第42話
そんなこと、信じられなかった。つい昨日までユリアンはあんなに元気だったのに。
白熱病と聞いたレオニートは瞳を見開いた。
「白熱病だと……? 父の兄弟が次々に亡くなったのは、白熱病が原因だった。まさか、ユリアンが、あの病に罹ってしまうとは……」
「お気の毒でございます」
死を前提にした医師に、結羽は取り縋る。このままユリアンに死を迎えさせるなんてことはできない。なにか助かる方法があるはずだ。
「薬はないんですか!? せめて熱が下がれば命は助かるはずです!」
だが医師は力なくかぶりを振る。
「残念ながら、白熱病には薬が効きません。どんな病も治すという氷の花でもなければ、治せない不治の病です」
霊峰の頂に咲くという氷の花は、いかなる病をも治癒するという。
人々の間に一片の希望が広がる。氷の花があれば、ユリアンは助かるかもしれない。
だがダニイルは眉をひそめた。
「だけど氷の花は、あくまでも伝説の産物だ。どうにかして病を治したいと願う人が生み出したお伽話だろう。氷の花の存在を信じた人たちが雪山に登って命を落としたという話を、俺は子どもの頃から聞かされてきた。大体、雪山に花が咲いてるわけない」
氷嚢を用意したセルゲイは、高熱で苦しむユリアンの額に乗せて、ダニイルの意見に同意する。あまりの高熱により、袋に入れられた氷はみるみるうちに溶けていった。
「ダニイルさんの言うとおりですよ。それに氷の花は命と引き換えにしなければ取ってこられないというではありませんか。病人を助けようとした人が、逆に命を落としてしまいます」
やはり、氷の花で治癒することは不可能なのか。
雪深い霊峰になど、誰も登れるわけがない。その頂に花が咲いているところを見た人はいないのだ。人々は改めて氷の花がお伽話であることを思い起こし、絶望に項垂れた。
うなされるユリアンの手を握っていたレオニートは、ふいに呟く。
「氷の花は、実在する」
「陛下、しかし……」
「初代皇帝は予言した。異世界よりやってきた妃が氷の花をもたらして皇国の危機を救うと。アスカロノヴァ皇国の祖が偽りを言うはずがない。私は、初代皇帝を信じよう」
アスカロノヴァ皇国に言い伝えられる伝説の妃の予言が、今、成就されるときだというのか。
初代皇帝は、氷の花をもたらす者は妃と明言した。ということは……。
皆の視線が、アナスタシヤに集まる。彼女は周囲の注目を浴びても微動だにせず、人形のように佇んでいた。
視線の意図に気づいたヴァレンチンがアナスタシヤを庇うように前へ進み出る。
「なんだ、貴様ら! まさか皇弟を救うために、アナスタシヤに雪山に登って死んでこいとでも言うつもりか!」
「そのようなことは言っていない。落ち着きたまえ、ヴァレンチン」
「レオニート。貴殿は弟を死なせたくないだろうが、俺も同じだ。アナスタシヤになにかあれば、アスカロノヴァ皇国に宣戦布告する」
戦争を始めるという大ごとの話に発展し、居合わせた者たちは息を呑んで狼狽えた。
レオニートは厳しい声を出して、ヴァレンチンに向き直る。
「今は国家間の溝を深めるべきではない。私はあくまでも初代皇帝を信じると言ったまでだ。アナスタシヤに氷の花を取ってきてほしいなどと要求しているのではない」
「そして氷の花を取ってこなければ、伝説の妃ではないと見下すわけか。初代皇帝はよほど他国の姫を殺したいらしいな」
「いい加減にしたまえ、ヴァレンチン。初代皇帝を愚弄することは許さない」
ふたりは傍らに佇むアナスタシヤと、ベッドに寝ているユリアンを挟んで睨み合う。
アナスタシヤとユリアンのどちらが犠牲になるかという空気が漂い、室内はぴりぴりとした緊張が張り詰めた。
結羽は瞼を閉じているユリアンの顔をそっと窺う。
唇を薄く開けて、とても苦しそうに息を継いでいる。白い発疹は首許まで出現していた。熱で溶けた氷嚢が、額から滑り落ちる。
助けたい。ユリアンを、このまま死なせることはできない。
誰にも気づかれないよう、音を立てずに扉を開いて退出した。
結羽は決然として前を向く。
僕が、氷の花を取ってこよう。
もしユリアンを救うことのできる望みが一縷でもあるのなら、その可能性に賭けたい。それにレオニートは、氷の花がただのお伽話ではないと信じている。彼の信じるものならば、結羽もまた信じよう。
伝説の氷の花は、きっと存在するはず。
吹雪の中、結羽は霊峰へむかった。
麓の村まで徒歩で移動して、そこから村人の馬車に乗せてもらう。氷の花が咲く霊峰へ行くと話すと、村人は恐れ戦いた。
死んでしまう、やめなさいと止められた。縋る思いで氷の花を採取しに、これまで幾人もの人が霊峰を訪れたが、帰ってきた者は誰もいないという。
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