第15話

「はい、ダニイ……レオニート!? どうしたんです?」

 扉を開けて入室してきたのは、なんとレオニートだった。

 もうルスラーン王国の賓客を迎えなければならない時刻だ。皇帝のレオニートがどうしてここにいるのだろう。

「迎えに来た。さあ、おいで」

 優美な所作で手のひらを差し出され、結羽は思わず息を呑む。

 夕暮れの陽を受けて煌めく銀色の髪、綸子のジュストコールは髪と同じ白銀に輝いている。雪の王のごとく凜然と佇む彼の瞳はどんな宝石よりも美しく輝く紺碧で、その双眸はまっすぐに結羽に注がれていた。

 まるで、吸い込まれてしまいそう。

 レオニートの瞳の色、そして仄かに薄紅色に色づいた弧を描く唇に、強く引き寄せられてしまう。

 結羽は誘われるように自らの手を差し出す。大きな手のひらに、きつく握り込まれた。

「あっ」

 そのまま腕を引かれて、レオニートの胸に抱き込まれてしまう。

 一瞬、躓いた自分がぶつかったのかと思った。

 けれど逞しい腕が背に回っている。まるで結羽を逃がさないとでも示しているかのように、熱い腕はしっかりと華奢な身体を抱き留めた。

「レオニート……?」

 彼の吐息をつむじに感じる。唇が、髪に押しつけられた。

 どうしよう。どうすればいいんだろう。これは一体、どういうことなんだろう。

 心拍数が上がり、胸がどきどきしてしまう。呼吸が上手く継げず、結羽は浅く喘いだ。

「結羽……私は君とふたりきりでいるとき、皇帝ではない。今、私は、ただの男だ。そうだろう……?」

 レオニートがなにを云わんとしているのか、分からない。

 けれど彼の言ったことは真実のひとつであるので、結羽は小さく頷いた。

「ええ……そうです。レオニート」

 レオニートはしばらくそうして、結羽の身体を抱いていた。夕陽に溶けるように、ふたりの身体は隙間なく重なり合っている。早鐘のように鳴り響く鼓動がレオニートに聞こえてしまうのではないかと思った。

 やがて少し身体を離したレオニートは、間近から顔を覗き込む。

 紺碧の瞳が、これ以上ないほど近づいた。

 どきりと、鼓動が跳ねる。

 とある予感が過ぎったとき、レオニートは、ふっと笑って双眸を眇めた。

「今日の結羽は、とても綺麗だ。この衣装はよく似合っている。舞踏会でダンスを申し込みたいな」

「……あ。ありがとうございます。でも僕は踊ったことがありませんし、侍従という立場ですから。ルスラーン王国のお姫様を、お誘いするんですよね」

 レオニートは目を伏せた。紺碧の瞳は憂いの影を帯びる。

「ああ……主賓だからな」

 するりと大きな手のひらが結羽の肩を撫でて、離れていった。下ろされた拳はなにかに耐えるように、握りしめられていた。

「では、参ろうか。舞踏会へ」

「はい。レオニート」

 部屋の扉をくぐったときにはもう、レオニートの横顔からは一瞬見せた弱さにも似た憂いは消え去っていて、いつもの威厳ある皇帝の相貌に戻っていた。

 廊下を歩んでいると、皇帝の姿を見つけた侍従が駆け寄ってきて舞踏会が行われる会場へと導く。その頃になって結羽はようやく詰めていた息を吐いた。

 キス、されるかと思った。

 前を行くレオニートの広い背を、唇をきゅっと噛み締めて見据える。

 そんなわけないのに。

 きっとレオニートは今夜の舞踏会を前にして緊張しているのだ。だから誰かと他愛もない話をして、緊張を解きほぐしたかったのに違いない。

 だから、先ほどの触れ合いに、さしたる意味はないのだ。

 結羽はそのように解釈して、なぜか失望を覚えている胸の裡を叱咤した。

 


 楽団が奏でる流麗な音楽が流れてくる。

 重厚な扉の前で待機していたダニイルは近衛隊長が纏う白の軍服を着用している。完璧な礼をしてまっすぐに皇帝を迎えた。

「陛下、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 ダニイルは鋭い眦で、ちらりと結羽を見遣ったが、すぐにレオニートに視線を戻した。

 彼がここで待機していたということは、まさかレオニートはあえてひとりで結羽を迎えに行くと告げたのだろうか。

 けれどそのような邪推も、扉が開かれるとすべて輝きのもとに掻き消されてしまう。

 舞踏会の会場となる広大なホールに溢れる着飾った人々のざわめき。煌めきを零すシャンデリアのきらきらとした灯りが、円舞を描く紳士淑女に華を添えていた。

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