第46話

「身重の結羽にこれ以上の無理はさせられない。さあ、私の背に乗るのだ」

 四つ足の白い巨躯を、レオニートは屈めた。なんと背に乗せて城まで連れて行ってくれるらしい。乗り物のように扱うことに結羽は気後れした。

「背中に乗るんですか!? お尻でレオニートを跨ぐことになります」

「遠慮はいらない。もしや恥ずかしいのか? 私は君の尻の奥まで触れた男だが?」

「……乗せていただきます」

 観念した結羽は巨体の背に跨がった。レオニートはゆっくりと歩を進める。

 白熊の背に乗るなんて初めての経験だ。脚が太くて巨躯のためか、背に直接跨がっても身体が揺らされることなく、安定感がある。

 純白の毛が、陽光を受けて煌めいた。城へむかうレオニートと結羽の周りを、舞い散る氷の結晶が踊っていた。



 城へ辿り着いたふたりは、早速ユリアンの部屋へむかった。人型に変化して服を着たレオニートと共に駆けつける。

「ユリアン……!」

 医師や側近たちは一様に眉を寄せていた。沈痛な面持ちをむけられて、ユリアンの病状が芳しくないことを知らされる。

 レオニートは居並ぶ人々を一瞥し、ベッドに横たわるユリアンの顔を覗き込む。

「状況はどうなのだ。ユリアンは……、氷の花はどうした。ヴァレンチン!」

 ユリアンの容態は時間の経過と共に悪化しているように見受けられた。

 息が細い。胸はかろうじて上下しているような状態で、顔色は蒼白だった。

 生命が尽きようとしている。

 祖母が息を引き取る間際も、このような状態だったことが結羽の脳裏に過ぎった。

 氷の花はどこに。

 ヴァレンチンが持ってきたのではないのか。

 レオニートに名を呼ばれたヴァレンチンは、呆然として立ち竦んでいた。彼の隣にいるアナスタシヤが哀しげな表情を浮かべて、自らの手を見つめている。

 その手には、茶色の紐のようなものが握られていた。

「それは……まさか……」

 長い茎、萎れた花弁と葉の残骸。

 氷の花は、見る影もなく枯れていた。

 山頂で見たときは生命に満ち溢れ、柔らかな光りを放っていたのに、どうして。

「……わたくしが手にしたら、氷の花は枯れてしまったのです。お兄様が持ってきてくださったときは瑞々しかったのに……」

 アナスタシヤの手から、茶色に変色した元は氷の花だったものが滑り落ちる。それは音もなく、床に頽れた。

 人々は絶望の底に沈んだ。

 誰かの嗚咽が哀しく室内に広がる。

 氷の花をもってしても、ユリアンを救うことはできなかったという現実を目の当たりにして、誰もが希望を失い、顔を俯かせる。

 瞳を閉ざしているユリアンの前に、結羽は静かに歩み寄る。

「そんな……ユリアン……」

 跪いて、床に散る枯れた氷の花を両手で掬い上げる。

 ユリアンの命は救えないのか。

 言い伝えは、幻だったのだろうか。

 そんなはずない。霊峰の頂に咲く氷の花が放つ、淡い光に包まれたときに感じたのだ。

 あの柔らかな温かさ。僕は、あのぬくもりを知っている。

 レオニートの腕に包まれているときと同じぬくもり。

 氷の花は、神獣の力を受け継いでいる。

「お願いだ、氷の花。ユリアンの命を助けてください。代わりに僕の命を差し上げます……!」

 祈りを捧げた結羽の眦から、一粒の涙が零れ落ちる。

 その雫は枯れた花弁に染み込んだ。

 ふわりと、柔らかな光が灯る。

 それは始め、小さな明かりだった。けれど結羽の下腹が連動するように光り、氷の花を巻き込んで輝きを増していく。

「えっ……!?」

 光の輪が幾重にも重なり、部屋中を眩い輝きで覆い尽くしていく。驚嘆した人々は身を寄せて、光を放つ結羽から離れた。

「結羽!」

 駆け寄ったレオニートは結羽の身を抱き寄せて、氷の花を乗せた手のひらに、自らの手を重ねる。

「熱くない。これは……、この力は……!」

 レオニートの神獣の力が加わり、神々しいまでの強大な光は一点に集められた。

 光の中で生まれ変わった氷の花は純白に輝いた。

 萎れていた葉は伸びやかに甦り、ふっくらとした花弁には瑞々しい水分が蓄えられている。 氷の花は復活を果たした。

 その姿は結羽が霊峰の頂で発見したときと、寸分も違わない。

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