第16話
レオニートが姿を現すと、人々の歓声で迎えられる。楽団は音楽を止めて、紳士淑女は皇帝に注目した。
扉のむこうはバルコニーのような高いところで、ホールの様子が一望できた。レオニートが軽く手を挙げれば、皆は一斉にお辞儀して礼を尽くす。
「舞踏会へようこそ。今宵はルスラーン王国の賓客を迎えている。皆、愉しんでくれたまえ」
掲げた指先でくるりと合図を送ると、楽団はワルツを奏で始めた。それに合わせて紳士淑女たちは手を取り合い、ダンスを踊り始める。
後方から緊張の面持ちで窺っていた結羽は、ほうと息をつく。
なんて煌びやかな世界なんだろう。まるでお伽話で繰り広げられるような華やかさだ。
そこへ現実に引き戻すかのように、ぐいと首根を掴まれた。
「おまえはこっちだ。カーテンの影から出るなよ」
ダニイルに引き摺られて廊下の隅に連れていかれそうになる。ふいにレオニートが振り返った。
「結羽。こちらへ来なさい」
「あ……はい」
小さく舌打ちしたダニイルは結羽の首根を解放した。
舞踏会などという上流階級の社交場に慣れない身なので、賓客から見えないところに控えていたほうが良いのではないかと結羽自身も思うのだが、レオニートに呼ばれたからには仕方ない。できるだけ隅のほうに身を置いていよう。
ホールにぐるりと巡らされたバルコニーの中央へむかって歩くレオニートの後に続く。燦然と輝くシャンデリアの真下には、階下のホールへと続く大階段が緋毛氈を従えてどこまでも長く伸びていた。
大階段の前に辿り着いたレオニートは、ホールを見下ろして泰然と佇む。白銀の皇帝は威厳と品格に満ちていた。
そこは広い場所なので結羽はレオニートから距離を取り、居並ぶ大臣たちの後ろに控えた。「結羽、こっちだよ」
ブラウスの首許で天鵞絨のリボンを結んでいるユリアンに声をかけられ、そちらに身を寄せる。
「遅いよ、もう。ぼく、すごく緊張してるんだからね。お姉さまになる人に初めて会うんだから」
「申し訳ありません。……え? お姉さま?」
ユリアンの言葉に疑問符が湧く。
お姉さまとは、どういう意味だろう。
恥ずかしそうに頬を染めたユリアンは、大階段の下に目をむけた。
「ほら、あのお姫様だよ」
ふと視線を移動させれば、海が割れたように人々は道を空けていた。その道の中央を、とあるふたりの人物が静かに歩み、こちらへむかってくる。
ひとりは男性、もうひとりは女性だ。
同じくらいの年頃のふたりは容貌もよく似ている。揃いの銀髪と漆黒の衣装のせいで、そのように見えるのかもしれない。男性が女性をエスコートして恭しく手を取りながら、ふたりは大階段を上りきった。
「ようこそ、アスカロノヴァ皇国へ。ヴァレンチン王子、そしてアナスタシヤ姫」
レオニートが朗々とした声音で歓待の挨拶を述べる。
彼らが、ルスラーン王国からやってきた賓客らしい。ふたりとも目鼻立ちの整った、端麗な面立ちをしている。王族らしい高貴さが滲み出ていた。
アナスタシヤ姫は、すっと膝を折る礼をしたが、ひとことも喋らない。代わりにヴァレンチン王子が鋭い眼差しを投げて声高に発した。
「アスカロノヴァ皇国は随分と礼儀知らずらしいな。国境に迎えに来た近衛はわずか十騎だ。我が国は百騎兵を随行させてきたが、そのどれにも見劣りする騎兵ばかりで辟易した。我々王族をなんだと思っているのだ?」
突然の糾弾に、大臣たちは息を呑んで視線を泳がせる。ルスラーン王国の王子ともなれば、国を代表する立場だ。怒らせれば国交に差し障りがあるのは明らかだった。
レオニートは優雅な微笑を浮かべると、ヴァレンチンに向き合う。
「久しぶりだな、ヴァレンチン。最後に会ったのはもう十年以上前だが、当時から騎兵が好きだった君は私とよく盤上の騎兵を戦わせていた。変わりないようで安心したよ」
ヴァレンチンは眉をひそめて、昔話をするレオニートを睨みつけた。ふたりは交友があったようだが、ヴァレンチンに友好的な態度は見られない。
「昔のことなど知らぬ。アナスタシヤを娶るのに相応しい皇帝と国かどうか、俺の目で確かめさせてもらう」
「無論だ。アスカロノヴァ皇国に、ゆるりと滞在してほしい」
結羽の背を、冷たいものが滑り落ちた。
ぎこちない笑みを貼り付けたまま、レオニートの傍に佇むアナスタシヤ姫に目をむける。
レオニートが、彼女を娶る。
ユリアンの、姉になる。
それはつまり、レオニートが結婚するということだ。
ルスラーン王国の王子と姫は、友好を温めるために訪れたわけではない。
皇帝と姫の婚姻のためなのだ。
氷の人形のように美しいアナスタシヤの面差しを呆然と見つめていると、遮るようにヴァレンチンが前へ進み出た。
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