第25話

「えっ。ユリアンは行かないんですか?」

「僕は疲れてるから、今日はいいよ。兄上と楽しんできてね」

 もしかして、レオニートとふたりきりなのだろうか。独り占め……というユリアンの言葉を反芻する。

 部屋を出たレオニートの後に続いてホールへ着くと、そこには誰も待っていなかった。ヴァレンチンはもとより、アナスタシヤも行かないらしい。もっとも、ふたりがアスカロノヴァ皇国を訪れて以来、どこかへ遊びに出かけるような姿は見たことがない。

「あの、アナスタシヤ様は……?」

 アナスタシヤも誘ったほうが良いのではないだろうか。妃となる人を放って、結羽とふたりで出かけても良いのだろうか。

 小さく窺ってみると、レオニートは表情を消して振り向く。

「アナスタシヤは風邪を引きやすいので屋外には出ないそうだ。昨日も皆で村へ行こうと誘ったのだが、返事はなかった。寒いところが苦手なのだろう」

 極北の地に生まれ育ったのに寒いところが苦手だなんて気の毒だが、体調を崩しやすいのなら仕方ない。お姫様なので屋外で遊んだりしないものなのかもしれない。

「そうなんですか。ということは……レオニートとふたり……ですか?」 

 ふたりきり、という状況に、なぜか甘い緊張が走ってしまう。レオニートは、つと眉を跳ね上げた。

「嫌なのか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……」

「私の手は、二本しかない。左手は転ばないよう結羽と繫ぐ手、そして右手は、アスカロノヴァ皇国の大地を撫でる手だ」

 たとえが大きいのでよく分からないのだが、つまり転ばないように握っていてほしいという意味だろうか。

 結羽は皇帝の従者として、彼が氷の上で転ばないよう支えなくてはならないのだ。使命を帯びた結羽は表情を引き締めた。

「分かりました。僕に任せてください」

 胸に手を宛てる結羽を、レオニートは口端を吊り上げて意味ありげに頷いた。



 陽の光を浴びた天然のアイスリンクは、氷の粒を煌めかせている。

「ひゃあああ! レ、レオニート!」

 結羽は氷上で無様に手をばたつかせた。

 昨日訪れた湖にスケート靴で降り立った結羽とレオニートだが、転ばないよう支えが必要なのは結羽のほうであった。

 事前の会話では、レオニートを結羽が支えなければならないと解釈したのだが、いざ氷上を滑り出してみるとレオニートは鮮やかなスケーティングでリンクを舞っている。

 こなれたチェンジエッジはまるでプロのスケーターのようで、華麗な身のこなしは白鳥を思わせた。

 一方、結羽の足許は覚束ない。

 よろけるさまは、さながら生まれたての子鹿だ。

 施設のアイスリンクと違って手すりがないので、掴まるものがなにもない。

 転びそうになって上体をぐらつかせる結羽の手前で、シュッと綺麗なインエッジで止まったレオニートは苦笑を浮かべながら結羽の身体を支えた。

「大丈夫か。これでは手を繫いでいないと転んでしまうな」

 想像とは逆であったが、結局手は繫がれてしまう。

 レオニートに手を引かれて氷の上を滑り出してみたものの、刃一枚で立っているわけなので、身体が不安定に揺れてしまうのはどうしようもない。

「ぐらついてしまいます。僕が転んだらレオニートまで巻き込んでしまいますから、手を離してください」

「怖いか? では、こうすればいい」

 すっと身を寄せてきたレオニートに、腰を抱かれる。

 密着したふたりの身体。レオニートは右腕で結羽を抱えるようにしながら、互いの左手を握り合った。

 力強い腕で支えられているためか、安定感が生まれる。

「これはキリアンポジションという、アイスダンスのホールドだ。さあ、結羽。背筋を伸ばして、顎を引いてごらん」

 言われたとおりにしてみれば、姿勢が正されたせいか、今までよりも足に力を込めることができた。

 顔を上げれば、そこには煌めく氷上の世界。

 白樺と雪に囲まれた白銀の湖が、きらきらと宝石のように眩く輝いている。

 耳に届くのは、氷を削るふたりのエッジの音だけ。

 それから時折白樺に降り積もった雪の落ちる、ぱさりという心地良い響き。

 この世界は、なんて綺麗なんだ。

 目に映っていたはずなのに、レオニートに導いてもらうまで気づけなかった。

「すごい……きれい……! レオニート、僕たちは、アイスリンクの宝石に溶け込んでいます!」

 まるで自分たちが、煌めく氷のひとつになったような一体感。

 レオニートは、しっかりと手を握り、腰を支えてくれる。彼が傍にいてくれるから、勇気を出して足を前へ繰り出せた。

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