした目でどうにかそれを一番に確認する。
「しまった、やっぱり早すぎたか」
柳はそう言って塊の肘に己のそれを絡ませ、止めるように後ろに引く。
だからもう少しゆっくり行きましょうと提案したのに。そう柳は内心歯噛みした。
町の外れから兵士の顔つきで駆けて来る紫梓と目が合った瞬間、彼女は眉を顰めたのだ。
こんなに早く会うなんて、そんな顔をしていた。案の定だ。
柳は歯がゆく思い、そして無駄だろうと思いつつも提案する。
「団長、ここは優里に任せて周辺の見回りに行きませんか」
「な━━ッ」
何を馬鹿なと振り払おうとする塊を、柳は離す気はなかった。
「あいつ、三人くらいなら瞬殺出来るんですよ」
相手は四人だ。それならば楽勝の範囲であると柳は判断し、声を潜める。
「あいつら耳ないでしょう?」
それは『耳欠け』と呼ばれ、過去に犯罪を犯した者の特徴だった。
「俺はあいつのやり方には賛成してる方なんで」
柳は軽蔑しきった厳しい目で男たちを見据える。塊が道徳的にも状況的にも柳の言葉に従うはずはなく、男達の制圧に乗りだそうとした矢先。
優里は自分を羽交い絞めにする背後の男を身をかがめて背負い投げるように地面に叩きつける。そして後頭部を地面に強打した男の喉仏を躊躇なく、渾身の力を込めて優里は文字通り踏み潰した。
塊には優里の行動が理解できなかった。
「我が家名に臆することなく報復に来た度胸に免じて一発ずつくらい殴られてやろうかと思ったが、やめだ」
足の下でくぐもった呻きを最後に絶命した男に見向きもせず、次の目標を見据えて優里は告げる。
「お前ら、相手の確認もせずに他の人間を襲ったりしてないよな?」
正面で優里を殴っていた男は気圧されたように一歩下がり、脇で棍棒を構えていた男は慌てた形相で振り上げる。
怯むどころか一瞬でその懐に入った優里は柄尻に掌底を当てて相手から武器の支配権を奪った。先端を捕えて反転させた柄頭を男の喉に押し込むようにして綺麗に絶命させる。
一旦口の中にたまった血を吐き出し、優里は残る二人を見据えた。
「どうだ。他の人間にも手を出したのか」
この連中は優里を襲った後で、顔の傷を見て本人と確認したのだ。
身構えもしていない女の顔にいきなりこぶし大の岩を投じるなど、正気の沙汰ではない。
背格好の似た女にも同じ事をした可能性に、優里は男達の処理を決めた。
こんなもの生かしておいてなんになろう。
優里は放り出されていた自分の刀を足で器用に跳ね上げて手にした。
「待て!」
瞬く間に二人を絶命させる優里の異常な様に目を奪われていた塊だったが、我に返るなり即座に制止を命じた。
しかし優里はそれを耳にしながらも従う事はなく、三人目の男の手首を跳ねる。その男の右耳は完全に切除されていた。
手首から先が消失し叫ぶ男を一旦置き、その奥の細長い男に優里が目標を定めたと見るや否や、塊は咄嗟の判断で反射的に動いていた。柳もそれ以上塊を押し止めることはできなかった。
もはや怯えきり、近付いて来る塊にも反応できない男のみぞおちに塊は拳を叩きこんで昏倒させる。
さすが。その手があったか。
柳は塊の判断に瞠目する。
優里を力ずくで止めるよりも、その標的を先に気絶させた方がはるかに容易で手っ取り早い。
目標を失った優里は忌々し気に舌打ちし、即座に目標を切り替えた。両膝を地に着いて喚いている右手首を失った男の手首を踏みつける。
「答えろ。私の前に危害を加えた人間はいるのか」
男達の処遇をすでに判断している優里は「殺されたくなければ」とは言わなかった。
「答えろと、言っている」
絶叫を上げる男の手首を捩じるように踏みつけ、淡々とした口調でその首筋に鋭い刃先を当てる。
自分の手が無くなった状態と、おびただしい出血に男は激しく泣き叫ぶ。男ががたがたと震えることで刃がその首にいくつもの赤い筋を刻んだ。
「いいいいいいない! アンタがここに飛ばされたって聞いて来た!」
「そうか。本当だな?」
「ほ、本当だ! 助けてくれ! 嘘じゃない!」
「治安のいいここで思いきったと褒めてやりたいが、報復なんて甘いもんじゃ無く、殺す気で来るべきだったな」
優里がそう言うように男達もまた、まさか往来であっさりとそれをするとは思わなかったのだ。
田舎に異動した恨みある女への報復。しかも多勢に無勢だ。気が済めば逃げおおせる気で、失敗など考えてもいなかった。
「どうせろくな事しかしないんだ、生きていても仕方ないだろう?」
優里の声には抑揚がなかった。
冷たい目で男を見降ろすと、後ろ襟をつかみ体を固定させた。
「いやだ! やめてくれ! 許して━━」
男の胸を抉るような絶叫が闇に響く。
「優里!」
首の太い血管を切断しようという優里の思惑を悟った塊は制止を促す意味でその名を叫んだ。同時に塊の体は反射的に動いていたが遅かった。
塊の声は確かに優里の耳に届いていた。優里はあくまでも冷静だ。自分が怪我をさせられたからと頭に血が上ったりはしない。
ごく冷静に男達の息の根を順に止めているのだ。
塊が制止しようと自分の名を呼んでいる事をしっかりと把握したうえで、優里は先ほど同様やはり従う事はなく、首筋に当てていた刃を凪ぐと傷口を地面に向くように息絶えた男を転がす。噴き出す血液で周囲が汚れるのを最小限にとどめるための配慮に柳は内心感嘆した。
これで三人だ。塊の目前で三人を絶命させた優里は次に塊の足元に倒れた大男の方へ踵を返す。
人を殺すことに慣れている。
そう塊は思った。
塊もいざという場面では罪人を殺すが、それは本当に「人でなし」の場合だ。人ではないから傷つけ、命を奪う事ができる。だが優里は違う。人を人として命を奪っている。あえて恐怖を味わわせ、絶望さえ与えている。
視界の悪くなった暗がりの中、額から流れる深紅の筋を物ともせずこちらに迫って来る優里は鬼気迫り、確かに手負いの獣か悪鬼のようだった。土の地面を踏む足音が妙に大きく聞こえる。
「どいてください」
優里は罪人を後ろに庇うように立つ塊に向かって低く発した。
「もう意識がない」
「だから? 起こせばいいだけの話です」
塊の言葉に優里は鼻で笑う。
ああ、その手があったか。それは盲点だった━━柳は痛恨の極みだと言うように天を仰いだ。
「こいつらは中央の前科者です」
それは耳を見れば一目瞭然だ。
「次はないという意味で耳を削がれてるんです」
それを始めたのは、優里他ならない。
死罪にならず、町へ放流しなければいけない犯罪者は一定数いる。
牢獄に空きがなければ、聴取の時点で投獄を免れるであろうと予め分かっている者もいる。
そんな事が許されるか。
教官職に就く前、中央の警備隊に所属していた優里は制圧時や取調中に罪状に合わせて狼藉者の耳を切断した。
性犯罪者は左耳を、それ以外のものは右耳を、犯した罪の度合いに合わせて切断する部位を増減させた。
勝手な誅罰行為は問題視されるべき事案だったが、優里は岳将軍の一人娘である。
家の名を臆する事なく利用し、開き直った。
家名を盾に傍若無人に振舞う姿を窘める者もあったが優里は意志を曲げなかった。
それどころか「家名をひけらかして町で悪行三昧やってる道楽息子共に比べればよっぽど道義的」と言ってはばからなかった。
娘の暴挙を耳にした岳将軍が「剛毅だ」と笑っただけで済ました結果、やがてそれは不文律となり他の者も行うようになった。無実の人間を貶めんと耳を切断する傷害事件が起き、私人による耳の切断行為はこれもまた不文律ながらも重罪となっている。
手首を落とされた男も、塊の背後に倒れている大男も両耳とも耳が欠けた人間だ。手首を切断された男の右耳に至っては完全に無い。耳を完全に切除されている人間など優里にとっては論外たる存在だ。
譲らない塊に優里は目を眇めて口を開いた。
「岳家の人間への傷害事件です。正当な処罰だと思いますが」
優里は岳家の威光を利用する事を嫌い、普段は家名を出さない。
面倒な事になった。
だからあとで出直そうと言ったのに。
柳は緊迫した空気に心底辟易とする。優里がこういう状況の場合は見なかったふりをするのが一番なのだ。
優里の好きにさせ、こちらは知らぬ存ぜずを突き通すに限る。それが一番いい。
「中央の、高貴の姫君の馬車が襲撃に遭ったとして、護衛は相手を生け捕りにしますか? それと同じ事ですよ」
それは概ね正論だった。
しかし自分をか弱い姫君と同じだという主張には少なからず賛同しかねて塊は反論する。
「お前は生け捕りにする余裕が十分有るだろう」
「それは過信ってものです。それでわたしが死んで、他国へ逃れたこいつらがまた人に危害を加えたら? 誰の責任ですか? 誰も責任など取ってくれないでしょう? それならば今ここで仕留めた方が良い。違いますか?」
断言に柳は嘆息した。
屁理屈を並べた揚げ足取りは相変わらずか。
「自分がロクな死に方はしないだろう事は自覚してますんで」
真っ直ぐに、貫くような視線で塊を目を見据えたまま言い放ち、ふと笑った。
「塊団長はまともですね」
馬鹿正直で真っ直ぐだ。突如表情を和らげた優里に違和感を感じた塊が訝しんだその一瞬の隙。そこを優里は見逃さなかった。身を低くして塊の脇を抜け、倒れた男に襲い掛かる。
すかさず塊はその肩を掴んだ。
フッ……ッ!
鋭く吐かれた呼気は、優里も塊も同時だ。
塊は制止させるために拳反射的にを振い、それを過去の経験により薄々予感していた優里は備えたが━━いかんせん優里は若い新兵よりもはるかに出来上がった体躯をしている。塊は咄嗟に顎を砕かず、歯も折れぬ程度の手加減しかしなかった。
見守る柳はその光景に、苦悩にも似た表情で顔をしかめる。
男の大きな拳で頬を殴られた優里は、一瞬ふらつくが咄嗟に足を出して踏ん張って堪えた。頭を振って意識の保持に努め、衝撃をやり過ごそうと険しい表情で硬く目をつむる。
塊は本能的な反射で取ってしまった己の行為が信じられなかった。思わず歯噛みする。
柳は柳で、大男からの殴打にも関わらず膝もつかない優里に眉を寄せた。
団長に殴られたのに立ってられるって、相変わらずどんな体してんだよ。
やがて優里は顎に手を添え、慎重に口を開閉させて顎が正常に機能するか確認する。そして不快感に顔をしかめると口内に溜まった血液を脇へ吐き捨てた。
「失礼」
何の感情も見せない態度で、まるで普段と何ら変わらないといった
塊は言葉を発しかけたが、言うべき言葉が見つからなかった。
こういった行為を、優里はこれまでに幾度も繰り返してきた。
犯罪者を死んだ方がマシと言うような目に遭わせ、実際殺してくれと懇願した者さえあったと囁かれ、狂っているとさえ言われる。
それが中央での岳 優里だ。
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