祖父の家屋
山下先輩の祖父の家は僕が住んでいる地区からそう遠くないところにある伝統ある家屋だった。表札には古めかしい木の板が使われており、山下とだけ書かれている。和風の家屋特有の静けさが伝わってくる。それに少し違和感を覚えた。…………疑問に思ったことを聞いてみる。
「もっと葬式の準備やらでバタバタしてると思ってたんですけど」
「お願いして待ってもらってるの。今日で終わるからって」
「プレッシャーかけないでください」
ますます今日中に片付けなくてはいけない問題になってしまったではないか。もとよりその予定だから構わないけれど。勝手を知っている山下先輩の後に続き、家にお邪魔させてもらう。
玄関先、でいいのだろうか。そこで靴を脱ぎ家に上がる。荷物そこにおいていいよと言われたのでスクールバッグを置かせてもらう。そこで、先輩が言った。
「それじゃ名探偵君、まずはどこを見たい?」
「茶室ですかね。盤の意味も分かってないですし」
「りょーかい、こっち」
そして先輩は僕から見て右の襖を開けてその部屋の中に入っていく。それについていくと、中にはそこそこ広い茶室が広がっていた。木製のクローゼットのようなものと真ん中にポツンと置かれた不相応なチェスの盤があった。茶室なんだから普通は将棋であるべきだろう。そこにはポーンやナイトと言った駒が並べられている。しかし試合ができる状況ではない。黒いポーン、ナイト、ビショップ、ルーク、クイーン、キングが一つずつ置かれているだけだったからだ。他の駒はない。奇妙だな。
そして真ん中に封筒が置いてあった。開けられた痕跡がある。
「誰かがここに来たんですかね」
「あ、それ私。朝ここにきたから」
「そう言えば、先輩の祖母は?」
「おじいちゃんが入院してすぐになくなってる。それ以来この家の電気とか水道はお母さんが管理してる」
なくなっている。亡くなっている。それは…………申し訳ない事をした。
「すみません」
「いいよ、別に」
重くなった空気を誤魔化すように僕は封筒に手を伸ばして中身を見た。中には二枚の紙が入っていた。両方とも三つ折りにされているのでとりあえず片方を開いてみると暗号のような謎解き文のような言葉がそこには書かれていた。僕はその言葉を声に出して読む。
「この家の適した場所に人を雇えば、あの宝が入った金庫の鍵が現れる…………あの宝?」
「それは多分、入院したばっかりのときにおじいちゃんが言ってたことだと思う。いつもおじいちゃんは私に謎解きを出してくれてたんだけどそんな感じで入院して何週間か経った頃に家にはお宝が隠されてるって言ってて」
「じゃあ金庫は?」
「あのクローゼットの中にあるよ。とんでもないオーラを出して鎮座してるよ?」
「まさか、本当に遺産?」
学校では安直な発想として出したが、実は当たっていたのかもしれない。
「あげないよ?」
「いりませんよ」
僕は即答する。
「冗談冗談、本当に今日解いてくれたら一割はあげるよ」
「いりませんって、権利関係が面倒くさそうですし」
「ロマンがないなぁ」
「ジャン・クリストフは持ってますよ」
「誰が分かるのそのボケ」
先輩が分かるんじゃないですか?
そんな会話をしながら僕はもう一枚の紙の内容を見ていた。そこには指示と思われるものが書かれていた。
王は誰かに偏らない存在であるべきだ。そのような場所に雇え。
農民は田畑を利用するための水を管理するべきだ。そのような場所に雇え。
聖職者は農民たちのために彼らが管理する水の元、つまりは川を見守る存在であるべきだ。そのような場所に雇え。
騎士は国を運営する上で最も駆け回り努力するべきだ。そのような場所に雇え。
城は国を動かし、飢餓のとき国を助ける倉庫であるべきだ。そのような場所に雇え。
女王は民の努力を享受し肥える平和の象徴であるべきだ。そのような場所に雇え。
「…………これは」
「どう?」
「まあ一枚目の紙の指示を遂行するための別の指示でしょうね。一枚目の適した場所というものがどういうところなのかを二枚目で表している。だけどこれは…………」
まださっぱり分からない。取っ掛かりすらつかめていない状況だ。だが、分かっていることもある。とりあえずはそれを実際に言葉にしてまとめてみよう。
「まず二枚目に登場する王、農民、聖職者、騎士、城、女王というのはチェスの駒の事を表しています。それぞれキング、ポーン、ビショップ、ナイト、ルーク、クイーンです」
「ポーンは一般兵士だと思ってた」
「そういう扱いの場合もありますが、ヨーロッパの一部では農民を表すこともあります。ドイツではポーンの事をバウアー、農民と呼んでいますしね」
僕がその農民の意味を話すと、山下先輩が変な視線をこちらに向けてきていた。僕は思わず聞いてしまった。
「何ですか、その目は」
「変な事ばかり知ってるよね、受験勉強大丈夫?」
「先輩こそ今年なんですから暗号解読より勉強した方がいいと思いますけどね。もう二か月もないでしょ」
先輩の煽りにそう返したが先輩はドヤ顔を見せてつけてきた。
「私、模試A判定だし」
「留年生はみんなそう言うんですよ」
「知ったような口を!」
先輩は頬を膨らませてこちらを睨みつけてきた。僕はそれを無視して話を暗号解読に戻す。
「まあ今は受験の話はしないでおきましょう。で、そのチェス盤の上の黒い駒の意味は、その適した場所とやらにその駒を置いていけって事だと思います。つまり僕らがやるべき事は、二枚目の紙に書かれている『そのような場所』というのがどこなのかを理解し、駒を置くことです」
「それで、分かった?」
「分かりません…………なので」
分かりませんと言ったら先輩の顔が少し落胆したような表情になった。しかしなのでと言ったらまた元の顔に戻る。本当にころころ表情を変える人だ。
僕は、なのでの続きを口にした。
「この家を探索してみます。たぶんこの暗号の範囲はこの家の内部に収まっています。先輩の祖父が用意したお宝ですしね。まずはこの家がどういう造りかを知っておきたい」
「分かった、案内するよ」
「でもその前に金庫を見させてください。一応確認しておきたいです」
「いいよ」
二枚の紙をポケットにしまう。
先輩が大きな二枚扉の取っ手を引いてクローゼットのようなものを開けた。かなり多くのものが入れられそうだがその空間のリソースは三十パーセントほどしか使われていない。そしてそのリソースに割かれているのはたった一つの、金庫。黒塗りの金庫がそこにはあった。しかし普通の金庫ではない。よくイメージするのはダイヤル式だが、この金庫のタイプは初めて見た。
まず一番上の真ん中らへんにYou should know Latin alphabet& the Hepburn system.という文字が刻まれている。そして取っ手がある。力を入れて引いてみるがビクともしない。鍵がかかっているのは間違いない。そしてその横には二つのいかにも暗証番号を入力してほしそうなディスプレイが付いている。その二つは上のディスプレイ、下のディスプレイといった風に分かれている。上のディスプレイには検索するときに出てくる点滅する棒、キャレットがあった。そしてその隣には『02』と書かれた小さなディスプレイがあった。そしてそれらの下には27のキーボードのようなものがあった。そのキーボードには26個はアルファベットが印字されている。もう一つは『エンター』と書かれている。
そしてその下には
「一回適当なパスワードを入力してみてもいいですか?」
「一回だけね」
一回だけとわざわざくぎを刺したという事は回数制限があるという事だろうか。なら02という数字は残り回数を表しているんだろう。二回という微妙な数字である理由はもともと三回だか五回だったのを山下先輩が試しに入力したものが間違っていたといったところだろう。僕はキーボードを押すために屈みこむ。
僕はまず『kingu』と入力する。上の方のディスプレイにも『kingu』という文字が表示される。どうすればいいのだろう。uの後ろにはまだキャレットがある。とりあえずエンターを押してみる。数字は減らない。が、キャレットが下のディスプレイに移った。さて、ここはどうしようか。僕はとりあえず『bishoppu』と入力してみた。そして再度エンターを押す。
ブーーーーーー!!!という音が鳴る。唐突になったので肩をビクっと上げてしまった。後ろからプッという音が聞こえた。…………やってしまった。まあいい。僕の名誉より暗号を今は優先しよう。俊徳には言わないように口止めしておかないと。
金庫を見てみる。ディスプレイの文字は消えている。そして数字が02から01になっていた。やはりこれは回数制限だったのか。
あれ、というか。01が回数制限なんだとしたら。
「あと一回?」
「君なら行けるよ、期待してるからね」
「どこまでもプレッシャーをかけてきますね。僕の事を押しつぶして殺したいんですか?」
「死んでほしくはないかな、とりあえず謎を解いてもらうまでは」
凄く現金な人だな。…………さて、金庫の状態を確認することは出来た。自分で自分を背水の陣に追い込んでしまったわけだけれど謎を完璧に解いてしまえばいいだけだ。立ち上がり、山下先輩の方を向いた。
「改めて…………家を案内してくれませんか?」
「うん、ついてきてね」
彼女はまず襖を開けて向かいの部屋に歩いていった。そこも襖だ。僕は茶室の襖を閉め、向かいの部屋に入る。そこは茶室ほど広くはなかった。むしろ閉塞感を感じるほどの書斎だった。僕と山下先輩が入って、あと二人しか入れないほどだ。入口以外の三方を本が埋め尽くしている。暗号の本、謎解きの本、推理小説。山下先輩の祖父らしいと思ったがそれだけではないようで医学の本も数冊あった。西洋医学というよりは東洋医学、それも中国あたりのものだろうか。ただ恐らく古代の中国医学だ。歴史が好きだったのだろうか?
床には埃一つなく、荷物すらも置かれては…………いや、ある。ただ一つの窓。その下に箱がある。箱というよりかは…………
「クーラーボックス?」
「開けていいよ、私も開けたし」
お言葉に甘えてそのクーラーボックスを開ける。すると中に入っていたのは肉だった。動物の肉だ。袋にはマルチョウと書いてある。何だってこんなものが書斎なんかに?しかもマルチョウが一袋だけ。他には何も入っていない。これは確実に暗号と関係があるはずだ。
「マルチョウって何の肉なの?」
「牛の小腸です」
「知ってるんかい」
「知ってて何が悪いんですか」
前にどこかで牛の部位一覧だかなんかで見かけたから覚えていただけなんだが。僕はクーラーボックスを閉める。書斎を見渡してみる。ここで時間を食うのもなんだしな。
「次行きましょうか」
「もういいの?」
「全部回ってみて、気になった事があったらまた戻ってくればいいですよ」
「そうね」
書斎から出て次の部屋に向かう。書斎の隣の部屋だ。今回も書斎の襖は僕が閉めた。僕が後から出るから当たり前なのだけれど。さて、この家は全部襖のようだ。次の部屋は厨房だった。僕の家より広いな、羨ましい。棚を開けてみたら包丁などはまだ入っている。皿もある。次に冷蔵庫を開けてみる。ほとんどの部屋には何も入っていなかった。が、チルド室にシロコロが入っていた。
「シロコロ、豚の大腸ですか。…………この分だと他の部屋にも肉類が置いてありそうですね」
「もうバラしちゃうけど、実際あるよ」
そうだった。すでに先輩はこの家を今朝調べていたのだった。実際に行かないわけではないが、もう先にその内訳を聞いておくことにしよう。
「どんな肉がありましたか?」
「まずマルチョウとシロコロでしょ?あとは丸っこい…………豚の胆嚢とハチノスと…………何か聞きなれない、ヴェッシー…………みたいな」
胆嚢はそのまんまだな。だけど胆嚢なんてどこに売ってるんだよ。まあ今は置いておこう。ハチノスは胃だったはずだ。で、ヴェッシーは確かフランス料理の…………。
「ヴェッシーは豚の膀胱ですよ」
「うぇ、気持ち悪」
「伝統料理なんですから、あんまりそういうこと言わないでください」
「日本の伝統じゃないもんねー」
それはそうだが。まあただ膀胱を食べるだけじゃなくて、膀胱に他の動物の肉とかを詰める料理なんだけれど言わなくてもいい事だろう。さて、もうここで調べることはもうなさそうだ。冷蔵庫を閉めて先輩より先に厨房から出る。ていうか厨房単体で部屋を作るとはリッチな事をするなぁ。
山下先輩が僕に続いて厨房から出てきたが襖は閉めなかった。仕方がないので僕が襖を閉めた。意地でも働かない気だな。
といったように、僕はこの山下源清の家の部屋を巡った。部屋は全部で五つあった。茶室、書斎、厨房、居間、客室。そしてそれとは別にトイレもあった。トイレはこの木造建築にはなさそうな洋式トイレだった。そして山下先輩の言った通り胆嚢とハチノス、ヴェッシーが堂々と不相応な場所に鎮座しているクーラーボックスの中に入っていた。胆嚢は居間に、ハチノスは客室に、ヴェッシーはトイレにあった。…………膀胱だからトイレ?いやそんな事はないだろう。多分たまたまだ。
山下源清の家は一階建てで五つの部屋とトイレが三つずつ向かい合って並んでいるという構成になっていた。玄関から見て手前から左は書斎、厨房、居間。右は茶室、客室、トイレといった風に。そして僕たちは全ての部屋を巡り終え、意味深な肉について考えながら茶室へと戻ってきた。
僕はチェスの盤の前に座り込む。多分何をすべきかは分かった。ただ、その正答が分からない。これは暗号だ。そして孫娘に出した、恐らく遺産関係の謎解きだ。過度な知識はいらないはず、もしもそう言った知識を欲したとしてもどこかにヒントがあったはず。どれだ?どこだ?何があった。思い出せ。
黙り込んでしまった僕の背中に山下先輩が声をかけた。
「何かわかった?」
「いえ、まだ」
「最初から見直してみる?」
それにはいと答えようとした時、ある一つの可能性に閃いた。もしかしたらあの言葉にも何か意味があったんじゃないか?だがずっとチェスに向き合って考えていたせいで少し忘れてしまった。僕は座り込んだままでチェス盤のある一つの駒をじっと見つめたまま先輩に問いかけた。
「こんなこともう一回聞くのも何ですけど…………源清さんが言った我が家の謎を解けみたいな台詞をもう一度言ってみてください」
その質問を先輩は怪訝に思ったようだ。この謎解きに何の関係があるのだろうと思っているようだ。しかし先輩はすぐに答えてくれた。
「嘘ついてすまんの、あの暗号は解いとくれって言ってた」
「じゃあ、メッセージの文言は?」
今度は振り向いて聞く。先輩はスマホを取り出して操作し、こちらに画面を見せてきた。ああ、そういう事だったのか。この言葉をわざわざ書いた意味は。
確証を得るために今から先輩に聞く質問は、凄く酷な質問かもしれない。絶対しない方がいい。だけど、山下源清が遺したであろう…………いや、彼一人だけじゃない。とある二人が遺したものは山下先輩に絶対に伝えなければならない。それが先輩の祖父母への手向けになるかは知らないが。
「先輩」
「なに?」
「源清さんは入院した当初、すぐに退院できるといった旨の言葉を言っていましたか?」
先輩の表情が一瞬暗くなったような気がした。しかしすぐにいつもの人気者の山下先輩の表情を浮かべて僕に答えた。
「言ってたよ。確かに言ってた。ねえ名探偵君。これが暗号解読に関係あるの?」
「はい。暗号は解けました」
先輩の表情が貼り付けた偽りのものから驚きに変わる。
「え、本当に!」
「はい…………先輩、お母さんに感謝した方がいいですよ」
「…………何で?」
僕はいつも俊徳がしているようなにやけづらを真似て浮かべた。彼がいつもやっているように冗談めかした口調でこう言った。
「多分クーラーボックスもお母さんが管理してたんでしょうね。そうじゃなかったら僕らはこの人たちを腐った肉の近くに雇う事になってましたよ」
僕は六つの駒を両手でつかんで立ち上がる。そして言った。
「それじゃあ、一人ずつ雇っていきましょうか。それぞれの強みを活かせる部署に雇いましょう」
「まずは、どうするの?」
「とりあえず最初から巡っていきましょうか、書斎から順番に」
ただ、僕の暗号解読が正しければ…………お宝は『アレ』の可能性がある。だから源清はそんな事を言ったのか?
まだ分からない。だけど、金庫は開けてからがお楽しみだ。それまではのんびり雇用業務を終わらせておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます