第45話
「私は一瞬、疑ったのだ。結羽にあの夜はなにもなかったと言われ、城を去りたいと告げられて、君の心の中に私はいなかったのかと、愕然とした。愛は、泡のように消えたのかと疑った。……だが、私は信じた。子どもたちにかき氷を配り、氷上でアイスダンスを踊る君は最高の笑顔を見せていた。雪豹の前に立ちはだかり、私を守ろうとした勇気も、傷を負った私を辛そうな目で手当てしてくれた優しさも、そっと城を後にして氷の花を取るために霊峰へむかった健気さも……あれらはすべて君の本心だ。私が愛した結羽なのだ。その姿のひとつひとつは、私の中に深く刻みつけられて、消えはしない」
レオニートの真心が込められた言葉のすべてが、胸の中心から全身にかけてひたひたに染み渡っていく。
この人を好きになって、良かった……。
心の底から愛しさが湧き上がり、泉のように溢れた。
結羽が愛情を消し去ることなどできないように、レオニートもまた愛することをやめられないのだ。
同じ、気持ちなんだ……。
レオニートは結羽を信じてくれた。氷の花は存在すると言ったレオニートの想いを、結羽が信じたように。
もう、たまらなかった。
太い首根に縋りつき、結羽は溢れる想いを口にする。
「ごめんなさい、レオニート。僕は、嘘をつきました。獣人が気味悪いなんて、思ったことありません。義務であなたに抱かれたわけでもありません。そう言ってレオニートに嫌われて去ることが、あなたと皇国のためなのだと思いました」
「そうか……私のためだったのだな。嫌いになど、なるはずがない。君が突き放すようなことを言うのは、なにか理由があると思ったのだ。……では、本当は、私のことを……?」
白熊の純白の顔に頬ずりをして、結羽は紺碧の瞳とまっすぐに向き合う。
「好きです。レオニートを、好きになってしまったんです」
心のままを口にすれば、好きというその言葉はどんな稀少な宝石よりも夜の灯りよりも光り輝く。
レオニートは眩しそうに双眸を眇めて、結羽に純白の身体を擦りつけた。
「私も、好きだ。結羽を心から、愛している」
彼のぬくもりが愛しさに変わり、爪先にまで浸透していく。結羽はレオニートの高貴な獣毛を優しく撫でた。
「レオニート……。僕は、もうひとつ、あなたに告白しなければならないことがあります」
そっと下腹に手を遣ると、レオニートはわずかに目を見開いた。
「結羽、まさか……」
レオニートに子がいることを告白するのはとても怖かった。もし彼に拒絶されてしまえば、この子の存在意義が失われてしまうような気がしたから。
けれど、伝える勇気を持とう。この子の、未来のために。
僕だけの、子どもじゃないから。
この子はレオニートの子でもあるのだから。
ごくりと息を呑み、意を決して告げる。
「僕の、お腹の中に、子がいます」
唇を震わせる結羽とお腹を代わる代わる見遣ったレオニートは驚嘆の咆哮を上げる。
「なんと……! ああ、結羽、素晴らしい! 別荘で過ごした夜に、受胎したのだな」
「はい……。レオニートや皇国の邪魔になると思って、妊娠したことを言い出せませんでした」
嬉しそうに結羽の腹に鼻先を擦りつけたレオニートは、ほうと息を吐いた。
喜んでくれるのだ。レオニートは、この子の存在を愛してくれる。
そのことがなによりも結羽の心の荷を軽くしてくれた。
「すまなかった。子を抱えたまま、多大な心労を負わせてしまったな。しかも身重の身で、結羽は霊峰に登ったのだ。なんということだ……。私はなにも気づかずに、君と子を危険な目に遭わせてしまった」
「いいえ。レオニートは助けてくれたではありませんか。あなたが来てくれなかったら、僕は子と一緒に雪崩に呑み込まれていました。こうして命があるのも、レオニートのおかげです」
それに、お腹の子も懸命に耐えてくれた。登頂して氷の花を発見できたのは、神獣の血を引くお腹の子のおかげではないかと思う。
人間である結羽ひとりの力では、とても成し得なかっただろう。神獣の聖なる力が、結羽の身体を通して発揮されたのだ。
「結羽。私の子を、産んでくれ」
レオニートに真摯な双眸をむけられ、結羽は言葉に詰まる。そう言ってくれるのはとても嬉しい。けれど本当に子を産んでもいいのだろうか。産めるのだろうか。
結羽は戸惑い、視線を彷徨わせた。
「それは……レオニートの立場が悪くなってしまいます。あなたに迷惑はかけられません」
「私に、すべて任せてほしいと言ったろう。まずは城へ戻ろうか。ヴァレンチンが持ち去った氷の花で、ユリアンの病を治さなくてはならない」
「そうですね。ユリアンの身体が心配です」
子は今すぐに生まれるわけではない。まずはユリアンの病気を治癒することが先決だ。ヴァレンチンはもう城へ戻っていることだろう。
ユリアンの快方を祈りながら、レオニートと結羽は洞穴を出た。
天候は回復していた。空は澄んで晴れ渡り、柔らかな風が頬を撫でる。
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