第28話

 背を支えてくれるレオニートの左手は、結羽の右手に繫がれている。

 このままずっと、レオニートと踊り明かして、夜空の星になれたらいい。ふたり一緒に、夜空の星座になれたら――。

 僕は、レオニートのために死んでもいい。

 彼になら、自らの命を捧げられる。

 そんなふうに思えたのは初めてだった。

 これはきっと結羽が生まれて初めての恋で、そして最後の恋だから。

「愛しい……」

 レオニートの紺碧の双眸は夜空の色に溶け込んでいる。星明かりに愛されたように、銀髪は輝きを放つ。彼の薄い唇から紡がれたひとことは、風の音色に掻き消された。

「え……今なんて?」

「……いや、美しいと言ったのだ。オーロラを従えた結羽は、この世の者とは思えないほど美麗だ」

 凡庸な結羽には勿体ない褒め言葉だ。レオニートこそ、美神のごとく壮麗な美しさを誇っているというのに。

 結羽ははにかんだ笑みを見せて、星を映した黒曜石のような瞳を瞬かせた。

 ふたりだけの舞踏会は星々とオーロラが見守る氷上で、流麗な軌跡を描きながらいつまでも続けられた。

 


 夜更けまでアイスダンスを楽しんだふたりは、ようやく氷上を後にした。

 極北の大地は夜でも明るいが気温は下がるので、防寒具に覆われていない頬は凍りついたように強張る。

「寒くないか。別荘はすぐそこだ。さあ、行こう」

 レオニートは結羽の頬に手を宛てて顔を覗き込むと、ずっとそうしていたように手を繫いで歩き出した。

 アイスダンスを踊っていたので身体は冷えていない。それにレオニートが傍にいるので、身体も心も温かなものに満ちていた。

 馬車はユリアンを乗せて返してしまったので徒歩で別荘へむかう。

 レオニートによれば、皇族の所有する別荘が村外れにあるので、遠出などで帰りが遅くなるときは無理をして丘の上の城に戻らず、別荘に泊まるらしい。城と同じように召使いがいるため、いつ寄っても食材や暖房が整えられているとのことだ。

 白樺の佇む路を通れば、ふたりが雪を踏みしめる音だけが樹陰に響き渡る。

 夜の森は静寂に沈んでいて、どこか恐ろしさを覚えた。

 ヒュウ、と一陣の風が吹き抜けた。結羽はぶるりと背を震わせる。

 震えが伝わったのか、振り向いたレオニートは繫いだ手を引き寄せた。

「結羽、怖いのか? もっとこちらへ……」

「レオニート!」

 光る双眸が木陰からこちらを睨み据えていることに気づく。

 グルル……と猛獣が放つ低い呻り声が響いた。

 身構えたレオニートの背に庇われる。

 声の主は、星明かりの下にゆっくりと姿を現した。

 斑模様の毛並み、口許から覗く鋭い牙、しなやかな身体は敏捷性に優れている。

 雪豹だ。

 肉食の獰猛な獣はまるで敵に対するように、警戒を露わにしている。

「この雪豹は獣人ではない。森に巣くう獣のようだな」

 ということは、獣型に変化したときの獣人とは違い、話が通じない。皇帝であるレオニートに牙を剥いていることからも、森を荒らしに来た敵だと判断しているようだった。

 突如、雪豹は咆哮を上げて跳躍した。

 前脚を振り上げ、鋭い爪が一閃を描く。

「……くっ」

 血飛沫が、真っ白な雪に散る。

 立ちはだかったレオニートは雪豹の攻撃を片腕で受け止めた。

「レオニート、血が……!」

「平気だ。かすり傷だ。結羽、君は逃げるのだ。私が雪豹を食い止める」

 なぜ、雪豹の爪を受けたのだ。

 レオニートが身を翻せば、雪豹の一撃を躱せたはず。

 結羽は呆然として純白の雪を染め上げる真紅の雫に見入った。

 僕が、後ろにいたからだ……。

 結羽のために、レオニートは怪我を覚悟してまで雪豹に対峙した。本来なら結羽が皇帝であるレオニートを守るべきなのに。

「僕だけ逃げるなんて、そんなことできません。僕が雪豹の注意を引いている隙に、レオニートは別荘まで走ってください」

 レオニートに怪我を負わせてしまったのは、自分の責任だ。

 結羽は前へ出ると、両手を広げ、毅然として雪豹に立ち向かう。

 雪豹がどんなに獰猛で危険な動物なのかは問題じゃない。結羽では太刀打ちできないかもしれない。けれど、レオニートを守りたい。その一心だった。

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