第2話

 必死にこらえていた笑いが爆発して、ボケに徹したダンサーは膝から崩れ落ちた。別室で着替えていた男子が、窓の向こう側から不思議そうに顔を向けている。

「男子、はいっていーよ」

 一応、クラスの女子の全員が着替え終えているのを確認した後、そわそわしている男子を呼び込んだ。

「くっさ」と男子がいう。

「ええにおいしかせんやろ」

 鼻をつまんで教室に入ってくる男子グループを私は笑った。私たちがそこまで汗臭いわけがない。どれだけ身体にスプレーを吹き付けたか、想像はしてくれなくていいけど。

 ひときわおどおどした様子で教室に入ってくるその男子、フジサワは私を一瞥すると小さな机と椅子の間に少しスペースを残して収まった。

「ゆっこ、なにフジサワ見とん」

「いや、見てないし」

「見とったやーん。もしかして、おもしろいやつってフジサワ? まぁ確かにイケメンやけど……」

「いや、ないやろ。あの子おもんないし。前髪、しょうゆ垂らしたみたいやもん。誰か拭いたげてーや」

 私の周りの女子が軽く笑った。フジサワには聞こえただろうか。

 フジサワは着席したまま全く動じず、目元が前髪に隠れているので、どこを見ているかわからない。それでも、顔が整っていることはよくわかる。あの子は整った顔を隠すために、前髪を伸ばしているのかもしれない。なるべく目立たないように、息をひそめている。

 フジサワのことを初めて認識したのは、中学に入ってから半年経ったとき。プールの授業後の塩素臭い廊下の隅で、あの子は上級生にキスされていた。

 いや、嘘やろ? って思った。あと、なんかその光景が関東人っぽいなって思った。あの子の印象は、あれからずっとそんな感じ。

 背丈は上級生の女のほうがずっと高くて、フジサワはすごく小さく見えた。女に屈ませてるフジサワは、子どもみたいやった。

 そんなフジサワが、唐突に私の手を掴んだ日、私は心の中で悲鳴をあげた。周りに誰もおらんかったから、別におもろいことをいう気力もなく、ただ時間が過ぎるのを待った。

「え、なんなん」

 フジサワが何も言わんから、私が口を開くと、あの子はわけのわからんことをいった。そのうえで、「どんだけ水野が瞬きしたって、僕はここにいるしかなく、て、」と続けた。私、そんなに瞬きの回数多い? ていうか、言葉のセンスわけわからん。


 ……むしろ天才?


「水野さん、僕は君の手を掴んだことを、決して後悔していないよ」

 はぁ? こいつ、おもろ。地味で気持ちわるいくせにイケメンで、わけわからんセリフいうやん。たぶん、相当な受身型やな。芸人のコピーとかじゃなくて、これはこいつのオリジナルやわ。

「どゆこと?」

「水野はツッコミの天才やと思うから」

 わかってるやん、こいつ。

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